1999年12月アーカイブ

ちょうど今、NBCテレビでは Times Square からの生中継をしていて、まもなく迎えるミレニアムの様子を人々の熱狂と共に伝えてきている。

クリスマス当日の近所の様子。日本の正月の様にひっそりと静まり返っている。

年末から年明けにかけてはどこも Y2K のことが話題になるだろうが、僕が勤めている会社も多分にもれず Y2K 対策のようなものを行おうとしている。そのため今年は大晦日の31日の夜まで仕事が入ってしまい、日本への帰省はおろかTimes Square のカウントダウンは見に行けそうもない ( 人込みがすごいと言うのでそれほど見に行きたいわけでもないが )。そのほか1/1~1/3の、日本でいうところの三が日に出勤を割り当てられた同僚もいるが、例年になく休日出勤の人が多いため、社内のジムもカフェテリアも1/1から営業するほどだ。
こうしてみると元旦は Y2K 問題があるから、通常に近い形でコンピュータ会社は待機している、ということもあるが、クリスマスに比べて元旦のなんとそっけないことか。
日本人の僕としては、少しくらい日本の正月の雰囲気を感じてみたくもあるが、周りが平静なのだから普段の週末のような過ごし方を擦ることになりそうだ。

年末までいつもとかわらない出勤で、大掃除も三本締めもないので、僕のホームページで「今年を振り返って」なんてテーマも考える暇もなかったが、今こうやってミレニアムを迎える瞬間の Times Square の生中継を見ていて、少しだけ「とき」の変わる瞬間を感じている。
まずはこの三が日になにか今年の抱負でも考えておくかな。

引越し顛末記

・・・前回からの続き。
24日、25日はクリスマスで不動産屋も休みだろうとアパート探しを一時休止。
26日になり、さっそくくだんのアパートを見に行く。不動産屋が「部屋の鍵を開けておくので、アパートに入る扉のセキュリティロックは super の部屋の呼び鈴を鳴らして開けてもらって、勝手に見ていいよ」と言っていた物件だ。
あらかじめ聞いていた住所をたよりに、車で近くまで行き、路上駐車。このあたりは Avenue と Street の番号で住所が表示されるので簡単にそのアパートビルディングを見つけることが出来た。4F建てで外壁は煉瓦つくり。すぐ隣りは教会だった。
早速表の扉を開け、次の扉の横にある部屋番号リストの中から 4C super と書かれているものを見つけ、横のボタンを押す。ほどなく目の前の扉のブザーが「ブー」となり、扉のロックが「カチッ」という音ともに解錠された。早速目の前の螺旋状なっている階段を4Fまで登り、4F に住む super の部屋のドアの呼び鈴を鳴らす。ドアについている覗き窓から誰かが見ていた気配があってすぐに扉が開き、中から小学生くらいの女の子とその母親らしい人が出てきた。不動産屋から言われた事を説明すると「おかしいわねぇ、その部屋はすでに借りてが見つかったって聞いていたけど」と言われる。「不動産屋に今日来るように言われたんだけど・・・。部屋の鍵も開けてあるから自由に見ていいよとも言われているし」と説明すると、「それならあなたのことを話していたのかしら?とにかく扉が開いているなら、自由に見てきていいわよ」と言われる。空室の部屋は 3C だからちょうど管理人家族が住んでいる部屋の真下だ。各フロアには4つの扉があり、どの部屋も角部屋になるように作られているのは、採光の面からも良かった。
玄関のドアを開けると短い廊下がありその奥にはキッチンがあった。改装後ということもあってキッチンは床から壁から新品で、ディッシュウォッシャーもビルトイン型だった。コンロはガスでこれも○ ( 電気はきらいだ )。
廊下に戻ってそのまま行くと10畳くらいのリビングルーム。窓は二つあり、そのどちらからも横の教会が見える。角にはスチーム型のヒーターが備わっており、シューシューとやかましい音を立てている。その横にはバスルームとベッドルーム ( 8畳くらい ) があり、どちらも改装した直後できれいだった。ただしベッドルームの目の前は Aveune なので車の発進停止の音が窓を閉めていても気になった。また寝室もリビングもフローリングの床で、階上の人の靴の足音が気になるはずだった。上の人が靴を脱ぐ習慣なら気になることはないだろうとは思うが、案の定少し経つとやはり「コツコツ」という靴音が響いてきた。
結局のところ、部屋そのものは気に入ったものの、階上の靴音、通りの車の騒音、それと隣りが教会ということで日曜日の鐘の音がきになるのかな?と思い、答えは保留させてもらった。
今決めてもらわないと、次の人が見て気に入ったら貸してしまうけど・・・ととは言われたが、そのときは巡り合わせが悪かったのだと思うことにし、あえて手付金を払うことはやめておいた。
幸い、翌日月曜日も会社は休みなので別の不動産屋にもいくつか物件を見せてもらうことになっていたのだ。

今年、僕のホームページを見たと言ってメールをくれた方もたくさんいました。
また僕自身も皆さんのホームページを拝見させてもらいました。インターネットを通じて近い友人、遠い友人もたくさん出来、僕の生活の上でインターネットの利用がより一層幅広くなったような一年でした。
それでは皆さん、よいお年を。来年もよろしく。( 日本の皆さんは、あけましておめでとうございます )

前回の更新は予想外の出来事で、本来はこちらを載せるつもりだった。アパートの方は2ヶ月の延長をするのでその間になんとか部屋は見つかることだろう。引越しに関してのトピックは番外編として各更新時に後半の部で紹介の予定 ( 今回第一弾。 そこでのテーブルタグの使い方はイリノイに住む友人のかずおさんのホームページの HTML を参考にさせてもらいました。かずおさん見てますか? )

Pennsylvania に行ったときに友人が近所の造園屋に連れていってくれた。綺麗なクリスマスの飾り付けが評判なのか、わざわざ車で乗り付けて見に来る人が絶えない。

日本から遅れること10数時間、ここ New York でも今年のクリスマスが終わり、あとは2000年を迎えるだけとなった。僕もクリスマスの休暇が終わり、新年までは通常出勤だ。
前回ちらっと書いたように、今年のクリスマスの1週間前に Pennsylvania まで友人に会いに行ってきた。僕の住んでいる Long Island からは Long Island Expressway という高速道路で Manhattan に入り、Holland Tunnel を通って New Jersey 州に。New Jersey Turn Pyke という高速道路を通り、途中 Pennsylvania Turn Pyke 高速道路に乗り換え、友人の住む小さな街へちょっとしたドライブ旅行だった。
この友人の住む町に行ったのは今回が初めてではなく、今年の夏、独立記念日にもやはり車を運転して遊びに行った。このときはすき焼きをしたのだが、今回はしゃぶしゃぶをということになり、やはり僕が Flushing ( Queens区 ) のチャイナタウンのオリエンタルスーパーマーケットでしゃぶしゃぶ用の薄切り牛肉としゃぶしゃぶのたれ、ごまだれとトウバンジャンをそれぞれ購入。ついでに買い物途中に生鮮食料品売り場で見つけた日本と同じ梨 ( つまり洋梨でない方 ) を見つけ、韓国産だったが購入。
この日は友人の yamajun さんも参加したいと言うことで、Mahnattan から Flushing まで地下鉄で来てもらい、チャイナタウンで昼食を食べ、買い物を手伝ってもらったのだった。
そのあと一路、Pennsylvania ・・・とは行かず、Manhattan に入ったはいいが、今度は Manhattan から New Jersey に抜けるトンネル Holland Tunnel で渋滞につかまり、全然動かず。おまけに後ろを運転していたおばさんに僕の車の後ろをこすられるはでイライラは最高潮に。幸い車に付いた傷は対したこと無かったので ( この辺がもうアメリカ的あきらめ )、そのままトンネルに入っていった。なんとか New Jersey 側に出ると、そこは途端にガソリンが安くなっているので、Pennsylvania に行く前に給油。さらに近く ( Jersey City ) に住んでいる友人の所に立ち寄って、以前貸していたドリームキャストを受け取る ( 先に立ち寄った Flushing のゲームソフト屋で ROM 交換すれば日米両方のソフトが遊べるようになる、と聞いて改造しようと思っている )。この友人もクリスマスと正月は両親のいる Miami で過ごすとのことなのでドリームキャストで遊ぶこともないとのことだったのだ。
このときすでに5時を回っていた。ここから友人の住んでいる所までは1時間半ほどかかるので、夕食の時間ちょうどに着きそうだ。
あとは平坦な有料道路、New Jersey Turn Pyke と Penn Turn Pyke を通り、夏に遊びに来た時に覚えていた景色を頼りに、友人のアパートになんとか到着。
このあたりは一軒家が多く、どの家も庭の植木や建物にクリスマスイルミネーションを点けている。中には庭にトナカイやサンタの光る人形などを配置して、冬のクリスマスの夜を飾っている。
友達と言えば・・・まあ日本人だからそんな習慣があるわけでもなく、夏に来たときと変わらずいつものとおり。
この日のメンバーは他に元同期のともこさんもいて、仕事の話や各自が運営しているwebページのこと、英語の苦労話で花が咲き、しゃぶしゃぶを食べているうちに気が付くと朝の5時。あわてて解散して、女性陣はともこさんのアパートに移動。僕は友人の部屋で就寝。
翌日は友達が Philadelphia に連れて行ってくれたおかげで、前回見ることが出来なかった美術館も周れた。
なんだかクリスマスパーティと言うよりは忘年会と言った雰囲気だったが、やはり外国で日本人で日本語だけで話す時間というのも心地よいひとときだった。

フランというカリブ海、中南米のスパニッシュ文化圏で食されるデザート。これは11月にPuerto Ricoに行ったときに友達のお母さんが作ったもの。

アメリカで純和風なクリスマスパーティ、いや忘年会をしていた一方で思い出したのが、Puerto Rico のクリスマス。
先月末に Puerto Rico に行ったときのこと。
僕の旅行記ホームページで Puerto Rico については紹介中だが、この国 ( 正確には島 ) はスペイン統治時代の文化とアメリカの現代の文化が融合しながら独自の文化を持つ島で、もちろん Thanksgiving Day も祝うし、バプテストやカソリックの多いこの島ではクリスマスも大きな行事なのだ。
僕が Puerto Rico に着いた日が Thanksgiving Day だったので、その翌日から、アメリカ同様あちこちにクリスマスの飾り付けが始まっていた。それらの多くはやはりどこでも見られるようなツリーなのだが、常夏の島では生木では維持が難しいようで、たいていフェイクツリーだそうだ。またクリスマスツリーに雪を示すようなものが無いのも Puerto Rico らしい。クリスマスといってもオーストラリア同様、雪と無縁の真夏に迎えるからなのだろう。
食事の習慣はアメリカ同様チキンやターキーの他、地元独特の料理が並ぶ。代表的な料理の一つとしては豚の丸焼き ( そういえば昔イギリスで小さな町の祭りで見かけた ) で、各家の庭で時間をかけてじっくり焼くそうだ。
また Pasteles という料理もクリスマスのみのものらしい。Plantain という巨大な緑色したバナナを材料とし、マッシュドポテトのようにすりつぶし、中には豚挽肉などを入れ、葉っぱに巻き、それを蒸すのだそうだ。

今回写真を紹介しているのは Flan というデザートで、Puerto Rico のみならず南米の国々においても代表的なデザートの一つではないかと思う。
見た目が似ているように、日本で言うところのプリンに味も似ている。ただし種類がいろいろあって、バニラフラン、ココナッツフラン、チーズフランなどがあり、どれもプリンと比べると味に重量感があり、たくさんの食事をした後ではちょっと食べるのがつらいかもしれない。なかでもチーズフランはどっしりと胃に来るので、食べるのは腹八分目のときでないと美味しいと感じる以前に、しつこい、と感じてしまうことだろう。僕は個人的にバニラフランが好きだけど。
このフランもクリスマスなど特別な時にデザートとして家々で焼くそうだ。

また郊外で続く習慣として、クリスマスの日にはバンドがやってきてクリスマスソングを演奏して歌ってくれるのだそうだ。何曲か歌うと隣りの家に行き、そこでまた何曲か披露するそうだ。家々では飲み物や食べ物でそのバンドの人たちをもてなすのが習慣だとか。
音楽と言えば、一度車の中で、FMラジオでかかっていた陽気な曲を指して友人が、「この歌は Puerto Rico のクリスマスソングだ」と言った。このとき車内にはもう一人日本人の人がいたんだけど、つい日本語で「この陽気なラテンの音楽はどう聴いていもクリスマスソングらしくないよね」と笑って話してしまったほど。

今年は見ることは出来なかったけど、いつかこんな陽気な Puerto Rico のクリスマスを見てみたい。

引越し顛末記

・・・前回からの続き。
アパートを見に行った翌日の朝、出勤前にアパート敷地内にある管理事務所に立ち寄る。この日がアパートの滞在延長手続きの締め切り日ということで、ペナルティを支払わなければ自動的に退去の意思を表明してたことになり、何がなんでも月末に出なくては行けないとのことで、とりあえず2ヶ月分のペナルティの小切手を切ってきた ( 23日 )。
その後仕事から戻って New York Times web サイト の classified ( 3行広告のようなもの ) の Real Estate 欄でよさそうな物件を見つけ電話する。web サイトに掲載されていた番号は pager の番号で、僕の携帯電話の番号を残すとほどなく電話がかかってきた。不動産屋のいうことには、「現在部屋の内部を改装中なのと、クリスマス休暇なのでクリスマス後になら見せられる」。
早速26日日曜日に見たいというと、「じゃその日はアパートの部屋の鍵を開けておくから、自由に行って見て下さい。アパートに着いたら部屋番号4Cに住む super ( 管理人 ) の呼び鈴を鳴らして、建物に入れてもらって下さい」と言われる。
他にもこの週末にいくつかの物件を見たい思い、web サイトに載っている不動産屋に電話し留守電にメッセージを残しておく。


ロックフェラーセンター前のクリスマスの写真の続きだとか、週末 Pennsylvania に行ったときの話だとか、Puerto Rico のクリスマスについてだとか・・・について書くつもりだったのだが、予定を変更して引越しのことを書かなくてはならなくなった。日本は師走だし、アメリカはクリスマスだというのに、僕はホームレスになるかもしれないのだ

本文と関係無い写真です。ロックフェラーセンター前の広場。下はアイススケートリンク。
週末に訪れた Philadelphia の様子。冬の空気の透明さがこの写真で伝わるといいんだが。この写真もあまり本文に関係ありません。

18日、19日の週末は Pennsylvania 州に住む友人のところを訪ねていた。彼らは僕が日本にいたとき、正確には大学を卒業して-僕が新卒で入った会社の同期で、今長~い出張で Pennsylvania 州に住んでいるのだった。
まあそんな話を書こうと思っていた矢先の21日、午後3時ごろ自分の席で仕事をしていると電話が鳴った。ベルの鳴り方で外線ということはすぐにわかった ( 会社の僕の電話には caller ID が付いていないので誰からかはわからない )。
電話を取ると僕の住んでいるアパートの管理会社の女性からで、「今月末であなたのアパートのリース契約は切れますが・・・」と言う内容で、僕が予定通り退去可能かどうかの確認の電話だった。
最初は耳を疑ったが思い当たる節はもちろんあった。今のアパートには1998年の1月に入居していて、昨年の12月に更新の手続きをしていた。僕はてっきり2年の更新手続きをしていたと思い込み、確認してなかったのが大失敗だった。

ここでアパートのリース契約について簡単に説明すると・・・
契約は年単位で行うのが一般的 ( もちろんオーナーの裁量でどうにでもなり、一軒家を改造してその中の一部をアパートとして貸している場合などは特にフレキシブルな条件を得やすい ) で、途中で退去することも出来るがその場合は、契約書に書かれているペナルティに従わなくてはいけない。これもいろいろなケースがあるが、「次の契約者が決まるまでの家賃の全額負担」とか入居時に預けた「セキュリティを退去時に返さない」( 多くは家賃2ヶ月分 ) などとなっている。
更新も新規契約時と同じく年単位で行うのだが、このとき1年単位の更新だと家賃が毎年あがることもありえるのに対し、複数年単位で契約するとその間は家賃が固定されるのだ。
で去年の11月頃新しい契約更新の書類が郵送されてきて、その年の家賃が$40もあがったものだから、「よし今回は2年単位にしよう」などと思った ( ような気がした ) のだった。でずっと長い事、つまりは今まで僕は2年で契約していたと思い込んでいた。
ところが最近 ( 11月頃 ) 違う場所に住むのもいいかな、と思い始めアパート探しをしはじめたところに、上に書いたようなペナルティの事が分かって、「あと1年契約残っているし、2ヶ月分の家賃をふいにするのももったいないぁ」とアパート探しの意欲も消沈気味になり、12月になってからはすっかりあきらめていたのだった。
そこにきてこの電話で絶句。この時電話で管理会社の人に「契約更新のレターを貰わなかったけど」と尋ねると「昨年契約したときにあなたは1年の延長と書いてきたから・・・」と言う。で「実際に次回の更新時は出ようと思っていたが、今はじめて聞いたので引っ越し先も決まってない」というと「それじゃ更新ができるか、もしくは一時延長ができるか上司と相談してみる」と言う事になった。

このままじゃ New York の真冬の空の下、正真正銘のホームレスになってしまうかも、なんて思いながら、その間僕は仕事をしていてもちょっと落ち着かず、とりあえず New York Times と Newsday ( どちらも新聞社 ) のホームページからアパートレンタルの空室情報をプリントアウトして、電話してみた。その中の一件はまだ物件があるというので、22日の夜仕事が終わってから見せてもらう事になった。
そのアポイントメントを不動産屋と取っている間に僕の電話に先の管理会社の人が電話したようで、メッセージランプが点いている。そのメッセージを聞くと、23日までに申し込めば2ヶ月、もしくは3ヶ月の延長は可能と言う内容だった。ただし2ヶ月の場合は $200、3ヶ月の場合は $300 のペナルティを払う事になるとも言っていた。ということで22日にアパートを見て気に入ったら借りてしまい、今の所から年末に引っ越しする事になるかもしれない ( それができれば一番よいのだが。セキュリティも全額戻ってくるし、ペナルティも払わなくてすむし・・・)

冒頭に書いたようにまだ紹介したいことはいくつかあるのだが、落ち着いたら書こうと思っている。もしアパートが気に入って年内に引っ越すことにでもなれば、自宅からのインターネットアクセスもすぐには再開できないかもしれない。今は快適な CATV インターネットを利用しているが今引っ越し先として考えているところは2000年春にならないとサービスが可能にならないのだ。当面は電話によるアナログ接続か、可能なら ADSL のサービスを使おうかと思っているのだが、それでも電話が引けてからの話なのでどうなることやら。
1~2ヶ月今のアパートの滞在を延長してその間に部屋探しをすることになれば、まだしばらくはインターネットの利用も問題もないのだが。


・・・と上の所まで書いて、実際にさきほど物件を見てきました。以下は現在の状況です。

見てきた部屋は1BRと言って、キッチン、リビングルーム ( 場合によってはダイニングスペースがあるときも )、ベッドルーム、それにバスルームがあるタイプで今住んでいるのが同じく1BRなのだ。6階建てのアパートの2Fで、入った途端「あ、熱い」。
暖房が旧式のスチームの物で、シューシューとうるさい。しかもキッチンとリビングの間は仕切りがなくそれもちょっとマイナス。この物件は断ろうと思っているが、一番気になったのは部屋が2Fで防犯上ちょっと心配だったのだ ( 下からジャンプしてビルの横に付いてる非常階段から簡単に入って来れそうな気がした ) のと僕の部屋がアパートの真っ正面なので外の騒音が意外に聞こえるのでは、と思ったからだ。
なので仕方なくペナルティを払って2ヶ月は今の所に住む事にします。
その間にいい部屋が見つかれば出て行く事になると思いますが。

なんだかんだともったいをつけてなかなか紹介してなかった、今年のロックフェラーセンターのクリスマスツリーを紹介。

手前の木のイルミネーションとクリスマスツリーが重なって、クリスマスに咲く電飾の桜のようだ。
両脇に人間の身長ほどのクリスマスツリーが並び、奥に巨大なクリスマスツリーを望むこの位置では記念撮影が盛んに行われていた。

紀伊国屋書店は5th Avenue と 6th Avenue の間、49th Street にあるのだが、その目の前がロックフェラーセンターの広場で、そこには有名なクリスマスツリー、それにアイススケートリンクがあるのは以前も紹介した。
6th Avenue から書店に向かって歩いていくと人の数はどんどん増えて、店の入り口はまるで東京の朝のラッシュ時の駅のようだ。
ところが店に入るとそこはすっかり日本にいるかの様な錯覚にとらわれる。客のほとんどが日本人だし、最初に雑誌コーナーがあってそこで立ち読みしている人たちの仲間入りをして、雑誌を読み始めるころにはすっかりここが New York だということを忘れてしまう。
この日はコンピュータの雑誌をいくつか物色し、それから目当てのクリスマスカードを購入。ここでは雑誌や小説のほか、CD やビデオ、それに文房具などもそろえられるのだ。この間 Puerto Rico に行ったときもここで折り紙を買っていった。
今回は一つ$3弱の和風クリスマスカードを2つ購入し、早速店を後にしてもう一つの目当てであるクリスマスツリーの撮影に向かう。
昨年はオリンパスのC-1400Lというデジカメを使用し、今年はメーカーは同じくオリンパスだが、夜景に強くなったC-2000Zでの撮影だ。しかも去年は手持ちで撮影し、手ブレに泣いたので今年は三脚と付属リモコンまで持って臨んだ。
おかげで今年は去年と比べるとそれなりに撮れた物が何点か。ここで紹介しているのはそのうちの3つ。

ちなみに三脚を使って撮影していてるとセキュリティの人が来て注意を受けた。なんでもこの人込みなので三脚は使用禁止なのだそうだ。転んで足の骨を折るから、と言っていたがなんとも大袈裟な。まあほとんど写真を撮り終わった後だったので、気前良さそうに「分かった」と言って後片付けをしたのだが。

普段は順路なんて無いのだが、あまりの混雑に臨時のゲートが出来て、「ここは出口専用」などと書かれていたりする。順路通りに歩けばロックフェラーセンタービルを真っ正面に見て、その両脇に例年クリスマスに設置される光のオブジェを見る事ができる。がそこでの記念撮影は一苦労で、せっかくいい場所を撮っても目の前をひっきりなしに人が通るのでなかなかシャッターが押せない。
今年はその順路に入らずに横からのクリスマスツリーだけを撮ったのだが、それでもあちこちで記念撮影。ここで聞かれる言葉はほんとに世界中の言葉だった。New York に住んでいる人でもいろいろな人種がいる上に、この時期は世界中から訪れる観光客でいっぱいなのだ。








これが1999年のクリスマスツリーです。


今あちこちでクリスマスツリーを見る事が出来るけど、僕がはじめて海外旅行に来た10年以上も前に見たこのクリスマスツリーの思い出があって、僕にとってはこのクリスマスツリーが一番なのだ。

昨年のロックフェラーセンター前の様子はこちら。


行こう行こうと思いつつ、その人込みのすごさを予想してなかなか訪れるチャンスが無かったロックフェラーセンターに、やっとこの間の日曜日に行ってきたのだ。そのときに街のクリスマスの風景を撮ったので今回からクリスマスの写真を少しずつ紹介する。

Queens Boro. BridgeからManhattanに入って、そのままPark Avenueに入ると中央分離帯の木々にはイルミネーションが取り付けられていた。
紀伊国屋書店に行くためにこの近くで車を停めた。写真には2F建てバスが写っているが寒いにもかかわらずやはり2F席は大人気。

この土曜日はすごく寒かった。それでも紀伊国屋書店に用事があったら、「ついでにロックフェラーセンター前のクリスマスツリーも写真に撮ってこよう」というつもりでいた。
この日土曜日の夕方、会社の友達と食事をしようという予定になっていて、Queens の Flushing という街で待ち合わせた。以前にも紹介したがここはもう一つの China Town で Manhattan の China Town と比べると全般に物価が安く、レストランも値段は安いし、おいしいのだ。
夕方の6時に地下鉄 Flushing 駅の近くの図書館前で待ち合わせということだったが、みんな車で来た割にはほとんど遅れる事無く待ち合わせ場所に現われた。僕は珍しく2番目 ( 普段は後ろから数える方が早い ) に着いたのだが、それは手持ちの現金が無かったので、先に行って CITIBANK で現金を降ろすついでに、近くのゲームソフトショップで久しぶりに Dreamcast 用のゲームを買おうと言う魂胆だった。みんながまだ到着していない事をいいことに、最初に着いて待っていた友人に「銀行に行ってくる」と言って走って最寄りの CITIBANK に向かったのだが、冒頭に書いたようにほんとに寒かった。おそらく体感温度は氷点下だったと思う。
そのまま現金を握りしめてゲームショップに行って「日本製の Dreamcast 用のゲーム」と言うと「最近はあまり入って来ない」という。「いよいよ日本から送ってもらわないと行けないかな」と思っていたところ、店の人が「本体を持ってくれば$30でROM交換してあげるよ。日本とアメリカの両方のゲームが遊べるようになるから」 ( Dreamcast には Playstation のように Region Control があるのだ ) と言う。仕方なしにこの日は手ぶらで帰り、またもや走って待ち合わせ場所に戻った ( 長い時間外を歩くだけで耳が痛い )。
この日は Korean はメンバーにいないものの皆で Korean BBQ - つまり焼き肉を食べに行った。案の定お酒が入り、すっかり落ち着いてしまい、この日はクリスマスツリーの撮影を断念。しかもこの寒さではおそらくバッテリー切れ現象になるだろうと、すっかりあきらめモード。

そして日曜日、気を取り直して夕方 Manhattan へ。
紀伊国屋書店での買い物は、和風のクリスマスカードで、Puerto Rico でお世話になった友人に送るつもりのものだ。
Queens Boro. Bridge を渡って Manhattan に入り、Park Avenue を南下していると、中央分離帯の木々にイルミネーションが延々ととりつけられている。思わず車を横に停め、撮ったのが上の写真。前日に比べるとそれほど気温も低くなく、デジカメもきちんと稼動。
それからまた車に乗って目的地の紀伊国屋書店に向かうのだが、この書店の前は今世界でもっとも有名なクリスマスツリーが設置されているロックフェラーセンター広場なのだ。もちろんそこに近づくのも困難なので、渋滞を避けるためにさらにだいぶ下まで南下し、6番街に出てから北上して書店の近くに向かった。
いつもは5th Avenue と 6th Avenue の間の48th Street のバーキングメーターを使うのだが、この日はまず無理だろうと46th Street に駐車。そこから6th Avenue を少し歩いてくだんの書店に向かったのだ。
すでにこのあたりは歩道に人があふれかえり、歩くのもやっとだったが、6th Avenue にも綺麗なイルミネーションがあり、思わずかばんからデジカメを取り出してパチリ (下の写真 )。
こんな風に、今、Manhattan はあちこちでクリスマスの顔を見せている。

次回ロックフェラーセンター前のクリスマスツリーを紹介。


Ramadhan

| コメント(0) | トラックバック(0)

New York のクリスマスの様子を紹介しようしようと思いつつも、つい今回もまた別の宗教話になってしまった。今回は断食についてだ。

日の出、日の入りの時刻が書かれている、Ramadhanのスケジュール表(?)。友人は自分のオフィスに張って毎日食事の時間をチェックしている。

同僚の一人に、小さいときにバングラデシュからアメリカに移り住んできた友人がいるのだが、友人が信仰しているイスラム教ではこの時期断食が行われている。断食 ( fasting ) のことをラマダン - Ramadhan と呼ぶことは遠い昔世界史を習ったときに聞き知ってはいたが、身近に実行する人はいなかったので、今回少し話を聞いてみた。
Ramadhan はおよそ1ヶ月弱続くのだが、この間断食と言っても水一滴米粒一粒たりとも食べられないわけではない。太陽の昇っている間は食べ物を口にしてはいけないが、夕日が沈み夜になれば、翌日また太陽が昇るまでの間は食事も飲料もOKなのだ。
この同僚の場合は朝、太陽の昇らないうちに起きて朝食を食べ、また一眠りし、そのあと出社。日中は歯磨き粉や薬なども使えないらしい。面白いのは匂いや香りついても制限があることで、コロンや香水の使用もこの時期は控えなくてはいけないとのこと。
日中一緒にジムに行くのだが、運動が終わった後の喉の渇きはかなり辛そうだ。午後の数時間仕事をしたあとやっと朝食と言うか夕食と言うか、食事の時間がやってくる。この時期 New York は4:30PMごろ日が沈むので、その時刻を過ぎると会社のカフェテリアに行って同じイスラム教の人たちと食事を取っている。
もちろん例外もいろいろあって、妊婦や小児は Ramadhan を行わないし、病人も普通通りの食事をとる。また飛行機や船などで移動している人たちも食事は通常通りだそうだ。
ところでイスラム教の人はほとんどこれを実行するのかと思いきや、この期間を完全に実行する人は半分以下だそうで。ほとんどの人は初日に断食をしたあと、残りの2週間ほどは普段通りの生活を行い、最後の10日間ほどまた断食をするのだとか。後半のこの時期が Ramadhan の一番重要な部分らしい ( アラーの神がこの世界に降りてくるので、もっとも身襟に感じられるのだそうだ )。
Ramadhan 中の食事だが、夜になると皆が食事を持ちよって野外などでそれはまるで大きなパーティでも開いたかのように盛大に食事をするそうだ。もちろんアメリカではそういった風景は見かけないのだが。

Ramadhan がこの12月にあるのは今年たまたまであって毎年少しずつ時期はずれるらしい ( ちなみに来年は11月の終わりからスタートするとか )。
こういった習慣を身近に感じられるのも人種のるつぼ New York ならではの魅力の一つだろう。


12月のホリデーシーズンと言うとまずはクリスマスだが、ここ New York ではもう一つ Hanukah ももう一つのお祝いとしてよく見かけるのだ。

お隣りの家の Menorah を外から撮らせてもらった。うまく撮れてないけどほんとは下の写真の様な燭台。
tip help
こちらは階下の部屋の人のMenorah。キャンドルは一晩ずつ点火されていく。今はもちろん電気式だが。

実は今年の Hanukkah は先週末にちょうど終わったばかりで、ちょっと旬を過ぎてしまった話題なのだ。
去年も同じ頃に Hanukah について書いているのでそちら興味があればそちらも参照していただきたいのだが、簡単に紹介すると、ユダヤ歴でだいたいこの時期 ( 年によっては11月に祝いこともあるそうだ ) 、8夜連続で行うジューイッシュのお祝いなのだ。もちろん他州でも見かけることは多いかもしれないが、New York 、特に Brooklyn にはたくさんのジューイッシュの人たちが住んでいる。そのためこの光景は Brooklyn に限らずあちこちで見かけることが出来る。
この Hanukah の間は一晩ずつ Menorah と呼ばれる燭台のろうそくの明かりを灯し ( 今はもちろん電気式 )、最終日はすべての灯が灯る。キャンドル自体は9本あるが、真ん中の一本は常に点灯しているのだ。
またクリスマスと違って両親から子供には毎晩プレゼントが渡される ( そんなことを揶揄して、『この時期だけジューイッシュにコンバートしたいね』なんて話すFMラジオのMCもいたほど )。

今回紹介しているのは僕が住んでいるアパートで見かけた Menorah の写真だ。これを見ると「ああ、あそこの人たちは ジューイッシュなんだ」とすぐに分かる。僕の階下に住んでいる人は去年も Menorah を飾っていたから知っていたが、隣りの人も今年は窓際に置いている。ちょっと周りを見渡してみると意外と多くの部屋で Menorah を飾っている。やはり New York には ジューイッシュの人たちが多いのだろう。
今年の Hanukah はもう終わり、あとはクリスマスがやってくるだけだ。


だいぶ前にオンラインショッピングで注文したものがやっと届いた。いやぁこれで安心して Internet Explorer ( IE ) が使える。

今回購入したビデオカード(上)と宅配便で送られてきた箱(下)

僕の使っている PC にはインターネットブラウザとして IE と Netscape のアイコンがデスクトップで仲良く隣り合って配置され、そのどちらもよく使っている。ところがこの IE、とんでもない問題があるのだ。
かならずしも、ということはないのだがブラウズしたサイトに動画GIFがあったりすると、IE が死ぬ ( PC 的な表現だなぁ ) どころか、WindowsNT OS がブルースクリーンに直行 ( いわゆる blue panic とか、人によっては習慣で abend と言う人も・・・) してしまうのだ。そうなると仕方ないので電源を入れ直して、ファイルシステムの修復をして・・・ととても苦痛なひとときだったのだ。
これがなぜ起きるのかはよく分からないが、ブルースクリーンを見てみると、使っているビデオカードのドライバが引き起こしているようだった。たしか NT4 って GDI も ring 0 で動作していると思うのだが、グラフィックドライバに問題があるとこうしてマシンがハングアップしてしまうのはこれと関係があるのかな ( ちなみに使用していたビデオカードは Permedia2。問題のドライバはたしか GLIDE.DLL。これってゲームで主に使われる 3D のライブラリだったような?)。
最新のドライバはもちろんのこと、古いのにしてみたりしていろいろ挑戦したのだが結果は変わらなかった・・・。そこに来て最近新しいビデオカードは 32MB ビデオRAM 搭載で高解像度でも True Color で動作するとのことなので、ここは一つ新しいのを購入してみることにしたのが、話の始まりだ。
最初の候補は G400。ところがオンラインショッピングサイト、buy.com で注文したものの1ヶ月たっても「未入荷」のまま。いい加減痺れを切らし、今度は新しく出た GeForce256 で注文し直した。これも注文から1ヶ月以上経ち、いいかげんあきらめていた所に「出荷しました」のメール。よしよし。
平日帰宅すると、ドアの前に巨大な箱が置かれていた。前回も CD-R 装置を同じ所から購入したので大きな荷物が来るだろうと思っていたが、今回はビデオカード一枚なので、もう少し小さな箱を予想していた。そもそもビデオカードの箱自身、必要無いくらいにデカイのだ。

話は横道にそれるが、今年のホリデーシーズン ( クリスマスとハヌカ ) は大方の予想通り去年よりはるかに多くの人がオンラインでギフトを購入するだろう。僕も今年は、CDNOW から 音楽 CD を、fujisan.com から 日本の音楽 CD と雑誌を、buy.com からはいくつかのコンピュータの周辺機器を、Marriott Hotel のオフィシャルウェブサイトでは Puerto Rico のホテルの予約など、いろいろとオンラインで物やサービスを購入した。
そしてこの時期に「XXまでの注文には送料がかかりません」などといったダイレクトE-Mailが山のようにメールボックスに入ってくる。最近は「ドットコム」と何にでもつけるのがはやりで、新しい会社自体、「XXドットコム」というところが出てきている ( アナリストの話ではこの名称の会社は株価が上がりやすいのだとか )。もともとそういった名前を持たなかった会社ですら最近のテレビのコマーシャルではなんでもドットコムに変わっている。たとえば「toysrusはロゴまですっかり変わって「toysrus.com」なっている。

早速これまで使っていたビデオカードを取り出して、新品の GeForce256 搭載、Creativemedia 製 ANNIHILATOR を挿入。所定の方法で新しいグラフィックデバイスドライバをインストールして、さてブートだ。
特に問題なく OS は立ち上がり、解像度や色数の調整。ふむふむ 2D のパフォーマンスは Permedia2 とそれほど変わらない感じだ。3D のゲームをすることもあまりないだろうが、高解像度フルカラーの環境で、上に書いたような問題がなければそれでいいのだ。
いままでいつもマシンをハングアップさせていたサイトを IE で訪れてみる。どうやら何も起きない様子。

ということで久しぶりに問題を一つ解決。この次はこのマシンのマザーボードと CPU の交換かな?でも来月は Puerto Rico 旅行代金の請求が来るだろうし、このビデオカードの請求 ( $190 くらいだった ) も来月くるはずだ。
これ以上の散財はできないので仕方なく、これが自分から自分に送ったクリスマスプレゼントになりそうだ。

この週末、なんだか久しぶりに美術館に行ってきた。最近の僕の習慣からすれば、週末にこんな過ごし方をするのは柄でもないんだが、この美術館ではちょっと気になる展示会をやっていて、機会があれば行こうと思っていたところだった。

ブルックリン美術館。目の前を走るのは Eastern Parkway。
チケット売り場の様子。

土曜日の朝、近くのスーパーで買い物をして昼ごろ帰宅すると友達から留守電メッセージが入っていた。もともとこの友人と今日会って Puerto Rico で買った土産を渡すつもりだったのだが、「会うのは夕方か夜でかまわないか?」とのこと。なんか用事でも入ったかな?と思ってメッセージを聞いていると「来月上旬まで Brooklyn 美術館で展示している『SENSATION』を見たいんだ」とのこと。

「SENSATION」に関しては、アサヒコムでも記事を読んだことがあったから、おそらく日本でも報道されたのではないかと思うが、これは特別展の名称で、New York の Brooklyn 区にあるブルックリン美術館 ( Brooklyn Meseum of Art - BMA ) で数ヶ月間開催されているものだ。この展示会の開催にはいろいろ紆余曲折があり、その展示内容が物議をかもしていた。
この展示は英国の新鋭芸術家達の作品を紹介するものなのだが、そのいくつかの作品が問題となったのだ。一つは黒人のマリア画で、大きなキャンバスには雑誌かなにかから切り取られた女性の性器がいくつも張られ、なぜか牛の糞がオブジェとして貼り付けられているのだ。これに噛み付いたのが、New York 市長のジュリアーニで、New York 州選出の議員選挙への出馬が噂されている彼はキリスト教団体の指示を取り付けるため ( と言われている )すかさず「宗教への冒涜だ」と批判し、「展示をするなら、Brooklyn 美術館への助成金支払いを停止する」と警告したのだった。

ということで普段は芸術に程遠いところにいるのだが、滅多に見られない展示内容ということで、前からちょっと気になっていたのだ ( この辺が野次馬根性 )。でも1人で行くにはちょっとおっくうで、このまま行かずじまいかと思っていたところにこの友人が行くと言うので、早速僕も便乗させてもらうことにしたのだ。
Manhattan にいる友人は地下鉄2もしくは3番ラインで、美術館が駅名になっているところまで乗ってくるとのことだった。僕も最初は車で Manhattan に行き、車を停めて、地下鉄で行こうと思っていたのだが、友達の方が早くに家を出ていて僕が大幅に遅れそうだったこと、しかも僕の住んでいるところと Manhattan の間に Brooklyn があることから、ほんとは乗り気ではなかったが、そのまま Brooklyn まで運転することにした。
なぜ余り乗り気でないかというと、概して Brooklyn は他のエリアに比べてもそれほど治安がよいとは言えないのだ。もちろん流血事件はなどは少なくったとはいえ、まだ路上に停めておいた車の窓ガラスが割られてカーステレオやエアバッグが盗まれたり、場合によっては車ごと盗まれることはまだ珍しくないのだ。
でも Manhattan まで行ってそれから地下鉄乗るのもかったるいし・・・めんどくさいからこのまま行ってしまえ、という考えはかなりいいかげんになってきた証拠だ。ともかく自宅から Long Island Expressway を走り、Grand Central Highway を抜け、Jackie Robinson Parkway を走って Brooklyn に入った。それからは美術館のオフィシャルサイトに書かれている道順をたどって無事到着。美術館前の通りに車を停め、最大2時間まで駐車可能のバーキングメーターに quarter を入れ、友達が待っている美術館へ。

チケット売り場に行く前にまずは空港のあるような金属探知器があり、NYPD ( New York 市警 ) の警官が一人一人所持品をチェックしていた。展示に反対する団体の妨害などを恐れてのことだろう。
一足先に主な展示を見ていた友人には悪かったが再度付き合ってもらって話題の「SENSATION」コーナーをまずは見に行くことにした。会場に入ると首からぶら下げる音声ガイド機を貸してくれる。展示物にはナンバーが割り振ってあって、その番号を入力することで説明が音楽と共に流れる仕組みだ。
で問題の展示物だが、たしかに目新しい・・・・というしか形容しようのないものがばかりだった。
例のマリア画に加え、鮫、牛、ブタなどのホルマリン付け ( そのいくつかは輪切りになっている )。ものすごく精巧な巨顔 ( 毛穴まで再現されている ) や死体。病院にある薬品棚。アルミニウムに転写された写真、ただしそこにはアル中の老人一家。中にはガラスで密閉されたケースの中に牛の首だけが置かれ、湧いては死んで行く蝿を展示しているものまで・・・ ( うぷっ )。写真撮影が禁止なのが幸いだと思ったほどだった
こう書くとグロテスクなものばかりの展示のように聞こえるがもちろんそうでない裸婦像などの絵画や現代美術のような抽象画もたくさんあった。しかし展示会の名前の通り、インパクトの強い作品の前には、そういった作品が目立たなくなってしまっていた。
とはいえ、これを芸術ととるか不愉快なものととるかはやはり個々の問題。僕は不愉快に感じたと言うより興味のなかったものがいくつかあった、というのが正直なところだが、全体的にはこういうのも面白いかなと思った。
むしろ市長と美術館が見解を真っ二つにし、メディアまで巻き込んだ論争のおかげで普段美術館なんか行かないような僕までが行くわけだから、これがねらいだったのかもとつい勘ぐってしまう。


常設展のみ入場料は大人$4だが、この展示を見る場合のチケットは$9.75となる。
Brooklyn Museum of Art のホームページ
「SENSATION」展は2000年1月9日まで。

さてさて1週間の休みの間 Puerto Rico に行ってきた。出発前の New York はそれほど寒くなかったのだが、今朝方 JFK 空港に降りたってびっくり。耳がちぎれるような寒さだった。

今年の夏初めて遊びに行った Puerto Rico。それから4ヶ月も経たないうちにまた遊びに行くことになった ( 旅行中に撮った写真を中心に旅行記はノメリコムで紹介の予定なので道中のことは省略 )。
さて Thanksgiving Day の当日、Puerto Rico へ向けて出発したのだが、またもやのっけから危なかった。
水曜日通常通りの出勤だったのだがなるべく帰宅を早めて、帰宅するや荷造りを始めた。必要なものやお土産は買い揃えてあったので基本的につめるだけだったのだが、インターネットにつないで Puerto Rico に行ってから連絡する友達のアドレスを書きとめたり、もって行くノートPCに必要データをうつしたりしているうちに、ICQ のリストに Puerto Rico の友達の名前が出てきて、つい話し込んでしまった。気が付くと12:00AM過ぎ。慌てて友達に「Puerto Rico に着いたらすぐに連絡するから」と言って ICQ を切り、明日来ていく服を用意して風呂に入って寝たのが12:30AM。
New York から Puerto Rico へはたくさんの直行便が飛んでいるのだが、今回のフライトは直前に予約したこともあってindirect 便しかとれず、NY → Detroit → San Juan,Puerto Rico となり、Detroit 空港での待ち時間も入れるとなんと9時間もかかる旅になってしまった。直行便なら3.5時間ほどで着くので2倍以上だ。
そんな事もあって、この日の NY、JFK 空港発 Detroit 行きの飛行機は6:10AMの予定だった。当日は Thanksgiving Day の休日なので友達に空港までの送迎を頼めないわけではないが、こんなに朝が早いので、無難にリムジンサービスを依頼していたのだった。オペレーターが言うには、朝が早いので道が混むことはないと思うが、Thanksgiving Day の当日なので朝一番で飛行機に乗る人が多いかもしれない ( 帰省ということ )。だから4:30AMに迎えに行く」と言われていた。そこで朝一番でシャワーを浴びたり、電子メールをチェックしたりしようと思って3:30AMに目覚ましが鳴るようにセットして、就寝。

で、何か物音がして起きたのが、4:30AM!
いっけねー、たぶんリムジンサービスの運転手が玄関ドアの呼び鈴を鳴らしたのだろう! 大慌てで窓を開けるとそれらしき人がアパートから車に戻ろうとしている。僕が不在だと思って電話をかけるのか、それともピックアップをあきらめて戻ってしまうのも知れない!と思い、朝の4:30にも関わらず窓から「待ってくれー!今からいくから!」と大声で呼び止める。
その後トイレに行って歯を磨きながら髭をそって同時に靴下を履いたりして、最後に使った洗面道具をまとめてスーツケースに投げ込む。洋服を手早く着て、財布、パスポートの有無を再度確認してドアの鍵をかけ、ポストに「不在します」の案内を郵便配達人向けに張り付け、片手にスーツケースを持って車まで走る。このときにすでに4:50AM。
飛行機出発まで1時間20分しかない。ここから飛ばせば20分で空港に着ける・・・と思っていたが、運転手も黙って75マイル/hのスピードでハイウェイをぶっ飛ばしてくれた。
空港のそばも予想通りというか予想に反してと言うか・・・でがらがら、空港には5:20AMに到着。何とかチェックインに間に合った。いやぁほんとにひやひやものだった。昔はザウルスのアラーム音や腕時計のアラームでも目が覚めるほどだったのに、この日は目覚まし時計の音でも起きず。まったく歳なんだろうか

この時はそれほど寒いと感じる New York ではなかったが、Puerto Rico からやはり Detroit 経由で戻ってくると、飛行機からターミナルに渡る通路で「ひゅー」と冷たい空気を一瞬感じた。
荷物を受け取り、迎えに来てくれた友人と駐車場に向かう。建物を出た瞬間に体がこわばるほど寒いことに気づいた。朝まで Puerto Ricoのビーチにいたのに、New York に戻ると30度Fの気温。これじゃ灼熱の南の島から冷凍庫に戻ってきたようなものだ。スーツケースを持って車のところに行くまでの短い距離の短い間でも、耳がちぎれそうな寒さだった。

そして昨日、Manhattan のロックフェラーセンター前のクリスマスツリーの電飾が点灯された。これで名実ともに New York はクリスマスにまっしぐら。
僕はといえばすっかり黒くなった自分の顔を鏡に見るたびに、Puerto Rico のあの太陽の強い日差しを思い出している。

カレンダー

<  1999年12月  >
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

このアーカイブについて

このページには、1999年12月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは1999年11月です。

次のアーカイブは2000年1月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

月別 アーカイブ

OpenID対応しています OpenIDについて
Powered by Movable Type 4.21-ja