つい先日、といっても一週間ほど前のことになるが、少々不思議な体験をした。
New York での生活が長くなるにつれ、さほどのことでは驚かなくなっており、ときおりそんな自分に気付き、それほどまでに無関心か鈍感になったのかと驚いたこともあったが、最近それすら驚かなくなってきている ( ちょっと話がややこしい )。
その不思議な体験は、地下鉄で起きた。
Manhattan での一仕事を終え、自宅に向かう Subway N ラインに乗って帰宅しようとホームで Uptown 行きの電車がやってくるのを待っていた。Union Sq.駅のことである。
夕方の混み合う時間ではあったが、東京の通勤列車がそうであるように、こちらでも夕方の電車は朝ほど混まない。帰宅せずにどこかに立ち寄る人もいるから、分散しているのだろう。
その割には本数も多いのでたいてい空席があるか、数駅乗っていればすぐに空席ができるほどである。たまたま前の電車と運行間隔が空いたときなどは異常に混むこともあるが、朝に比べると夕方はそれほど遅れることがない。
ところがこの日はちょっと事情が違った。
ホームで待っていたときにはすぐ近くに7~8人の人がいたから、一つ前の電車が発ってから少なくとも数分は経っていたのではないかと思う。
ほどなくして地下鉄が風を切って入ってきたのだが、その速度が遅くなるにつれ通り過ぎる車窓から中の様子が目に入ってきた。
そうやってパッと認識できた前の車両にはそこそこ人が立っており、少しばかり混雑しているのがわかった。
そうして完全に地下鉄が停止したのだが、僕はちょうど止まった車両の真ん中あたりに経っていた。
New York の地下鉄は日本のそれと違ってドアの前に線など引かれておらず、どこに止まるかは毎回ずれがある。がその日は僕の目の前に扉がやってきた。
電車が止まったあと扉が開くまでの微妙な一瞬に車内の様子が見えたのだが、降りる人は誰もいないようだ。
扉が開いて車内に入ったのだが、妙なことに無人の車両だったのである。
実はそのことに気がついたのは最初地下鉄に最初の一歩を踏み込んだときで、どの椅子に座ろうかなと左右を見渡した際にだれも地下鉄にいないことになんだか変な胸騒ぎを感じたのだ。
そうして今度は前後車両を連結ドア越しに見ると、どちらも人が立っているのが見える。それは乗り降りする人だったのかもしれないが、それに引き替えこちらは最初から無人で、僕が座った頃に数人の人が入ってきただけで、彼らも不思議そうに車内を見ている。
始発でもないのにその車両だけ人が少ないのには理由がある。
日本だと酔っぱらいの落とし物なんかでそこだけ人がいなくなるのと同じように、こちらでもホームレスの人がかなりきつい匂いを発しているとその車両から移動する人がいる。
また真夏の暑い日にその車両だけエアコンが壊れている、なんてことがあったりして、移動していく人もいる。
がどちらにせよ全員が移動してしまうことは少なく、しかも今回はそのどちらにも当てはまりそうにない。
次々と乗り込んだ客はお互い言葉は交わさずとも、「 なんか不思議だね 」 と目で会話しているかのように目線を交わしていた。がどこからともなく感じるその不思議な空気は別の所にもあり、僕らの視線は下に向かった。
僕の目の前の長椅子に座った乗客の左側に、分厚いハードカバーの本があった。と思ったら目の前の人も僕の右側を見ている。その視線に気がついてみるとここにも本が置いてあり、彼はそのタイトルを読もうとしていたようだった。気がつくと車内の長椅子のすべてに本が置いてあり、その車両に入ってきた総勢5人は 「 これはなんだろう? 」 と独り言にも似たような言葉を口にして、それぞれ本を手元に取ってパラパラとめくり始めた。
置いてあったのは書籍だけで、雑誌はなく、またその本はすべてバラバラだ。タイトルも作者も関係無いようで、僕が手にした本は全く汚れてはいないものの、誰かが読んだ後が感じられるような本だったので、中古書のようだった。
誰も乗っていなかった車両に、本が置いてある椅子・・・と来ればどこかにカメラかなにか仕掛けてあり、僕らの反応をビデオに撮っているんじゃないかなどと変に勘ぐってしまったが、当然カメラらしいものはどこにも見あたらない。
実はこのことが起きるちょっと前に新聞に面白い記事が載っており、それとどこか似ていると思った。
斜め読みだったので細かい所は記憶が不確かなのだが、たしか Brooklyn を出発した地下鉄で、アーチスト一団が乗り込み、地下鉄車内を家庭のリビングルームさながらに飾り付けをした、というものである。
窓にはフレームをつけたり、広告が貼られる壁にもフレームをつけたり名画に張り替えたりと、かなり本格的なものだったようだ。
ここが New York らしいのだが、途中警官だったかMTA職員が見かけたにもかかわらず、特に注意をうけるでもなく完成させることができたらしい。
その後のMTAのコメントも割と寛大なもので 「 面白い試みだが、安全上の理由で取り付けたものは撤去せざるを得ない 」 というようなものでなかったっけ?
そんなニュースを読んだばかりだったので、これも何かの試みではないかと思うのだが、どんな意図だったのかは、結局僕にはわからなかった。もしかしたら一週間遅れのサン・ジョルディを企画した一団の仕業だったのかもしれない。
( サン・ジョルディに関しては知人が書いているココが詳しい )
いずれにせよ、真相はわからない方がこういう事は面白いものである。あまり詮索をしてもつまらない。
せわしない都会ではお互いに非礼をなんとも思わなくなることが多く、それだけにこんなことが余計にほっとさせられるのではないだろうか。










