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先日、久々に映画館に足を運んだ。
歩いて行けるところに、結構まともなシネマコンプレックスもあるくらいなのだが、このところとんと映画館から遠ざかっていた。
特に映画から遠のいていた理由はこれと言って見あたらない。もともと誇大広告のようなハリウッドムービーが苦手ではあるけれど、それでも友人と何かする?というと映画にでも行くか? みたいに半ば習慣化していた時期があったのだ。
だからその頃は毎週末のように、cookie-cutterライクな大作を見に足を運んでいたものだ。


映画館出不精の僕が久々に足を運んだのは、なんだかんだと言ってやはりハリウッドムービーの代名詞のような 「 Avatar 」を見るためだった。
12月に公開され、しばらくチケット売り切れの状態が続いていたが、最近になってどうやら気軽に飛び込みで行って次回の上映からでも見られるようにはなってきたようだ。
それでも IMAX での Avatar となると話は別で平日の日中の上映でも前売り券売り切れの状態が続いていた。
どうせここまで待ったのだからもうちょっとぐらい待たされてもいいや、と過熱ぶりを横から見ているだけだったのだが、先週オンラインでステータスを見てみると当日券が出ている様子。まあ週初めの月曜日で、しかも傘を差しても体がずぶ濡れになってしまうので傘なんかあっても無くても意味が無いような、そんな大雨の日だったから、そこまでして映画館に足を運ぶという奇特な人は少なかったのかも知れない。


Times Square にも IMAX シアターはあるようだが、初めて IMAX ムービーというのものを体験したのがリンカーンセンターのIMAXシネマで、数少ない IMAX ムービー体験はそれ以降ここだけである。
今回も勝手知ったるこの映画館で見ようと、リンカーンセンター最寄りの地下鉄駅で下車し、映画館までの数ブロックを歩く。
映画の話とは関係ないのだが、ちょうど道路を挟んで反対側に、NY 市内でもっとも新しい Apple Store ができていた。
そういえば、昨年末にオープンしたんだったな、と思い出したのだがうちから地下鉄で数駅のところに24時間オープンしている Apple Store があってここまで敢えてやってくる理由は無かったのだ。

映画館に着いてまずはチケットを購入 ( 約18ドル )。上映までまだ半時間ほど余裕があったので、映画館を出てその Apple Store を見に行くことにした。
Apple Store の路面店は特に意匠を凝らした作りが特徴なのだが、果たして他の三店舗とどんな風に違うのだろうか・・・という答えは店内に入るまでもなくその外観にあった。
もともと Victoria's Secret が入っていたこの場所を完全に改装してオープンに至ったのが、吹き抜けの天井を含め多面ガラス張りの新店舗である。

家を出るときはザーザー降りの雨だったのが、幸い映画館に着く頃には小降りになっており、水滴を期にしながら一枚パチリ。



さて Apple Store の中を一通り見物したあと、上映時間が迫ってきたので店を出て映画館に戻る。エスカレータを乗り継いで最上階に位置するIMAX シアターに入る。
上映15分前にして座席着用率は半分ほど。「雨のせいで空いているのかな」とそのときは思ったのだが、それは間違いだった。
早めに来た人たちはコートや鞄を横の席において無言の壕を構築し、観客は一座席ずつ開けて座っていたのだが、上映開始時刻の5分前になってあっという間に満員。
結局荷物を置いて空いていた座席もすべて詰めてすわることになるほどの人気ぶりだった。
Avatar の人気は衰えず ( ちなみにこの日、Avatar の興行収益が Titanic を抜いて歴代一位になった )。

映画の方はと言えば、ストーリーに関してはすでに見た友人からそれとなく聞いていたこともあり、まあこんなもんだという感じで受け止めた。がやはりさすがだと思ったのは 3D 技術である。さほど 3D をくどいほど売りにした作品づくりになっていないこともあり、映像を自然に受け止めることができた。
この迫力というのはやはり映画館ならではのものだろう。そうでなかったら Lazy な僕がわざわざ高い金を払って雨の中、映画館まで来たりしない。


映画では感情移入によって見るときの気持ちの揺れが大きく変わる。もしかすると 3D という技術はリアリティ感により自分と映画の距離をさらに短くするものなのかもしれない。
3D 映画が一般的になり、人がそれに慣れたとき、ふとかつての 2D 映画を見たときに臨場感が希薄で 「 昔の映画って感情移入しにくいよなぁ 」 なんて言われる日が来るのかもしれない。
かつては想像力によって映像、ストーリーにのめり込んでいったものだが、3D 技術はその想像力を使わずとも ( スポイルさせて ) 人間を制作者側の意図する方向に誘導することができるのではないだろうか。

上映時間も長めの映画だったが妙な頭痛になることもなく、最初から最後まで楽しめることができた。
もし第二作がある、と言われたらたぶん映画館に行ってみることになりそうだ。存在しない世界をリアルに感じられるこの技術はちょっとばかりやみつきかもしない。







「この監督のことだから、BD が発売されるときには必ずディレクターズカット版が出るんだろうな」とか「頼むからAvatar vs Alien vs Predator みたいなのは作らないで欲しいな、あ、そうなるとシガニー・ウィーバーは一人で人間とエイリアンとAvaterの三役だ 」 などと馬鹿げたことを考えながら映画館を出る。
小雨は相変わらず不愉快に顔に張り付いてくるのだが、先ほどの Apple Store がまるで 「 都会の電球 」 のように寒々しい New York の街を暖かく照らしている。早速カメラを取り出してまたシャッターを押す。

どうも雨というとカメラを持っていくのがためらわれるのだが、こんな風にアスファルトに都会の明かりが反射してなかなか面白い街の表情が撮れるのである。却って天候の良い普段日の方が非リアルに見えるかもしれない。

今日一日僕の目は現実と非現実の映像にだまされっぱなしである。




※公開時に画像を貼り付けるのを忘れてました。


※ A man with popcorn


このところ映画館で映画を見ていないなぁと思っていたところにちょうど New York 在住の友達からとある映画の試写会に招待された。

確かに今は自宅でも DVD やケーブルテレビで気軽に映画を見られるようになったけれど、映画館で鑑賞する映画というのは感情移入という意味で格段の違いがある。
テレビは途中にコマーシャルが入る上、自宅だとつい散漫になり集中できないといったこともあるのだろう。一方映画館で見る場合、共感できる場面ではその感情移入も度合いが大きい。逆に共感できない場合、却ってテレビで見ている以上に白けてしまう。きっとテレビや DVD はつまらなければ途中で見るのを止めてしまうことができるのに対し、途中で退席しない限り映画は最後まで見ることになるからであろう。だから見終わった後、その映画について一緒に見に行った友達と感想を話し合ったり、一人で反復してみたりするのだろう。


今回招待されて見に行った映画というのは、日本制作の 「 トウキョウソナタ 」 である。
試写会には抽選に当たって見に来た人と、僕のように招待されて見に行った人がいるのだが、後者は New York 在住の日本人ブロガーたちと聞いた。つまりこの映画の鑑賞後、その感想がブログに書かれることで評判を口コミで広げていきたいという興業側のマーケティングなのだろう。
そういったことから、試写を見た手前この New York Watch でも取り上げないわけには行かないのだが、もともと僕は物事を斜めに見るような性格なので、提灯記事を書くことなく、今回もなるべく bias がかかった内容にはならないように書こう。


ちなみにこの映画の案内をもらうまで、ほとんど内容を知らなかった。確か小泉今日子が久しぶりに出た映画があるとは耳にしていたのだが、それがこの映画だとすら知らなかった次第。
すでに日本では公開されているというので、あらすじや評判を見ることもできたのだが、せっかくなので何の先入観も持たずに見ることにした。

ただ意外だったのは、今回日本に帰ってきてこの映画のことを尋ねると僕の周りではほとんどの人が 「 見たことが無い 」 と口にすることだった。日本ではひっそり公開されたのだろうか。


試写会が行われたのは East Village にある由緒ある映画館。座席指定ではないから、開演の30分前には来てね、と言われていたのだが、仕事でその近くにいたこともあってだいぶ早く着いてしまった。それでも入場を待つ行列ができており、僕も素直にそれに並んだ。
途中ブロガーは特別招待ということでこの行列から抜け出し、先行入場することができたのだがそのときに撮った写真が上のものである。

上映に先立って英語と日本語で今回の鑑賞会に関する簡単な案内があり、映画は粛々と始まった。

ストーリーについてはあらためてここで書くことも無いが、仕事を失った一家の主の話から物語はスタートする。
この映画が日本で公開されたのが昨年の5月というから、その撮影期間を考慮すると今の社会状況をまるで的確に占っているようだ。ボランティアのグループがホームレスとなった人たちに食事の配給を世話しているシーンなどがあるが、これは日本だけではなくアメリカでももはや同じ状況である故、妙な親近感すら覚える。

僕自身、ちょうどこの映画を見ていたときに転職活動をしていたこともあり、長いことアメリカに住んだ結果多少物事のとらえ方に違いがあるにせよ、日本で生まれ育った僕には日本人的な性格描写も理解でき、加えてアメリカだったらどうするだろうと何度か反駁しながら見ることができた。

それはたとえば香川照之演じる一家の主がレイオフになるとき、彼は半ば自分から辞めたこと。そして会社を辞めて失業となったことを家族はおろか、妻 ( 小泉今日子 ) にも伝えないこと。おそらくアメリカであれば、会社や自分のことを首にした上司に対する不満を妻にはぶちまけるのではないだろうか。

話は進むうちに非日常的な世界になっていくので、自分自身を重ねるというよりは淡々と進む物語を第三者的に眺めていくこととなったが、それでもこの映画を日本人として見るのと、アメリカの社会ではどう市民の目に映るだろうかという観点で見ることができたのは、ある意味僕らだからこそできたのかもしれない。
ただこの映画をアメリカで公開する以上、いくつか気になった点はあった。
父が子供の胸ぐらをつかんだり、頭を殴打するシーンが出てくるのだが、アメリカではまずこれは家庭内暴力と取り扱われるだろう。それ故、この件に触れずに物語りが進むことに多少違和感を感じるのではないだろうか。階段から落ちて病院に行くシーンもあるが、病院はその件について調査もしない。見に来る人はこれが日本映画だから、ということはわかっているだろうが、この点は少々引っかかった。


この映画を作品として見た場合、理解しがたい部分がところどころにあり、感情移入は難しかった。が今この社会事情を照らしてみると、興味深いテーマ故この映画のあちこちのシーンに何か感ずるところがあるのも事実だ。同じ立場に立った人が見た場合、そしてこれから社会を支えていく世代が見た場合、それぞれ受け止め方は異なるだろう。だがこの家族がお互いをまた意識して一つになれそうになったのはいくつもの不幸が重なったからではあり、虚構の上に成り立った社会や家庭を壊すことの意味を誰しもが感ずるのでは無かろうか。

はたして世界経済はかつてのように華々しく復興し、人々に再びバブルの夢を見せるのだろうか。それともこの映画が 「 今 」 を占ったように、もしかするともっとひどい将来を語っているのだろうか。伏線として取り上げられた戦争も昨今のきな臭い状況を見るとまんざら泡沫とは思えない。
そのことは僕にもわからないし、この映画は解を与えてくれるわけではない。むしろ見終わってもやもやっとした気持ちになるかもしれない。希望でもなく悲嘆でもなくただ淡々と。それがこの映画の伝えたかったメッセージなのかもしれない。

トウキョウソナタ

公式サイト
http://tokyosonata.com/index.html

米国の上映情報
http://www.tokyosonatamovie.com/schedule.html


いささかブログで取り上げるにはタイミングを逃してしまった感が強い、オリンピックだが僕も要所要所でしっかりテレビ観戦していた。日本にいたときはやはり日本選手が活躍する種目を中心に番組が構成されていた記憶があるが、それはアメリカとて同じであった。
僕が見ていたのが、いわゆるプライムタイムと呼ばれるもっとも多くの人がテレビを視聴する時間帯だったので、もしかすると日中に放映したのかもしれないが、米国人にとってあまり人気のないスポーツは速報程度の扱いだったようだ。
柔道やテコンドーといった種目は、明らかに軽んじられていた。

とはいえ米国、特に New York は移民の土地柄であるから、多くの人はインターネットや衛星放送を見て自国の選手を応援していたようだ。


そのオリンピックだが、会期中エンパイアステートビルディングのライトアップが普段と異なり、いったい何だろうと思った人も多いのではないか。
エンパイアステートビルが持つ4面、それぞれのライトアップカラーが違うのだ。ニュースによるとオリンピック開催に合わせ、代表的な国の国旗カラーを順次照らし出していた、とのこと。
記憶は無いのだが、前回のアテネ五輪の時はこんなことしていなかったと思うし、そもそも東西南北の面でそれぞれ異なる色でライトアップしたのも今回がはじめてではないだろうか。
さすがに最終日は米国国旗カラーだったようだが、途中日本の国旗色のライトアップもあったと聞いた。






私事ではあるが、今回のオリンピックでは関連する仕事に携わり、今年の夏は忙しかった。見ることのできた種目は少なかったが、普段より観戦に熱が入ったのもそんなわけかもしれない。
さて秋は、NBC の HEROES というお化け番組のニューシーズンが始まる。オリンピックが終わって一息ついたと思いきや、今度はこのテレビドラマ関連の仕事で忙しくなりそうだ。いや、番組制作ではないのでストーリーについては知ることができないのだけれども。

Aruba、Jamaica、Bermuda、Bahama・・・・

今から20年以上前に大ヒットした歌の一節として出てくる地名である。
僕がその後カリブ海に関心を持つきっかけになった歌だ。


その歌とはトム・クルーズが主演した映画『Cocktail』の挿入歌、『Kokomo』のことである。歌っていたのは Beach Boys で、これが今から20年ほど前のことなのにその時点で20数年ぶりのヒット、と呼ばれていたのだから、いかに息の長いグループかこれでわかるというものである。
きっと親父たちの世代が Beach Boys をリアルタイムに感じていたのではなかったか。

いずれにせよ、当時はときどき Beach Boys の古典ヒットをラジオで聞くぐらいで、メンバーがどういう面々なのかは Kokomo のヒットまで知らなかった ( 知らなかったし、あまり興味もなかった ) のだが、初めて写真で彼らの姿を見たときはびっくりした。ボーカルとそのメロディーから想像していたのと違って年配の面々によるバンドだったからだ。唯一ボーカルだけが若い人だったが、それはあとでオリジナルのメンバーでは無いと知った。

まあ Beach Boys についてはそこまでの興味だったが、この歌の中で出くる不思議な音の響きを持つ地名に、どこか憧れた。
当時カリブといえば、ディズニーランドの 「 カリブの海賊 」 アトラクションがすでにあって、そのイメージからどこか南の海域なんだろうな、ぐらいの前知識しか無かった。先の映画の出来はともかく、その映画に出てくる海の美しさや、カリブらしいゆったりとした時の流れ、そしてこの歌の持つイメージからカリブに対する期待が大きくなっていった。

それから何年もたって、アメリカに住むようになると New York からカリブ海へは意外とアクセスが便利なことがわかり、バハマを足がかりにして、その後カンクンやケイマン諸島、プエルトリコ、ドミニカン共和国など、毎年のように訪れるようになった。ここでスキューバダイビングのライセンスを取ったことも、カリブ諸島への距離感をより短くしたのだろう。


ごみごみした高層ビルの街、New York から飛行機に乗り、数時間後に真っ青なトロピカルアイランドが見えてくると、いつも Beach Boys の 「 Kokomo 」 のサビフレーズがずっと頭の中でリピートするのだった。
それくらいカリブ海の島々を訪れるのは、毎年の楽しみになっていった・・・

そして昨日の朝、ひょんなことから Beach Boys のビーチサウンドを New York の街中で耳にすることになった。
たまたまこの日はこの近くで写真を撮る必要があって、Bryant Park を通り抜けようと駆け足で入っていった。約束の時間に少し遅れそう、と慌てていたのだが、どこか懐かしいサウンドが耳に入ると、自然と駆け足をやめ、その音のする方に向かって歩き始めた。

それほど大きくない Bryant Park の端に特設ステージができており、そのステージで歌っているグループが往年の Beach Boys だったのだ。

ステージに見る彼らの顔は、僕にとってはどれも初めてのもので、「やっと会えた」という気持ちにはなれなかったが、スピーカーから聞こえてくるその歌声は間違いなく20年前の Kokomo のそれと同じである。
それまで汗をかきながら走っていたことも忘れて、さわやかな夏の朝のひとときを楽しんだ。
約束のことが無ければ、最後まで聞いていたかもしれないが、残念ながらそういうわけにはいかず、一曲演奏を聴いた後に再び小走りで公園を後にした。

高層ビルとビルに囲まれた都会の街はクラクションの洪水で溢れていたが、頭の中はカリブ海の青い海のイメージとビーチサウンドがこだましていたある朝のことだった。
またカリブ海を訪れてみようかな。



※ 時間が無かったので広角レンズのまま、撮影。ちょっと遠く見えるのはそのせいだが、実際にはすぐ目の前という感じ。


※ 上の写真は熱狂しているファンでいっぱい、のようなイメージだが実際にはこのぐらいの人しか周りにはいなかった。平日の朝だったので、人出が少なかったのもあるだろう。ごらんの通り、これはテレビ局主催のミニコンサートで、生中継で『Good Morning America』で全米に放映されていた。
砂浜の様に見える地面は、実は砂浜を摸したカーペットで、そこにレジャーシートをしいてビーチにいるかのようにくつろぎながら聞いている人も。

Harry Allen

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少年時代、サックスを吹いていた時期があった。
最初はバリトンサックスという大きなサックスで、首に巻き付けたストラップがずっしりとくいこんだ。その次に手にしたのがテナーサックスだった。
何事も中途半端な僕は、うまい、と言われるほどまで上達することはなかったけれど、今でもサックスを見たり、音色を耳にするとあの当時のことを懐かしく思い出す。


Village にある小さなジャズライブハウス。
中にはほんとうに小さなバーがあり、その泊まり木の向こう側にはバーテンダーの女性が、生の楽器の音を邪魔しないようにと気遣いながら、そっとグラスに酒を注いでいる。
そのぐらいステージと客席が近いこの場所で、今夜演奏するのは Harry Allen。


目の前に立っている、その Harry Allen はまるでサックスで歌っているかのようだった。力強く、そしてやわらかいその音は、地下にある狭い客席にしみこんでいった。
こんなときはファインダーをのぞくのが憎らしくなる。僕の場合、ファインダーをのぞいていると周りの音がさっと聞こえなくなるのだ。


写真を撮ったあとはカメラを氷の入ったグラスに持ち替え、目をつむって、そして、再び心地よいジャズのリズムに身を委ねるのだった。
それは New York で聞く、どこか懐かしい音だった。


※Harry Allen 氏は11月に富士通の招きで来日の予定があるようだ

「 炎暑のNY 」 で紹介した、Astoria の野外映画祭だが、このところ自宅の A/C の調子が悪くテクニシャンが見に来てくれるという申し出にだいぶ迷ったものの、日にちずをずらしてもらうことにして、映画祭の方に行くことにした。エアコンの修理はいつでもできるが、この映画祭は毎週水曜日にそれぞれ異なる映画を上映するので見逃してしまうとそれっきりなのである。

主催者のウェブサイトによると、交通機関で行く場合は、地下鉄 N ライン、Broadway 駅が最寄り駅となっている。
僕はこの街に住んでいるのでおよその距離を知っているが、その駅から East River 沿いまで歩くのはかなりの距離である。正確に数えてはないが、15ブロックぐらいはあるんじゃないだろうか。Manhattan で15ブロックといえば、両脇の店を見ながら歩けばあっという間だが、こういう住宅地の15ブロックは距離は同じでも不思議なことに延々と続くように感じるものである。

それでも映画の上映開始は 「 日が落ちた時 」 となっていたのでゆっくり歩いて8:30 PM に着けば良いだろうと思っていたところ、この日同行した友人は、「 早く行かないと席が取れなくなるかも。それに映画の前、7時からもなんかイベントがあるみたいだし 」 というので、帰宅早々簡単に着替えて車で出かけることにした。
幸いなことに、隣にある Costco の駐車場が無料で開放されるとホームページに書いてあったので、駐車スポットを探す手間は省けそうだ。ちなみに Costco はこのイベントのスポンサーとして名前を連ねているので、こんな形でも協力しているのだろう。

道すがら・・・というほどの距離でもないのだが、Astoria の日系コンビニストアで弁当とお茶を買い、Manhattan から来た友達ここでピックアップし、会場に向かう。

Costco の駐車場は夕方の食料品買い出しの人たちでにぎわっていたがそれは店に近いところだけで、映画祭が開かれる会場側はがらがらだったので、ここを利用できることを知っている人は少ないようだ。

会場となっているこの公園は、ソクラテス彫刻公園・・と呼ばれているが箱根の森彫刻美術館なんかを想像していくとその規模の小ささにびっくりするかも知れない。芝生の広場にぽつんぽつんと所々に作品が展示されているのだが、今夜のように人がたくさん来なければかなり寂しい風景に違いない。
その芝生の広場の一番奥に NY 市公園管理局が所有するトラックが止まっており、そこにお世辞にも大きいとは言えないスクリーンがかかっていた。


僕らが着いたのは7:30PM ごろだったのでまだ外も明るく、まだ映画を上映するには早すぎる時間帯だったが、そのスクリーンの横にはドラムを携えた男性のグルーブが数人と、これまた派手な格好をした女性が数人踊っていた。
一体なんのイベントだろうとしばらく見ていると、それはブラジルのサンバであることがわかった。ただしそこでまた 「 なんでサンバ? 」 と新たな謎に頭を抱えることになったが、その答えは割とすぐに見つかった。
今夜上映が予定されている映画の監督がブラジル人だったのである。
ちなみに会場では地元のレストランが屋台を出店する、とホームページに書かれていたがこの日出店していた店は一軒だけで、その一軒もブラジルレストランだった ( ちなみにこのブラジルレストランは僕の住んでいるすぐ近くにあって、なかなかお勧め )。
毎週行われるこの映画祭は、来週はイタリア映画、次はルーマニア映画・・となっているのでそのたびにその国のレストランが出店するのだろうか。

屋台の弁当を見て思い出したように僕も弁当を食べようと、適当に空いている場所に陣取る事にした。幸い車のトランクにレジャーシートが入れっぱなしになっていたので、それを持ってきて広げることにしたのだが、これが無いと前日に降った雨のせいで土は湿っており、おしりは濡れてしまいそうだ。周りを見渡すとどちらかというと折りたたみ椅子を持ってきている人が多い。あとでわかったのだが、こういうイベントはレジャーシートよりこういった椅子の方が疲れなくてよい。また目の前の人が椅子に座っているとこちらはキリンのように思いっきり首を伸ばさなくてはならないから、ますます疲れる。



そうこうしているうちにサンバのパフォーマンスは終わり、映画は8:30 PM からの上映だとアナウンスが入る。
8:30 というとまだ明るいのだが、場所が場所だけにあまり遅くまで大音量でスピーカーから音を出すわけには行かないだろうし、協力してくれている Costco も深夜まで駐車場を開放できないという事情があるのだろう。
とはいえ上映まであと30分ほど。持ってきた食料を食べていればすぐである。
周りのグループも思い思いにバスケットやらクーラーボックスを持参して、それこそサンドイッチやらタコス、それに途中で買ってきたピザを食べている。しかも公園でありながらプライベートなイベントだからなのか、ほとんどのグループがワインとグラスを持参していて、どうやらほろ酔い気分で映画を見ようという魂胆らしい。こんなこと、映画館ではできないから、野外映画祭の醍醐味の一つである。


そしていよいよ8:30になった。
やぐらが組まれたその上に大きなプロジェクタが設置され、係の女性が画像のチューニングをしているのだがスクリーンに映し出された画面は Mac OS Xだった。どうやら映画は Mac 上で DVD 再生するようだ。
そしてチューニングが終わると、なんの予告もなく突然のように映画の上映が始まった。


今夜の上映される映画のタイトルは 「 Motorcycle Diaries 」 といって、キューバの革命士として今なお人気が高い、チェ・ゲバラの若き日を描いたストーリーである。
アルゼンチンを出発して、バイクで南米を旅をする。とても淡々と物語は進むが時折破天荒な行動に出るのはそれは若さ故か、それともそういう時代だったのか、さてはてラテンの血がなせるわざか、いずれにせようらやましくさえ思える。
そうしていろいろな旅を通していろいろな人たちと出会ううちに、おそらく革命に対する意志が芽生えたのだろう。

映画そのものの批評は、僕の得意とするところではないのでここでは書かないが、個人的にはちょっと長いかなと思いつつも見終わったときは満足感があった。
長いな、と思ったのはおそらく野外で見ていておしりが痛くなったからではないかと思うのだが。

映画の中で面白いなと思うシーンがあった。この映画はスペイン語で話され、英語の字幕が表示されていたのだが、一部字幕が表示されないシーンがあった。
それはペルーのマチュピチュだったかリマのどちらかだったと思うが、現地の人たちと車座になってチェ・ゲバラ ( 当時はまだエルネストと呼ばれていたが ) が葉っぱをカムシーンである。
おそらくはこれはコカの葉なのだろう。よく知られているとおりこれから麻薬のコカインが作られるので、字幕で表示することは許可されなかったのかと思われる。
英語の字幕が表示されるより先に、スペイン語の会話が聞こえてくるところでたくさんの観客が笑い声をあげていたので、この日はスペイン語を理解できる人が多かったようだが、そういう人たちはオリジナルの音声でこの部分を理解できたに違いない。、


僕はこれまでにも Bryant Park の映画祭に行ったことがあるがこちらは人が多すぎる上、周りの人の会話がうるさすぎて映画の内容を何一つも理解できなかったのだが、それに比べるとこちらはゆっくり楽しむことができた。ときおりパトカーがサイレンをけたたましく鳴らして通り過ぎたりするものの、それはレジデンスエリアならではの街の騒音である。
パトカーのサイレンのほかにもう一つ、僕らの気をそらすものがあった。
それは蛍である。

ちょうど映画の上映が始まった頃、夜のとばりが降りてきて、これでやっと字幕が読みやすくなるぞというころになってあちこちでふわ、ふわっと光っては消える蛍が飛んでいた。こんなイベントでもなければきっと都会の蛍には気がつかなかったかも知れない。
New York では金を払えば豪華な夜はいくらでも過ごせるが、逆に1セントもかけずに豊かな時間を過ごすこともできる。いつも高いお金を払ってばかりいないで、たまにはこんなスローな夜を過ごしてみてはどうだろう。


タイトルには「蛍と・・・」などとかっこよく書いてみたものの、East River のすぐ横で開催されるせいか蛍だけでなく蚊もたくさんいる。
特にアルコールを飲むと体温が上がって刺されやすくなるので、虫除けスプレーを忘れずに。

ここしばらく様々なことがあったので、そのことをブログで書こうと思っていたのだが、今日はひとまずそれらをおいといて昨日、日曜日のイベントを紹介しておこう。

New York では街の至る所でパフォーマンスが行われていて、よほどのことでは驚かない New Yorker もこのイベントにはさすがにびっくりしたようだ。それは一人のマジシャンが公の場所で挑戦している、長期水中滞在のパフォーマンスである。


もともとネットワーク局のどこかの予告編をテレビで見たのだが、David Blaine というマジシャンが大衆の面前で巨大な水槽タンクの中に入り、呼吸のためのパイプ一本だけが口につながった状態で1週間暮らすというものである。
試みが始まった5/1より、ローカルテレビ局のニュースでも毎日の様にその様子が取り上げられていたのだが、どうやらこの話題は太平洋を越え、日本まで伝わったようだ。、


いろいろ調べてみると、以前にはロンドンで空中に吊られたガラス張りの箱の中で44日間過ごしたこともあったようだ。他にも人間の限界に挑むようなチャレンジ、それもちょっと変わった内容のものを何度か取り上げて、パフォーマンスとして見せている。
この David Blaine と言う人、実は Brooklyn 生まれの生粋の New Yorker で、父親は Puerto Rican、母親は Jewish / Russian という生まれながらにして人種のるつぼのようである。

今回そのイベントは、オペラで有名な格調高き ( ? ) あの Lincoln center の野外スペースで行われているという。せっかくの連休なのでこの日曜日に友達を誘って行って見ることにした。

地下鉄を出て Lincoln Center の近くまで来ると、たくさんの人たちが広場からあふれ出している。早速広角レンズをセットして撮ったのがこの写真である。
テレビクルーやドキュメンタリーフィルムを撮る人たちが専用のステージで撮影している傍ら、日本からも日本テレビのクルーがやってきてアメリカの報道陣に負けずと取材をしているのが見えた。
この写真では遠くの方に見えるブルーの筐体が、David Blaine のいる水槽である。
見に来ている人は、もちろん冷やかしも多いのだが、意外とプラカードなどを用意して応援している人も多かった。こういう一風変わったパフォーマンスは New York だからこそ受け入れられるのかもしれない。


水槽の中はそれほど広くないので、David Blaine は時々位置を変えて観客に手を振っているところぐらいしか見られない。とすると写真はどれも似たようなものになってしまうのだが、せっかくなので数多く撮った写真の中からいくつかセレクトしたものを下に紹介することにしよう。



▲ テレビクルーやライティング、それに彼の健康状態をチェックしているアシスタントなど、たくさんの人がこのイベントに携わっているようだ。テレビ中継のカメラはあちこちに設置されていた。


▲ David Blaine の素顔。こうやって時々マスクとレギュレータを外してはしばらくそのままにしている。最終日の水中滞在時間の記録挑戦に慣れるべく特訓中なのかもしれない。


▲ 水槽タンクの外側にいる人の声はスピーカーを通すことで水槽の中の David Blaine にも聞こえているのだが、彼からは声を発せないので、コミュニケーションを取るときはこんな風にスキューバダイビングで使う、手書きボードを使用する。


▲ Loncoln Center 前の広場にはたくさんの人が行列に並んでいるのだが、それはこうやって David Blaine がファンサービスをしてくれるからのようだ。


▲ 時間をおいて夜にLincoln Center に戻った時に撮ったもの。手前右側にいる人は、ずっとこの水槽タンクから離れないので、David Blaine チームのスタッフなのだろう。
そのスタッフ、決して背が低いワケではないのだが、David Blaine と並んでいるとどうしても小さく見える。逆に David Blaine が巨人に見えるのは、水がレンズの役目を果たしているからなのだろう。


下に紹介した公式サイトや、ここの写真を見ると手は完全にふやけてしまっていて、爪の色なども完全に変色している。
なんだか本当に大丈夫なのか心配だが、本人は事前にリハーサルをしているはずだ。みんなが気になる「食事」と「トイレ」だが、これは別のパイプが用意されるらしい。
僕らが見ていた数十分の間は一度もそのパイプが使われることは無かったが、一体どんな風に摂取と排出をしているのか気になるところである ( え、気にしたくない? )。もちろん同じパイプで行うわけはなく、またいくらなんでも衆人環視のもと、透明なパイプで行うワケはないと思うが、この水槽タンクの下部に、二つの大きなアウトレットがあり、そこに外から大きなパイプが設置されているのが見えた。おそらく必要なときに David Blaine が中から管を引きだして、使用するのでは無いかと思うのだが。

食事とトイレの他に気になったのは睡眠である。
深夜は見に行かなかったので、もしかしたらライトは消され、タンクには布がかかるのかもしれない ( 現に日中は暑い日差しを避けるべく上に白い布がかかっていた )。それでも口にレギュレータをくわえたまま、果たして人は寝ることができるのだろうか? もしそれが可能なら水の中で寝るのは、まさに 「 ウォーターベッド 」 であり、体には良いのかもしれない ( 笑 )。


さて今日で水に潜って一週間が過ぎた。今日アメリカ東部時間の夜8時に生中継で紹介されることになっている。
せっかく本人を近くで見ることができたのだから、僕もテレビの中継を通して最後まで見守ることにしよう。


公式サイト

http://www.davidblaine.com/

subway.jpg


数年前にアメリカで一足先に公開され、すでに DVD も発売されているフランス製アニメーション映画、「 The Triplets of Belleville 」 というのがあるが、きっと知っている人も多いだろう。

僕がこの映画を知ったのは一年か二年前に友達の家でこの DVD を見たからなのだが、フランス語のままアメリカでも吹き替えされることになくそのまま公開された。正確にいうと会話は多少あるのだが、全くといっていいほど会話がわからなくてもその描写のために何を話しているのかが頭の中で想像できてしまう、ある意味すごい映画だ。
そのアニメーションは昔のディズニー風でなければ、日本風でもなく、また最近の CG アニメとはある意味正反対のスタイルだといってもいいかもしれない。デフォルメして描かれた絵のせいでそれはノスタルジックにすら見える。
宮崎アニメとは違った意味でこちらも子供も大人も楽しめるアニメとなっているのだが、その中で特に登場人物の性格がいきいきと伝わってくることが僕が一番この映画の気に入っているところだ。
登場人物?の一匹として犬が登場するのだが、冒頭でこの犬の習癖についてかなりの時間が描写される。そのせいですっかりこの犬のことを全編通して愛らしく感じてしまうのはまさにマジックである。
さてその犬の習癖なのだが、主人公一家 - といっても少年とおばあさん、そしてこの犬だけなのだが - が住んでいる小さな一軒家は鉄道のすぐ横に建てられており、一日何度か列車が通過するたびに犬はそのでかい図体を引きずって鉄道を間近に見ることができる2階に登るのだ。そして列車が轟音をたてて通り過ぎる間、犬も一緒に遠吠えを繰り返す。
うちにも犬がいたが、やはり音楽をならしながら町にやってくる移動販売の軽トラックと一緒に遠吠えをしていたものだ。


さて舞台を New York の、それも現代に移すと実は僕のところでも 「 The Triplets of Belleville 」 さながらの風景が見られるのだ。
とはいってもうちに犬がいるわけではなくて、目の前の地下鉄が通るたびに高架下の車のアラームが誤動作をしてウーウーピーピーガーガーとこれまた遠吠えをするのだ。
本来誰かが車を揺らしたとか、窓ガラスを割ったとか、トランクを開けた、というような時にアラームが動作するものなのだが、おそらく高架を走る地下鉄のせいでその下の道が揺れているのか、これまた地下鉄が発生させる騒音があまりにも大きいため一定の音量で動作してしまうのか謎であるが、地下鉄が通り過ぎるたびに何台かの車のアラームが鳴り響く。
映画と違うのはこちらは New York の地下鉄なので朝から晩まで、24時間走り続けており、しかもラッシュアワーは数分おきにやってくるのでこの車の遠吠えの回数は遙かに多いのだ。

幸いなことに僕の部屋からは地下鉄の騒音は聞こえてもこのアラームは建物が間にあるせいでそれほど気にならない。
加えてアラームは数分鳴ると止まるので角を立てるほどのことでもないのだ。

ちなみに数分でアラームが止まるようになったのは最近のことで、僕が初めて New York の土を踏んだ20年ほど前は、街の騒音に圧倒されたものだ。
東京から来た僕が、警察、救急車のサイレン、そして道に止められた車から止まることなく鳴り続けるアラームに驚いたのだから、昔は如何に New York という街がうるさかったかわかるというものだ。
New York での街の騒音が抑えられるようになったのは現市長ブルームバーグによるところが大きい。かなり厳しい騒音条例のため車のアラームは最大数分に限定されることになったし、最近では移動型アイスクリームのオルゴールが奏でる軽やかな音楽も販売中は鳴らしてはいけないと定められた。
そもそもの案では移動中でもあの音楽を鳴らしてはいけない、というものだったが販売業者の反対 ( とたぶん市民も移動中くらいは良いだろうと反対したのかもしれない ) したことで車を停止したら音楽を止めるという妥協案で一致を見たのだった。
近いうちに NY市では車のアラーム自体が禁止されるだろうという予想がでているが、それはそれでやりすぎなのかもしれない。

少なくとも僕は地下鉄が通るたびに聞こえていた車の遠吠えを懐かしく思い出すに違いない。


さてこの映画のことを調べていておもしろいことに気がついた。アメリカでは公開時のタイトルが 「 The Triplets of Belleville 」 となっていてフランスでは 「 Les Triplettes de Belleville 」 となっている。これだけ見ればアメリカでのタイトルはフランス語の直訳ということがわかる ( Belleville の三つ子姉妹 )。
ところが英国ではこのタイトルが 「 Belleville Rendez-Vous 」 となっているのだった。Belleville の後の言葉が英語でないのはわかったが、はて何だろうと思っていたら、どうやらこれがいわゆる 「 ランデブー 」 ということに気がついた。
はてランデブーというほどロマンチックなデートではないけれど、なぜかこのタイトルの方が映画の雰囲気が合っているようで僕は英国のタイトルの方が気に入った。フランス語がタイトルに活かされているのがその理由かもしれないが。
同じ英語圏でタイトルが違うというのも、おもしろいことである。
まだ見たことがないという人は、是非一度ご覧あれ。

何も LA に来てまで映画館に足を運ばなくても・・・と思うのだが、話が「Star Wars」ともなるとちょっと別で、大ファンでなくとも新作は気になる。なんといってもこれで Star Wars の映画は最後になるかと思うと、それだけで「映画館で見ておかなくては」と言う気持ちになってしまう。

人によって Star Wars 度は差があると思うが、僕の場合は「全作映画館で見た」という程度で、うちにはグッズのたぐいは一つも無い。DVD も後半3部作 ( 時代設定はさかのぼっているが ) のうち2つのエピソード分を所有しているくらいだ。
なので前半3部作の細かいストーリーを忘れてしまい、今回の完結編を見た後は友人と足りない記憶を補わないといけないほど。

これまで新作映画といえば金曜日の夜に公開、というパターンが多かったが、スパイダーマンだったか X-MEN だったか、このあたりから公開日が平日に設定されるケースが増えてきた。こうすると公開日3日間だかなんだかの記録が破りやすいのだという。
Star Wars もその例外ではなく、全米で水曜日から木曜日に変わる深夜12時に公開になった。熱烈な Star Wars ファンは各地の映画館に泊まり込みをしたようで、Manhattan でもそんな人たちの様子を見かけた ( New York はまだ肌寒いので中にはテントをストリートに張っている人も。)
公開直後に劇場に足を運ぶと、こういった熱烈なファンたちが各シーンでヤジを入れたり、口笛を吹いたり、拍手をしたりとそれぞれ「熱のこもった応援」をするので僕自身は公開日になんて行かないぞ、と思っていたのが、今来ている LA ですることが無く、夜の部でもチケットが取れると言うことで結局見てしまった。
案の定、ヨーダの活躍や、ダースベイダーが現れるところではかなりの拍手喝采があったが(笑)。
大娯楽作品と評されて、文芸作品ものと一線を画すように批評されるタイプの映画だが、絵空事だからこその難しさがあり想像力と細部に対するこだわりがなければできない映画だと僕は思う。
僕はこの映画から得られる絵空事のワクワク感に惹きつけられているのだと思う。

ところでもともと Star Wars がこの世に現れたとき、全部で9本の映画になる、と聞いた記憶があるのだが、僕の覚え間違いだろうか。
前半3部作のあと後半(くどいようだが、時代設定は過去のものなので、Star Wars 開戦前の時代設定 ) 作品は世の中に出るまでかなり時間がかかり、僕などはもう作成しないんではないかと思っていた。
ところがどっこいちゃんと映画撮影は再開されて、時代設定を過去に戻しての Star Wars Episode I、II、そして今回のIIIが続けて公開された。

商業的に巨額の資本が動いているとはいえ、その時代毎の SFX の最先端技術を用いて、話のクオリティを維持し続けるのはものすごいパワーが必要で、まさにライフワークといっても良いのではないだろうか。
少なくとも僕は10年以上にもわたって一つの事に取り組んだことが無いので、どのくらい大変なのかは予想もつかない。

悪の権化として描かれながらもダースベイダーがこれほどまでたくさんの人を魅了してきたのか、その理由は今回の作品を見るとわかるのではないだろうか。
そういう意味では悲しい映画であるし、これで Star Wars が終わってしまうという事実もセンチメンタルである。
( LA にて )

よほどのことじゃ動じない New Yorker たが今回は見る者の度肝を抜いた。
今月12日、Central Park 全体がサフラン色に輝いた。

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制作 : Christo and Jeanne-Claude 夫妻
タイトル : The Gate

Central Park 全体をアート会場と見立て、New York 歴史上最大のパブリックアートが開催されているのだ。
New York はもともと街中にパブリックアートが多い都市でもあるし、特別プロジェクトとして NYC Cow Parade なども記憶に新しい。
今回も New York を舞台にしたパブリックアートの1つなのだが、舞台は Central Park のみで、しかもその表現は無数ものゲート、それも公園の中に自然には存在しないような明るいオレンジ色の旗が翻る大きなゲートが公園内の歩道にくまなく設置されたのだ。

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もちろん市民に内緒で準備していた、というわけではなく公園の中には早くからゲートを設置するための鉄製の土台が1~2メートルおきに配置され、散策する人が躓いて転ばないようにブラスチック製の赤いスティックが注意を促していたので、一ヶ月くらい前から気が着いていた人も多い。
またこれだけの数のゲートとそのゲート1つずつに取り付けられるオレンジ色の旗を作成するには時間がかかり、この様子はニュースでも取り上げられていた。
公園内のあらゆる場所に設置されるとあってこの準備は Manhattan では出来ず、Queens の僕の近所の巨大スペースを借りて作業しているということだった。

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12日当日、昼過ぎに Central Park に到着。曇天。
青空の方がオレンジとの対比が面白そうだが、低くたれ込めた曇り空の下でもオレンジ色は意外によく映える。
もちろんこの日が初日と言うことを知っていたので僕もいつものカメラに、広角と望遠レンズを持ち出して行ったのだが、地下鉄駅から地上に出て驚いた。冬の灰色した公園がまるでオレンジ色の花を咲かせているか、公園自体が花壇の様にも見えた。

もう一つ驚いたのは一度にこれだけ沢山の人が Central Park にいたのも見たことがなかった。
僕もその1人だから何とも言えないが、ほとんどの歩道を人が埋め尽くし、彼らの手や首からはデジタルカメラがかかっていた。

gate03.jpg

もちろん大半の人は家族や友人と連れだってアートを見に来ているのだが、いつもと違ってこの日はフォトグラファーの人たちも多く、公園の中で撮影をしているといろいろな人と話が出来た。
僕などは「300mmなんて望遠使わないだろう」と望遠レンズは EF70-200mm ズームを持って行ったのだが、話をした写真家の1人は400mmのレンズを持ってじっくりと三脚に据えて写真を撮っていた。
背中に背負った鞄には「FRA → JFK 」と航空機タグが着いたままだ。「ドイツから来たの?」と訪ねると、僕よりも Thick なアクセントそのままに ( 恐らくドイツ人なまりなのだろう )、この Claude 夫妻 のアートの写真を撮るためだけに New York を訪れているのだという。

この夫妻の名前を聞いてピンと来た人もいるかも知れない、実は何年も前に日本でも彼らはパブリックアートを行った。確かこのときのタイトルは「 Umbrellas 」だったのではないかと記憶している。
他にも友人から指摘されて思い出したのだが、彼らは、米マイアミ沖に浮かぶ小さな島のいくつかを舞台に、海岸に大きなピンクの記事を浮かべ、上空から見ると島がピンクの珊瑚礁に囲まれているかのように見える大きなプロジェクトをやり遂げたこともある。

フランクフルトから来たこの写真家は「彼らの作品を実際にこの場で見られてとても幸運だと思う」と言っていたが、外国からこのアートを見に来ていたのは彼だけではなかったようだ。
400mmのレンズを携え ( 他にもいくつ持ってきたようだが) 、New York 入りした彼の意気込みを感じて、「パブリックアートだから、このレンズでいいかな」などと安直に判断した自分がちょっと情けなかった。

こうして夫妻の手により実現したプロジェクトが、また別のアーチスト達によって異なる次元のアートに昇華していくところが、パブリックアートのよいところでもあるのだろう。
こうして見に来ている人も写真を撮りに来ている人も知らず知らずのうちに自分がパブリックアートに参加してることになるのだ。

gate04.jpg

これだけの規模のプロジェクトなので、のべ距離やいくつのゲートがあるか、なんてのは体感するためのアートとしてはあまり関係のない話なのだろう。それでも沢山の人が尋ねるとあって公園内にボランティアが設置した臨時案内所にはこう書かれていた。

のべ距離 23マイル ( 約36.8km )
ゲート数 7500

国や市、企業からの縛りを受けたくない、という彼らの想い「 Freedom 」がこのパブリックアートの根底にあるとのことで、こういった団体からの支援は全く受けていないのだそうだ。それでいて制作費用は2100万ドル、つまり20億円ほどかかっているのだから個人のパトロンが沢山いるということなのだろうか。
構想~交渉は26年もかかって実現したこのプロジェクト、当初は NY 市も不許可にしたらしい。それからさらに10年以上経ち、現 NY 市長と夫妻が個人的にも親しいことから話がトントン拍子に進み、実現にこぎ着けられた、とのことだった。




この日、気が着くと10人以上もの見知らぬ人たちと会話をしていた。
ほとんどは地元、New York に住んでいる人たちだったけれど、ここに来て自分の目で見るまではこのアートが公園にふさわしく無い、と感じていた人が多かった。ところが来てみて自分の考えが間違いだった、と口々に言う。ある人は「 この色は Zen の色。これは Zen への沢山の門なのよ」と言い、ある人は「最初はこれだけのお金をかけると聞いて馬鹿らしいと思ったけど、来てみてそう思ったのが恥ずかしい」という人も。

皆これだけの大きさのアートを目の前にして、何か自分の気持ちを伝えねば気が済まないかのようだった。独り言を話すようにしてつぶやくとすぐ隣の人がコメントを返す、するとまた別の人が話に入ってくる・・そんな風景があちこちで見かけられた。
それまで見知らぬ市民同士がたまたまそこに居合わせたことでコミュニケーションが始まる・・・もちろんこんなミラクルが起こることは Claude 夫妻はお見通しだろう。
「ここに来る人のマインドを大きくしたい」
そんなことを夫妻が話していたのをどこかで耳にしたが、1人1人がいろいろな形で受け止め、人と人が交わりあって新しい考えが生まれていく・・・まさに人々のマインドがどんどん広がっていく様子を僕も目の当たりに出来た。

上にも書いたように僕自身がパブリックアートに参加するために、僕もこのブログで紹介することでわずかながら尽力に勤めることにした。

会期はとても短く16日間のみである。一度見たからいいや、などと思わず僕も何度か出かけてせっかくの機会を享受したい。

gate10.jpg

夕方、帰宅途中に地下鉄を待っていた高架駅で、真っ正面に不思議な夕焼けが見えた。
僕にはこれが「 The Gate 」と同期しているように見えて仕方が無かった。

Christo and Jeanne-Claude

The Gate 公式サイト
http://www.christojeanneclaude.net/tg.html

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