2002年3月アーカイブ

3月の出来事の1つとしてこれははずすわけにはいかないだろう。ということで今月、8回目の New York Watch 更新。

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2本の強いライトがWorld Trade Centerを象徴している

・・・
「あれからもう半年が経った?」
「まだ半年しか経ってないの!」
・・・

昨年9月11日にアメリカ各地で起きた同時テロからちょうど6ヶ月が経った時に人々の口にのぼった感想だ。いろいろな節目でこの日を振り返る行事が何度もあったが、この6ヶ月目の3月11日にもある記念式典が行われた。
New York 州知事、市長、そして事故直後から陣頭指揮にあたった前市長などが出席して行われたこの式典では旅客機2機が World Trade Center ( WTC ) に突入した時刻の2回に黙祷が捧げられた。また当時に2つのオブジェが公開になった。
それは Sphere と言われる球体が World Trade Center ( WTC ) 跡のそばに設置されたこと。最初テレビのニュースでその映像を見たのだが、オブジェが新しく作られたという割には傷が多いと思っていたところ、これはかつて World Trade Center 近くに設置されていたもので、奇跡的に壊れることなく掘り起こされたのだそうだ。
そして今回写真を紹介しているのが、もう一つのオブジェ、「 Tribute In Light 」。

Ground Zero 近くに設置されたこの照明は6人のアーチストによる作品で、地上から天空に向けて2本の鋭く、それでいて強い光が放たれている。
雲が立ちこめている日などはその光が雲を照らし、その様は本当に天に届いているかのようにも見える。テレビでは白い光と言っていたが、実際に近くで見ると青白い感じもする。

もともとこの光につけられる名称は「 Towers Of Light 」になる予定だった。ところがこの事件で無くなった被害者より WTC を美化しすぎているという反対意見が出て、「 Tribute In Light 」に変わったという隠された背景がある。

ともすれば仕事や日常の生活に埋没しがちな毎日だが、9月11日発生した事件は人々の心に大きな傷跡と、そしてそこからの復興を通して勇気や友情、愛情、家族の絆といった言葉にすることはできないものが如何に重要なものだったかを思い出させてもくれた。今一度このライトを見ることで犠牲者の冥福を祈るとともに、この6ヶ月間を振り返りまた戦争や平和について一人一人が考えてみる時期なのかもしれない。


Manhattan のほとんどすべての場所から見られるので、光を見ながら近くまで行くことはできるが、僕は地下鉄 N、Rライン、City Hall 駅から歩いて現地に赴いた。
このライトは4月13日まで点灯される予定。引き続き点灯を希望する声もあるが、予算にシビアな新市長のこと、どうなることか。

さてグリーンカード取得の経緯について書いてきたが、いよいよ今回は最後のプロセス、領事面接について紹介する。

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この写真と同じものが実際のグリーンカードに印刷されてくる。

健康診断と、グリーンカードに印刷される写真など必要なものがすべて面接の前にそろった ( 当然グリーンカード用の写真はアメリカで撮ったものを持ってきてもよい )。あとは領事面接で指定された日時に虎ノ門のアメリカ大使館に行くだけだ。

アメリカ出発前、会社の HR から貰った Packet 4の書類群に東京のアメリカ大使館から面接の日時が記載された紙が一枚入っている。僕の場合は「○月○日、11:00に必要な書類を持って出頭してください」と書いてあった。
僕の友達数人が、同じプロセスで取得しているのだが、それぞれの面接予定時刻は9:00と早いものだった。11時という時刻で受けた人の話を聞いたことがないのでちょっと心配で、やはり9:30頃には着いていた方がいいだろうと早めに家を出ることにした。
友人の話では建物に入ってすぐに整理券を取るのだが、その後の手続きは整理券の順番で進むので早く行けば面接も早く終わるよ、ということだった。

2002年2月○+アルファ日、領事面接。
日本滞在中僕が滞在していた実家は千葉にあるので、途中の交通網のトラブルも想定して30分余計早く出ることにし、6:30には起床した。親にもこの日が面接とは伝えてなかった ( 永住権を取ることすら伝えてなかった。言ったら腰をぬかしてしまうかもしれない ) ので「今日は早くから出かけるのね」と母と言われながら朝8時に家を出た。日本に一時帰国中はたいてい夕方から出かけることが多かったので朝早く出かけるのは確かに珍しいのだ。
ちなみに面接の時の服装は清潔で好印象を与えるものが望ましい、とのことなのでスーツでもいいが、そこまできちんと着込んで行かなくても良いようだ。僕は淡い黄色のシャツ、ノーネクタイ、白のチノパンにクリーム色のセーターと明るい白を基調にしたカジュアルそのままの服装で臨んだ。

昔、溜池交差点近くのビルで働いていたので大使館近辺の地理はよくわかっているものの、このあたりの店などはだいぶ変わったようだ。ついでに以前は無かった新駅溜池山王を利用してみた。なるほどこの駅からは歩いて数分で大使館に着く。
面接11時の予定でも9:30に入れるかどうかわからなかったが、とりあえず大使館の守衛のところに近づく。パスポートと今日の領事面接を指定した用紙を見せると、守衛の1人が手に取っていたリストの中で僕の名前があるかどうかを調べ始めた。ところが一番上から下まで見ていってもこの日訪問が予定されている人の名前リストに僕の名前が見つからないようだった。そこで「11時の予定なんですが」というと一番下のラインを見過ごしていたようで、「あ、あったあった。じゃ中に入ってそこで荷物のチェックを受けて下さい」と言いながら、僕の名前の欄にチェックをつけていた。どうやらこの日、面接に来る予定の人はここにすべて記載されているようで、このリストによれば全員大使館に入館済みのようだった。
荷物の中身をすべて見せたあとは、次に建物に入るときの金属チェック。ここで携帯電話は鞄から出して入り口のセキュリティの人に預けることになる。無事金属探知器を通り抜け、持っていった書類が入った鞄を受け取ると、そこは小学校の教室2つ分をくっつけたようなところで、長い壁にカウンターが10個くらいあったろうか。
カウンターは完全な防弾ガラスかなにかで区切られた待合い席は病院や銀行のそれと変わらず、長いすが5 x 5ぐらい設置されている。
友達からあらかじめ聞いていたので迷うことなく、待合い席に入ってすぐのところにある機械から整理券を一枚受け取る。
番号を見ると42。そのときは何とも思わなかったが自分の番号が呼ばれるはずのカウンターに行って待っている間にまじまじと見つめてそれが不吉な数字だと言うことに気が付いた。アナログといわれそうだが、やっぱり縁起を担ぐのが日本人。そこで考え方を変えて、「ここは治外法権だし、42なんて数字より13の方が縁起が悪いのさ」とくだらないことを考えたりして時間をつぶしていた。
10分ほどで最初のカウンタの電光表示が42になり、カウンタの中の日本人係官に今日来た目的を伝え、書類を一つずつ手渡す。向こうも受け取った書類を一つずつ確認し、「全部そろっているようですね。では書類の審査を行いますので、次のカウンタで番号が呼ばれるまでお待ちください。その間に後ろキャッシャーで$260を支払い、そのレシートを取って置いてください。その間にこの書類にも記入しておいてください」と紙を一枚手渡された。

まずは US から持ってきた現金$260をキャッシャーで支払い、次に貰った用紙に記入。両親のファーストネームやアメリカでの住所などを記入する欄があった。
次のカウンタも現在手続き中の番号が表示されているのであとどのくらいかかるか予想が付く。気が付くとやっぱり緊張していたので、ちょっと息抜きにトイレにでも行ってみる。
このカウンタは普段はシェードが降りていて、一人ずつ準備が出来ると向こう側の係員がひもをするすると引っ張ってシェードを開ける。次に手元の機械を押して整理券の番号で知らせる。その人の手続きが終わるとまたシェードを降ろしてしばらく係員はそのカウンタから席を外してどこか奥に行ってしまう。
僕の前の人たちの様子を見ていると、一番に提出した書類のうち、大きな健康診断の封筒が返されるようだった。ここでなんか問題がある人などはそのままカウンタでながながとやりとりをしている。見ているとそのまま封筒を持って帰ってしまう人も。「えっ健康診断の結果になにか問題があってここでグリーンカード発給を拒否されるのかなぁ」などと次第に不安になるが、そうこうしているうちに僕の整理券番号が呼ばれた。
結局最初のカウンタで呼ばれてから30分ほどが経っていた。窓口に出てきた係員の人は若い日本人の女性で「書類の審査が済みました。特に問題が無かったのでそのままお返ししますね。健康診断の結果も異常ありませんでした。X線写真をお返しします。これはもう不要ですが、ご自分の記録のために保存しておくことをお勧めします」と言って例の大きな封筒と最初のカウンタで提出した書類のうちいくつか返してくれた。僕の方は先ほど記入した用紙と、レシートを手渡す。
「次は領事面接があるので、隣のカウンタで番号が呼ばれるまでお待ちください」。

ふうっ。税金申告も H1-B を取ったときの書類も、会社からのサポートレターも健康診断もみんな OK ということでかなり安堵。
次は最後のインタビュー。何人かの友達から「領事面接は簡単だったよ。名前と会社名と職種なんかを聞かれておしまいだった。面接してくれたのはアメリカ人の女性だったけど、日本語でやった。」と聞いていたのだが、どうやら昨年の9/11テロ事件以降、厳しくなったらしい。つい最近、この大使館で領事面接を受けた人の話では一人あたりの面接時間が長くなり、書類を逐一見比べながら厳しい質問があった、というのだ。
実際この日の面接風景を見ていても一人一人の面接時間がものすごく長く電光掲示板の数字も遅々として増えていかない。
待つこと以外することがないので、否応なく面接をしている人たちの様子が気になってしまう。このころになると周りにどんな人が来ているのかゆっくり見渡せる余裕も出てきた。面接は待合い席から見て一番右側のカウンタで行われる。30歳から35歳くらい、どう見ても40歳には行っていないような若い白人の男性が面接をしている。
面接と言ってもこちらはカウンタに出向き、立ったまま防弾ガラス越しに話しをする、といった形だ。仕切など無いので、待合い席の一番前に座っていれば、両者の会話が聞こえてしまうほどだ。
この日来ていた人の全部は思い出せないが印象に残っている人たちをあげると、黒人男女のカップル ( どちらかがアメリカ市民なのかな )、若い日本人夫婦と乳母車に乗った3歳くらいの女の子、日本人のおじいちゃん2人とおばあちゃん1人のグループ ( 夫婦とそのどちらかの兄弟かな ) 、アメリカ人の男性と日本人の女性のカップルが数組、日本人中年夫婦、日本人壮年夫婦と息子3人 ( 息子達はちゃんとブレザー、スーツを着ていた )、そのほか僕のように1人だけの人たちが男女10人弱はいたろうか。
見ていると面接完了まで早くても5分、遅い人になると20分近くも話し込んだりしている。日本人の女性1人はどうやら拒絶されたらしく、次第に興奮してかなり大きな声になり食い下がっていたようだったが向こうの態度は変わらなかった。この女性は午後の書類受け取りにはいなかったので、残念ながらこの日は永住ビザまたは就労・留学のビザが下りなかったのだろう。
うまく面接が進むと、途中で宣誓をする部分がある。先ほどの老人3人組も右手を挙げ宣誓まではすんなりいったのに、そこからまた10分ほどいろいろ質問されていた。基本的にカップルやグループ出来ている人たちは市民権を持っている人との婚姻や家族を通しての申請のようで、1人で来ている人たちは雇用ベースのようだ。どちらかというと前者の方がインタビューにかかる時間は長かった。
周りの人の表情もどこか硬く、緊張気味だったが、あまりにも長く待たされるので周りの人と少しだけ話しをするようになった。隣のスーツを着た男性は30歳ぐらいの人で向こうから「グリーンカードの面接ですか?」と話しかけてきた。なんでも New Jersey に住んでいるという。あ、僕は New York ですよ、近いですね、というところから始まって全体のプロセスがどのくらいかかったかなんてことを話していた。
気が付くと11時を過ぎていて、それでもカウンタの電光掲示板は30番台を表示している。僕の面接予定時刻が11時だが、まだこれだけ前に人が待っているところを見ると12時を過ぎてしまいそうだ。とそう思っていたところ、例の若いアメリカ人が面接をしている隣のカウンタのシェードがあがり、中年の白人女性が電光掲示板に番号を表示させ始めた。その日の手続きが遅れているのを見かけて面接を開始したようだった。見ていると最初の1人目は5分たらずで終わり、次の人も短い面接時間だった。ただ彼女がピックアップしている番号を見ていると飛び飛びで呼ばれているのは1人の人たちばかりなのでどうやら雇用ベースで申請している人の分だけ処理を速めているようだった。
僕もあの女の人の面接だといいんだが・・と見ているとなんと3番目に僕の番号42が表示された。カバンと書類を脇に抱えて急ぎ足でカウンタに向かった。
めがねをかけたその目はにこりともせずちょっと厳しそう。僕がカウンタに来たの見て「How are you?」と声をかけられた。以下はその面接で尋ねられた質問だ。

    「あなたはヒロユキ・ヨシカワですか?」
    「Yes」と僕。
    ビザの書類の会社名のところを見ながら、「あなたは○年前にこの会社に入って、今もその会社に勤めていますね?」
    「Yes」と僕。
    「あなたの職業は○○ですね?」
    「Yes」。
    そこで彼女は顔を書類から上げてこちらを見ながら右手を挙げた。ちょうど手のひらが顔の横に来るくらいの高さだ。で僕にも同じように右手を挙げるようにいい、
    「ここの書かれていることはすべて真実と宣誓しますか?」と訊かれた。
    ここでも僕の答えは「Yes」。
    「それではここにサインして、今日の日付も記入してください。このあと後ろのキャッシャーで$65を払い、そのレシートを持って午後2:30までに戻ってきてください。そのときにパスポートと入国に必要な書類を渡します。○月○日までにアメリカに入国してください」



ふぇ!?おしまい!?
うれしいというよりもなんかあっけなく済んでしまったことで拍子抜けしてしまった。結局僕が話したのは「Yes」4回だけだったし。
言われたとおりに$65をキャッシュで払い、荷物をまとめてまた建物の外に出る。入るときに預けた携帯電話はこのときいったん返却してくれる。
出たところで先ほどの NJ の男性も僕と同じ女性と面接したようで早く終わり、僕と同じタイミングで大使館から出てきた。お互い「無事終わりましたね」と話しながら溜池山王交差点まで向かう。携帯電話の時計を見るとまだ12時前だったので2時間半はゆうに時間があったのが、僕は寄るところがあったので彼とは交差点で分かれた。

用事を済ませ、2:00頃までスターバックスコーヒーで時間をつぶす。申請を始めてからこの日まで振り返って、長かったのか短かったのかわからないけど、あぁこれで手続きが完了したぁ、とほっと一息ついたのは実はこのときだった。飛び上がるほどうれしいとか、笑みがこぼれるという喜びよりは、ほっとした、と言うのが正直な気持ちだった。


時計の針が2時を過ぎたのを確認して、また大使館まで歩いて戻る。歩いて数分のところだがやはり入り口で混むと思い、早めに出たのだ。
着いてみると案の定、門の前は行列が出来ている。1人ずつ身分証明を提示し、荷物をチェックするので時間がかかるのだ。
同様に建物に入るときに金属探知器のチェックを受け、携帯電話を預けて皆が静かに着席した。程なく2つのシェードが開き、例の電光掲示板に番号が表示される。今回は手渡すだけなので処理が手早い。すぐに僕の番号が呼ばれ、カウンタで$65のレシートと引き替えに日本人の女性から上の写真の様な書類とパスポートを受け取った。この書類には朝提出した写真が一枚張り付いている。この写真は下に紹介したように大使館近くの写真屋で先日撮ったものだ。少し左を向き、右耳をカメラに向け、きちんと写真に写るように露出しなくてはならない。これは耳は整形などで変わりにくいかららしい。また全体の写真のサイズにおけるあごから頭のてっぺんまでの長さも決まっており ( ということは頭が大きい人は少し引いて撮るのだな )、ピアスなどもすべて取り外さなくてはいけない。
「このまま封筒はあけず、アメリカに入国するときに手渡してください。書類に書かれている内容が正しいか帰る前に確認して行ってください。」と言われる。
確認しなくてはいけないところはそれほどなく、両親の名前、自分の名前、グリーンカード受け取りのアメリカでの住所 ( そう、自宅に郵送されてくるのだ )、パスポートナンバーなどがあっているかどうかを見るだけだ。
ふむふむ間違いは無いぞ、と貰った書類を折り曲げないようにカバンにしまおうとしていると突然スピーカーで「ヨシカワさん、○番カウンタまでお戻りください」とアナウンスがあった。スピーカーを使ってのアナウンスなどそれまで無かったので「え、何で俺の名前が呼ばれるの?」と恥ずかしくなり ( きっと赤面していたと思う ) いそいそと先ほどのカウンタに戻った。すると「えーとヨシカワさんは H1-B をお持ちですよね。先ほどお返ししたパスポートに無効のスタンプを押しましたっけ?」とのこと。なんでもグリーンカードを取得した時点でそれまで持っていたビザは無効になるのだそうだ。僕も見てなかったのでそのままパスポートを手渡すと「あ、やっぱり忘れていた。すみませんね。」と言って赤いスタンプを押し、「これで結構です」と言いながらパスポートを返してくれた。「やっぱ君にはあげない」とか言われるんじゃないかとちょっと不安だったがこれで大使館での手続きはすべて完了。やったぁ!


さてここまで書いて、すべての手続きについて説明が終わったが、長くなったついでに最後にアメリカ入国審査の話など。

面接を受けた日からアメリカに入国しなくてはいけない日時というのは指定されていたが、たしか3ヶ月だか6ヶ月の猶予があったと思う。僕の場合はそこから2週間滞在して、仕事の待つ New York に戻らなくてはならないので、期限が切れる心配はなかった。
来たときとは反対のルートで全日空、成田発 New York、JFK 空港直行便で戻ったので、最初の入港地 New York で入国審査を受けることになる。なので大使館で貰った書類は手荷物にして入国審査の歳に管理官に手渡せるようにしておく。
飛行機の中でフライトアテンダントが「入国に必要な書類の準備はお済みですか」と乗客に聞いてくれるので、ここでは関税申告書だけを貰い、ビザなし観光の緑の用紙、ビザありの人が記入する白用紙は今回から不要になる。
空港や航空会社のターミナルによってグリーンカードを持っている人が並ぶ列は「US 市民」と同じ場合もあれば別もあるので、近くで人をさばいている係員に尋ねるかわからなければツアリストの列に並ぶと良いだろう。僕が利用した ANA のターミナルでも INS ( 移民局 ) はツアリストに並べとのことだった ( ただし次回の入国からは US 市民の列に並ぶようだ )。自分の番が来て、パスポートと大使館から貰った分厚い封筒をそのまま手渡すと、その係官は封筒をびりびりと開けて中の書類を見ながら簡単な質問をいくつかしてきた。
「どうやってグリーンカードを取ったのか」「仕事は何をしているのか」「どこに住んでいるのか」といったものだったが、最初の質問には最初、「日本の大使館に行って面接をして・・」と言いかけたところで質問の意味が違うんじゃないかと気が付き、「会社がスポンサーになり仕事を通して申請しました」と答えた。どうやら聞きたかったのはそのことだったらしい。それで次の質問がされたのだ。最後の質問には「New York に住んでいます」と答えると、この係官が不審そうな顔をしたのがよくわかった。この表情の意味はよくわからなかったが、もしかしたら僕がグリーンカードが取れるまでアメリカで不法滞在をしていたのではないかと疑っていたんじゃないかと思う。それで「H1-B ビザを持っていて、こちらで働いています」というと「そっか H1-B を持っているのか」と言いながらパスポートにあるそのページを確認し、パスポートにスタンプを押し、サインをした上で返してくれた。封筒の書類にも何か記入し、僕に返しながら「数ヶ月のうちに自宅にグリーンカードが郵送されるから。自宅の住所はこれであっている?」と僕の住所を読み上げ、「じゃこの書類とパスポートを持ってあそこのオフィスに行って」と隣の部屋を指さした。
ここは下の方でマイアミの入国審査で引っかかったときに案内された部屋と同じような部屋らしい。ここで待っていると背の高い若い白人の男性がやってきて、「グリーンカード?」と尋ねるのでうなずくと「じゃ準備が住んだら呼ぶから、そうしたらこの部屋に入ってきて」と小さな部屋に入っていった。5分ほどしてドアから顔を出し「じゃ入って」と言われる。
そこは事務用の机ぐらいしかないところで、そこに黒のスタンプ台が置かれている。僕の持ってきた封筒の中の一枚の書類がテーブルに置かれていて、それを指さしながら「じゃここにサインして」とボールペンを渡される。紙の上にプラスチックの下敷きのようなものが置かれ、サインを書く欄のところが切り抜かれている。このサイズにサインを納めよ、ということだろう。きっとこれがグリーンカードのサインになるんだろうな、と思い緊張しながらサインしたのだが、なんか変なサインになってしまった。そのあとで「はい、右手の人差し指を出して。力は入れないで、僕が押すから」といい、指をカーボンのスタンプ台に押しつけ、その指を持って先ほどの紙に指紋を取った。
ところが僕の指紋はちょっと変わっていて ( 興味のある人は今度 New York に来た人にグリーンカードをお見せします )、それを見た係官がびっくりしてしまった。失敗したのかと思ったようで「悪いけど、もう一回取るよ」と言ってまた人差し指をスタンプに押しつけ、それから今度は先ほどの紙の裏の余白に指紋を押した。押したのだがやっぱり同じ紋様しか取れない。「こういう指なんです」といって両方の手を見せると納得して、「じゃ OK。これでおしまい。グリーンカードは自宅に送られてくるよ」と言って解放してくれた。この間全日空の職員らしき人が来てくれて日本語で「お荷物を機内に預けられましたか?」と尋ねてきた。スーツケースの様子を伝えると「わかりました。荷物を確認してお待ちしていますので」と言って出ていった。僕が移民局での手続きをしている間に荷物はすべて Baggage Claim に出てしまったようだ。
移民局での指紋採取が終わり、Baggage Claim に向かうと、やはり誰もいない。全員荷物を持って出て行ってしまったようだ。手続きにそんなに時間がかかっていたとは思わなかったのだが、気がついたらかなりの時間が過ぎていたのだろう。先ほどの日本人の職員が保管していてくれた僕のスーツケースを受け取り、関税申告書を税関職員に手渡し、無事空港を出た。

ということで無事グリーンカードを取得してアメリカに戻ってこれました。今回はとても長い文章になったので読む方も疲れたんじゃないかと思う。最後までのおつきあい、お疲れさまでした。

・・・後日談に続く。

前回グリーンカード申請までのいきさつを書いたが、今回はその後の経緯、特に領事面接について。

さて実際に会社の人事部を通して、とある弁護士事務所を通して僕のグリーンカード申請が始った。僕の勤めている会社には僕と同じように諸外国からたくさんの人たちが H1-B ビザを持って働いており、彼らの多くもその事務所を通してグリーンカードを申請している。
会社が雇用のスポンサーをしてくれてもその弁護士費用は個人持ち、というケースが多い中、幸いなことに僕の会社はこの弁護士費用を負担してくれている。

グリーンカード取得に必要な主な手続き、書類などについては「NY 暮らしメモ」の方にまとめているのでそちらを参照して貰うとして今回はその部分の説明をはしょり、最後のステップ、領事面接・アメリカ入国審査を詳しく紹介しよう。

申請から取得まで短期間で終わらせるのに、Consulate Process ( 以下 CP、領事面接 ) という方法がある。労働許可証 ( 労働省 )、移民許可証 ( 移民局 ) が降りたあとの最後のステップをアメリカ国内で待つか、自分の出生国の大使館での面接を受け短期間で終わらせるかのチョイスが出来るのだが、後者の方法がその CP と呼ばれているものだ。

2002年、年が明けてちょっと経った頃、人事の移民担当の人から突然メールがあった。「大使館から弁護士を通して会社の人事に連絡があったけど、あなたのトウキョウでの面接の日取りがきまったわよ」。
移民許可が降りたあと、時間が経過していたのでそろそろだとは思っていたが、その時点で面接のおよそ1ヶ月前。面接の前に東京で指定医療機関で健康診断を受けなくてはならないので、そのちょっと前に帰国している必要がある。急いで会社に休みの申請をし、航空券の手配をし、例の医療機関に健康診断の予約の電話を入れた。

2002年2月○日、成田着。
2002年2月○+1日目、健康診断。

先に書いたように健康診断を受けられる医療機関は指定されていて、僕はその中の東京メディカル&サージカルクリニックで健康診断を受けた。日比谷線神谷町から徒歩5分ほどのところにあり、道をはさんで反対側には東京タワーがそびえている。予約は午後2時だったが1時過ぎには受付に着いた。
風邪を引いているのか、子供連れで来ている父母が受付のソファに座っているが、そのほとんどが外国人。おそらく在日外国人向けの診療がメインなのだろう。そのほかには僕と同じようにアメリカ大使館から求められて健康診断に来ている人が数人、と言ったところだ。
受付で名前を言い、指定された用紙に連絡先、氏名などを記入。続いて渡されたのが HIV 検査に関する覚え書きだった。H1-B ビザなど労働ビザでは健康診断そのものがないが、グリーンカードの場合は性病を含む各種伝染病の抗体検査が義務づけられているのだ。アメリカでは子供時代に接種するワクチンが日本では必須でないなどの理由で受けていない場合はそれらのワクチン接種をこの日受けねばならないので、もし日本で幼児期に受けたことが証明できる母子手帳などを持参していけばその分、負担が軽くなる。記憶があいまいだが、ワクチン接種は一本ごとに何千円かかかったと思う。
同様に性病や HIV 検査で結果が陽性となった場合は、その結果が本人に知らされることなく、直ちにアメリカ大使館に知らされ、また日本の厚生労働省にも通告がされるらしい。覚え書きにはそんなことが書いてあり、その紙に署名して受付に返却した。
その後は順番に各部屋からナースに呼ばれ、採血、X線写真、身長・体重・聴覚、視力の計測、脈拍、ワクチン接種など一通り行い、最後に医者による検診があった。
ドクターはドイツ人の人で、上半身裸になって椅子に腰掛け、前と背中を聴診器でぺたぺたやられるあれ( 聴診というのかな、くすぐったくていつも体がこわばる ) が行われた。その後達者な日本語で「じゃあそこの寝台に横になって」と言われ、靴を脱いで横たわる。「時々大使館の人が来てチェックするんだけど、裸になって貰って調べろと言うけどそこまではねぇ」といいながら体の異常がないかをさっと調べ、最後にちょっとだけ下着の中まで調べられる。これはおそらく性病の有無を調べているのだろう。アメリカが移民に HIV や STD ( 性病 ) の検査を義務づけているのは、こういった医療費、特に HIV/AIDS 予防と治療にかかる金額が年々かさみ、政府の予算を圧迫しているためで、移民へのこういった税金の使用を限定したいからと思われる。( 確かにこれまで税金を払ってきた国民と違い、アメリカに治療の為だけにやってこられたら国の負担はとんでもないことになってしまうだろう )。
すべての検査が終了すると、窓口で検診代を支払う。検査結果は通常だと1週間ほどかかるようだが、翌日できあがりを依頼することも出来る。この場合は8000円を余計にチャージされる。

2002年2月○+2日目、健康診断結果を受け取りに行く。
翌日の検査結果受け取りを依頼していたので、翌日昼過ぎに結果が出ているかどうかを尋ねる電話を入れる ( そうするように言われていた )。もし再検査が必要な場合はここで言われるらしいのだが、「今日の夕方には出来てますよ」と言われたので、午後大きなカバンを持って受け取りに行く。
なんか異常が見つかったらいやだなぁと不安も感じながら、昨日同じ受付に行くが受付の人は「はいできてますよ。この封筒は開けないでくださいね。そのまま大使館に提出してください」と言って人間の胴体をよりも大きな封筒をくれた。これは X 線写真が入っているためで、この中に検査結果が入っているようだ。表紙にはサマリーがはってあるので、それを見ると「申請者は移民審査に必要な免疫検査をパスした」というようなことが書かれている。詳細は中に入っているのでわからないが、まあ OK だったんだろうと一安心。
途中、虎ノ門、アメリカ大使館の近くの写真屋でグリーンカード申請用の写真を撮る。バイトらしい女の子ひとりだけが店内にいたがアメリカ、グリーンカード申請用の写真を撮って欲しいというと、サイズも取り方も心得ているようで簡単に済む。この写真については既定が細かいのだが、その話は次回紹介予定。
1時間ほどでできあがるというので、隣の JT のビルの11Fのカフェでコーヒーを飲みながら時間をつぶす。
その後は検査結果の封筒を折らないよう大事に抱えてこの日はラッシュアワーを避けるようにして帰宅。

次はいよいよ大使館面接。

東京メディカル・エンド・サージカルクリニック
芝公園3-4-30 第32森ビル2F TEL 03-3436-3028

この New York Watch を作り始めた当初、つまりアメリカに移り住んだ頃は、長期間アメリカに住むつもりは無かった。5~6年もこっちで働いたら十分かなと思って引っ越してきたのだが。

実は「NY暮らしメモ」ページの方でグリーンカードについての話を紹介したのだが、そのページを読んだ人から「どのくらいの期間で取れましたか」などの反響が意外とあったので、あちらのページには載せていないプライベートな部分を中心に書いてみたい。

移民、というと文字通り移住、それも永住を覚悟した人々のことをイメージするが、ほんの少し前まで日本を出て海外で暮らすとなると移民を示す時代があった。
時代は変わって現代ともなると、留学、駐在、そして僕のようにこちらに就職が決まったケースでも永住を決意して移住してきた人は少ないと思う。もちろんアメリカに住む以上、永住したいな、と思ってきている人はいるかもしれないが、僕の場合はそうじゃなかった。
アメリカで働くためのビザにはいくつかあるが、その中で僕のビザは H1-B というカテゴリーのもので最長6年の滞在と就労が許可される。6年なんていう長い年月のことを考えろと言われても、そんなのわかる人は普通はいない。ましてアメリカに移ってきたばかりの時点で、6年先なんかわかるはずもない。海外生活なので途中どんなトラブルが起きるかわからないし、途中でそんな生活にメゲるかもしれないのだ。僕自身はアメリカで就職して、働くことも一つの経験と思ってきたから、6年もいれば長いだろうと、その後は日本に帰国する心づもりだった。
なのでアメリカに来てから買ったもの、たとえば電化製品や家具は長く使える、と言う観点では購入してこなかった。とりあえず生活に必要なものを急いで買いそろえた、というものばかりを購入してきた。

アメリカに移って来て1年目くらいだったろうか、会社の上司を通して HR ( Human Resources - 人事部 ) から連絡があり、「会社がサポートするからグリーンカードを取らないか」という話が来た。もちろんグリーンカードが何かは知っていた。アメリカの永住権ビザのことだ。
そのときの僕のビザ H1-B とグリーンカード、何が違うの?というとアメリカでの就労・滞在6年という制約が無くなり、転職も無職の状態も自由になることだ。
まだ1年しかアメリカに住んでいない時点で「永住権」と言われてもピンとこないのと、そのうち転職してその会社が気に入ったらそこで永住権の申請をすればいいや、という「狙い」もあり、その申し出は断った。

ちなみに「会社はビザをスポンサーしますよ」というとき、通常は会社が雇用に基づいてあなたのビザを申請しますが、かかる費用はあなた持ちですよ、というところが多い。ところが僕が働いている会社ではビザのスポンサーをする際に、取得にかかる弁護士費用なども払ってくれるところで、今回のグリーンカード申請でも取得までの費用を会社が払うから、というありがたい申し出だった。

一度断ったもののその後も会社は僕のマネージャを通して何度も「グリーンカード申請しませんか?」と尋ねて来て、しまいには HR の人が直接コンタクトしてきて「出来ればグリーンカードを取って欲しい」とまで言われるようになってしまった。
会社が僕にグリーンカードを取って貰いたいのにはどうやら理由があるようで、僕のビザステータス H1-B が枯渇してしまっていたからなのだ。僕が渡米して当時は、IT 産業花盛りで海外から H1-B ビザで働く外国人が増加の一途を辿っている頃だった。そのため年間○万人と決められている H1-B ビザ発給数はすぐに枯渇してしまい、新規採用は一年待ち、なんてことがよく起きていたのだ。その後年々 H ビザの発給数が引き上げられたがそれでもすぐにその年の分が無くなってしまうと言う事態が続いていたらしい。なので会社としても H1-B ビザからグリーンカードに切り替えられる人がいれば切り替えて、留学してきている外国人大学生などをリクルートしたかったようなのだ。
そういった会社の事情はわからないでもなかったので、「辞退」から「回答保留」に態度を軟化したのだった。

それからしばらくしてのこと。毎年夏にはカリブ海にスキューバダイビングしにいくのだが、そんな中 Grand Cayman 島に行ったときの帰り、フロリダ、マイアミ国際空港でアメリカへの入国審査を受けた。
これまでにもカナダやメキシコ、バハマなどアメリカ国外に旅行しても入国審査で問題になることはなかったのだが、このときはちょっと違った。係員がパスポートを開いて、僕の H1-B ビザのページを見た後、卓上のスキャナーにかざしたあたりで不審そうな表情をしたのだった。すぐにその係官のいるブースにランプが灯り、別の係員が来て「こちらに来てください」と言われてしまった。
連れて行かれたのはガラス張りの別室で、中にはカウンターと待合い席がある。僕前には数人の先客が席について待っている。
しばらくしてカウンタの向こうから係官が僕の名前を呼んだ。スーツケースなどを持ってカウンタに行くと質問をするでもなくやはりパスポートをスキャナにかけてなにか調べている。
おもむろに聞かれたのは「このビザは東京のアメリカ大使館で発行されたのか?」ということだった。どうやら「○○年に東京のアメリカ大使館で発行されたビザにしてはクオリティが悪すぎる」ということらしい。ただこの旅行のちょっと前にもアメリカ国外に出て、同じパスポートでアメリカに戻っているスタンプがあるので、それを見て「今回はこのまま入国させるのに問題は無いが、もう後少しでビザが切れるので、更新手続きを早めにするように。グリーンカードの申請はしているか?」と係官。「いやしていない」というと「長くアメリカにいる気があるのならグリーンカードを取った方がよい」と言いながら、入国許可のスタンプをパスポートに押してくれたのだった。

休暇からあけて会社の人事部に行き、H1-B ビザの更新手続きを開始すると、「この際グリーンカードの申請をしない?」と聞かれ、それまでは迷っていたもののやはりこの先どれだけ住むかわからないのと、海外旅行に幾たびに今回のようなヒヤヒヤを味わうのもいやなので、これを機に申請をしてもらうことにした。

とまあこんないきさつでグリーンカードの申請が始ったのだが、Grand Cayman 行った年に東京のアメリカ大使館で H1-B ビザの更新をするために日本に一時帰国する必要があったので、実際のグリーンカードの申請は2000年の12月になった。

以下、次回に続く。

Tax Return

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今年も Tax Return の季節がやってきた。確か以前にも紹介したはず、と思って遡ってみてみると1999年の New York Watch で紹介している。これから紹介する内容はその当時とさして差は無いのだけれど久しぶりなのでちょっと取り上げてみることにした。

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会計士事務所の入り口。雑居ビルの2Fにある。

アメリカでは収入がある限り税の申告を個人で行うことになっている。正確に言うと毎月 ( うちの会社は月2回支給だが )、税金は天引きされるのだが、日本で言うところの年末調整にあたるものは自分で行うことになっている。それが毎年この時期なのだ。

1月から2月にかけて、まずは会社から W-2 なる1年分の所得が記載されたフォームが自宅に送られてくる。また銀行預貯金などの利子収入に関しても、金融機関から証明書が送られてくる。申告をして初めて利子収入に課税されるようだ ( おそらく他に株の売買によって生じた利益にも課税されると思うが )。
アパートを借りている人の中には Security ( 敷金 ) の利子収入の証明書が送られてくる人もいる。これは大家が集めた敷金を金融機関に預けているので、それに対する利子収入についても申告の必要があるからなのだ。

この申告だが、自分でやることもできる。必要な用紙を自分で入手して ( またホームページからダウンロードすることもできるようだ )、手で記入してもいいし、また税金申告向けの PC ソフトもこの時期たくさん売り出される。聞かれてくる質問に答えていくだけで、申告に必要な情報が出力され、それをインターネットを経由して電子的に申告することも、紙に印刷してそれを送付することもできる。
また多くの人は会計事務所に行き、代金と引き替えに必要な書類を作成して貰っているようだ。かくいう僕も毎年同じ会計事務所にお世話になっているのだ。ソフトウェアで申告する人の話を聞いてみたが、意外と質問の内容が細かく、辞書を引き引き大変だそうだ。それにソフト自体も$10から$20ぐらいのレンジのものを購入する必要があるので、それなら$30、$40払っても会計事務所にやって貰った方が楽と言うものだ ( この時期、New York のあちこちで見かける H&R BLOCK というのは会計事務所なのだが、$150ぐらいの代金がかかるそうだ )。

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人がすれ違うのが難しいほど狭い階段。しかも急。

締め切りは4月15日なのだが、ぎりぎりになると会計事務所も混み合うし、なんと最終日は直接郵便局に投函する人たちの列まで出来るほど最後の最後まで出さない人が多いくらいなので、例年2月中に済ませてしまうのだが、今年は日本に一時帰国していたこともあって、今回は遅くなってしまった。

例年依頼しているのは、Flushing にある中国系会計事務所。来ている客のほぼ全員が中国人、というなか日本人の僕たちが行くのはかなり珍しいのだが、僕も最初友達に紹介され、さらに僕が友達を紹介し・・・と最近は日本人の利用客も増えているそうだ。
クレジットカードの利用明細、銀行利子証明書、それに W-2 フォームを持って今年も会計事務所がある Flushing に行ったのが先週。そして今週はできあがった申告書を受け取りに行って来たのだ。

もう何度も行っているので僕は慣れてしまったが、今回初めてという友人は上の写真の入り口、そしてそれに続く急な階段、そして職業安定所の中にある、会計事務所、そして中国人の中に僕ら数人が日本人というちょっと変わった雰囲気にびっくりしてしまっていたようだ ( 店内の様子は1999年の「 Tax Return 」の項で紹介しているので、今回は省略 )。

やはり今年は行ったのが遅かったのか、例年見かけないほどに混み合っている。座る場所がないほどで、ほとんど人は職業安定所の待合い席で待っている。40分ほど待って自分の番が来て会計士から申請用の書類の確認をされる。で、できあがった書類、2部にそれぞれサインをした。税の申告は Federal ( 国 ) と State ( 州 ) とそれぞれ手続きが別なのだ。例年だとたいていどちらかの Tax で不足が生じ、残りの方で税金還付があり、トータルで$500程度戻ってくるのだが、今年はなんとトータルで$1500近く戻ってくることに。先日日本でかなり金を使ったので今年の還付はかなり助かる。

あとはここで作成してもらった申告書を封印し ( やはり片方はいくばくか支払わなくては行けないので小切手も同封する )、切手を貼ってポストに投函すればしばらくして還付分はチェックが送られてくる。

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飲茶のあとさらにお茶した SAGO というカフェ

「また来年来ます」と Ruby ( ここの会計士 ) に挨拶して、事務所を後にし、同じく Flushing にある大きな飲茶の店向かった。この Flushing は Queens にある最大の China Town で Manhattan のそれに勝るとも劣らない規模なのだ。
途中僕の会社の友達 ( 上海出身 ) も同じテーブルに参加して、注文は彼女の口を通して頼んだ。

飲茶はワゴンにそれぞれの皿を載せてやってくるので、一つ一つ蓋を開けて見ながら注文できるので便利なのだが、ときどきそれが「ナニ」なのかわからないものがある ( 怖 )。そんなとき英語で「これナニ?」と聞いても中国で返されてしまい、結局わからずじまいのまま食べてしまうこともよくあるのだ。
今年は彼女のおかげでヘンなものを食べないで済むはず・・・だったのだが、彼女自体が特色あるものがすきなので、結局わけのわからないものが結構テーブルにならんだかも ( 豚の胃の煮物とか・・・)。

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SAGO で飲んだ、抹茶のジュース。抹茶寒天入り。奥は C ちゃんが頼んだライチジュース。ライチ寒天入り。

飲茶はそもそも食事をしながらお茶をがぶかぶ飲んで・・・というスタイルなのだが、このあとさらにもう一軒カフェまで行ってしまった。
同じ Flushing にあるカフェで「SAGO」という。でもよく見ると漢字の看板には「茶都」とある。例の中国人の友達が連れて行ってくれたのだが、彼女は「これは中国語にない単語だから日本語だと思っていた」という。でも「茶都」だったら「SATO」だろうから日本語じゃないよ、などと話しながらその店に。

メニューにはかなり豊富なドリンク。タピオカに台湾なんかでよく飲まれる黒いゼリーの入ったドリンクなど。アメリカにしては珍しくメニューには写真付きで紹介しているものもあったのでその中で鮮やかな緑色したものを頼む。英語の綴りでは「Mocha milk with Mocha Agar」となっていたので、Mocha とかいうものの寒天入りMocha ドリンク?この緑はモカ?などと思いながら頼んだのだった。

テーブルに運ばれてきたものを一口飲んで判明したのは、それは抹茶だったこと。どうやら Macha が Mocha になってしまったようだ。気が付くと日本の喫茶店に並ぶような軽食もメニューにならんでいる。どうやらここは日本風と中国風をミックスさせたカフェのようだ。

とのまあこの日は朝からずっと中華的時間の過ごし方になった。ここ何年か同じパターンだが、この季節が来るのを心のどこかで待っている気もする。こんな風に数時間を China Town で過ごしていると、ここがほんとにアメリカであることを忘れるほどなのだ。
自宅に帰るために地下鉄に乗ったのだが、目の前の人がスペイン語を話しているのを聞いて初めて、夢から覚めて現実に戻った、そんな気分になった。


華人報税服務中心
135-27 Roosevelt Ave., 2nd Floor
Flushing, NY 11354 (718)461-2871

コンビニ続報

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下で紹介した、近所のコンビニ。いよいよオープン。早速初日に訪れたのでその様子など、速報をお伝えしよう。( 撮影はすべて CANON Powershot S30 )

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開店初日の夜、明るい店内と多くの日本人客でにぎわうコンビニ。地元のアメリカ人なども「なんだろう」という顔をしながら結構たくさん入店してくる。

会社はいつも10時出社なので、オフィスを出るのも必然と遅くなる。車で通勤しているのだが、金曜日の夕方ともなると帰宅と車と、週末の夜を遊ぶ人たちの車でハイウェイは渋滞する。それでもだいたい7時頃には自宅近辺まで着いたので、ちょっと寄り道してくだんのコンビニに寄ってみることにした。

場所は先日紹介したとおり、Broadway。Astoria と言う街にあって地下鉄 N Line では中心と言ってもいいかもしれない ( 終点の Ditmars も栄えてはいるが )。駅からわずか1ブロックなので駐車は難しい。それでもなんとか車を停め、Astoria に住む日本人の間で話題沸騰のこの店「 Family Market 」にいざ入店。この店はもともとコインランドリーだったはず。
明るい蛍光灯の明かりが店の外にもこぼれている。この蛍光灯のこうこうとした照明はいかにも日本的。アメリカでは室内の照明が日本にくらべて暗めなのだ。
開店初日、通勤通学からの帰宅途中というタイミングからか、結構客は入っていてざっと数えたところ20人ぐらいだろうか。

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弁当、つけものなどのコーナー。上段左にはバウムクーヘンが見えるがここには他に大福やカステラなどの菓子なんかも。

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駄菓子のコーナー。チョコエッグは無い(涙)。そうそうむき甘栗が はやっているんだって?写真の中にもそれが見える。

店内に入って最初に気が付くのはやはり日本にあるコンビニとは品揃えが違うこと。こちらでコンビニと言ってもやはりどこかミニスーパー的な品揃えになるのはやはり日本食料品が珍しいためか。それと雑誌や新聞のたぐいが無い代わりに奥にはレンタルビデオのコーナーがあるのもアメリカの日本コンビニっぽい ( ただし今日はまだビデオを棚に納めている最中だった )。
逆に他の日本食料品店との違いを見てみると、生鮮食料品が無いこと、それと調理器具など家庭的なものもほとんどない、といったところだろうか。言い換えると、Astoria は学生や、独身の社会人の日本人が多く、そう言った人向けに絞った品揃えということになりそうだ。

そのかわり左の写真を見てもらえればわかるとおり、スナックのたぐいはかなり豊富だ。半分くらい菓子と言ってもいいかも。10分ほど中をうろうろしてだいたいの品揃えを確認。弁当もあるし ( でもこの日はおにぎりがなかったぞ )、パンは来週からの入荷と張り紙が書いてあるので OK、冷凍食品のコーナーには日本のアイスもあるし、弁当用のおかずもお約束の納豆なども売っている。お好み焼きの粉も売っているから自宅でお好み焼きも挑戦してみるかな。飲み物は日本製の缶ビールから、午後の紅茶、緑茶、缶コーヒーまで。化粧品は女性のものなら少し。日本のシャンプーなどもそろっている。
うれしいのは他店ではなぜかあまり売っていないインスタントコーヒーもあること。これら値段も総じて他の日本食料品と同じくらいだ。

しばらく「お、ここはこんなものがあるよ」などと友達と話しながら冷やかし客していると「久しぶり」と後ろから声をかける人が。振り返ると久しく会っていなかった、同じ Astoria に住む近所の友達だった。
このあたりに一つしかないコンビニだから、これからも日本人の知り合いとはここでよく会っちゃうんだろうなぁ。

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店の奥から撮った。右側のボトルはしゃぶしゃぶ用のたれと見た。

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レジの前は行列が出来ていた。カウンタの上に肉まんとかおでんとか並ばないかなぁ。

残念だったのは、ここも日本製のヨーグルトは売っていなかったこと。それとやはりクリームシチューのルーも狂牛病のあおりで入荷していないようだ。なぜかカレーのルーは売っていたけど。

野菜や肉など生鮮食料品を置かないのは正解かも。上にも書いたように家庭に子供がいたりする日本人は、Astoria にあまり住んでないと思われるし、ましてこのコンビニの目の前はスーパーなのでそう言った普通の食材は ( もちろん日本のものと味もサイズも違うけれど ) そこで買えばいいのだ。

弁当の種類がもう少し豊富で、おにぎりや菓子パンがもう少し増え、出来たら洋菓子などももう少し拡充してくれたら週に3回は通ってしまうぞ > Family Market。どうにか日本のプリンとヨーグルト、売ってくんないかなぁ ( しつこいって )。

きっと今回の様な話、日本から見れば他愛のないことのように映るかもしれないが、海外に住んでいる僕らには大きな出来事なのだ。
海外で暮らす、ということは食を含むいろいろなローカルな文化に慣れ親しむことだと思うが、確かに少しずつ「日本食依存度」は減ってきていると感じる。でもその一方で不思議とどうしても日本のものが食べたい、という強い衝動に駆られるも事実なのだ。日本にいたときにはそんなに好きじゃなかったものまでがなぜか好物になってしまったり、いつでも食べられると思うと、買ってまで食べない癖に、なかなか入手できないとなると途端に気になり出したりして。

New York は他のエリアと比べても格段に日本の食料品が手に入りやすいと思うが、それでもこういったコンビニができるできないで一喜一憂してしまう僕らは根っからの日本人だよなぁ。


3週間弱の日本滞在から New York に戻ってきました。まだ軽く時差ボケが残ってるけれど、少しずつホームページの更新に励むことにしよう。今回は僕が住んでいる Astoria の街の話題。

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右の「Family Market」が日本コンビニ。ファミマに似ている?左は日本食レストラン、Shima。

大昔に僕が住んでいる Astoria の街について紹介した記憶があってそのときは「機会があればまた紹介でもしよう」なんて書いていたのに、結局それから一度も紹介してこなかった。今回は久しぶりに Astoria について紹介することにする。

実はなんと日本人向けのコンビニが Astoria にオープンすることになったらしいのだ。

数年前から運動と減量をなるべく心がけている関係であんまり食料品をスーパーで買い込むことが少なくなった。平日はたいてい質素に野菜と果物が中心だし。なのでスーパーには週に一度行くぐらいの頻度で、まして日本食料品店に行く回数となると月に1度くらいだろうか。
夜遅くまで開いている East Village にあるサンライズマートは便利だし、おにぎりやパン、総菜なんかも売っているので近くに住んでいたら時々立ち寄ったかもしれないが、Astoria からだと地下鉄に乗っていかなきゃならないので、平日行くなんてことはほとんど無いのだ。
ちなみにうちから一番近い日本食料品店といえば、Bloomingdale's デパートのそばにある「片桐」だろうか。それでも地下鉄に乗って3駅となりだ。ここは夜の閉店時間が、たしか7時頃と早いので平日の利用はほとんどあきらめ。

ところが去年の夏ごろから、New York にあるフリーペーパーなどに「Astoria に Japanese Convinience Store がオープン。店長候補募集」なる求人広告が載っていて、近所の日本人達の間では「あそこに出来るらしいよ」とまことしやかに噂されてきたのだ。
僕が住んでいる Astoria と言うこの街は以前も紹介したように、一般にはギリシア系移民が多く住むところとして良く知られている。最近では南米系の人たちも多く住んでいるが、めずらしくここに住むアジア系住民の多くが日本人なのだ。僕も Astoria で知り合った日本人の友達が多いが、もう10人を越えただろうか。友達のアパートを訪ねると、1階に備え付けられている呼び鈴の名前を見ても必ず日本人の名前が見つかる。僕が住んでいるのはこじんまりしたアパートなのだが、それでも半分がなんと日本人居住者なのだ。
それなので Astoria に日本食料品を扱う店の一つや二つがあっても不思議ではなかったのだが・・・。
ここに来て待望の日本食料品店、しかもコンビニエンスストアスタイル、ということで夜遅くまでやっていそうな雰囲気。今か今かと開店を待てど、実際の店舗に工事が入る様子もなく ( 近所なのでときどき通るときに見ていた ) その後 New York を襲ったテロ事件もあってか開店が遅れたか、もしくは計画が棚上げになってしまったかのように見えた。( Times Square に昨年末に出来ていたはずの吉野家もいつの間にか話しを聞かなくなってしまった )

ところがこのコンビニのすぐそばにすむ友達から「最近動きがあって、監視用のカメラとかモニターを設置していたよ」なんて話を2月上旬に耳にしたのだ。その後3週間弱日本に帰っていたのだが、New York に戻ってみるとなにやらさらに進展があった様子。なんと看板が取り付けられたというのだ。何でも名前は Family Market。

前日とはうってかわって強風が吹き荒れ、北風が身を切るほど寒い日曜日の午後、歩いてうちからこのコンビニまで行って来た。確かに看板は着いている。なんか字体は日本の Family Mart によく似ている。がやっぱりまだ開いていない ( 上の写真はそのときに撮った。ちなみに隣は日本食レストラン Shima。一度カツ丼を食べたのだがものすごいボリュームだった )。

ところが別の情報源に寄ると「昨日、食料品を運び込んでいるのを見たよ。開店はもしかして今日あたりじゃない?」とのこと。さっそく平日の夜、仕事帰りに車で店の前を通ってみると、おお、扉は開かれ中から蛍光灯の明るい照明が道路にこぼれている。中には6~7人の日本人男女が見えるが、まだガラスドアには張り紙がされていて、準備中の様子。車を近づけて文面を読んでみると「3/15 Coming Soon」と書かれている。お、今週の金曜日に開店だな。どれどれ、ともう少し詳しく見てみると開店時間は月曜から土曜日までは朝10時~深夜1:00まで。日曜日だけが10:00AM ~ 10:00PM の営業のようだ。コンビニだけあって Manhattan のサンライズマートより遅くまで店を開けていることになる。

昨年までは近所にカタカナで「ビデオマニア」なる日本のレンタルビデオ屋もあったのが、このコンビニ内にコーナーが出来るようで閉店になっていた。店の奥にはどうやらレンタルビデオコーナーもあるので、日本の番組も見やすくなるな。それよりますます Astoria から離れなくなるなぁ。

オープンは今週末。せっかく近所なので当日取材をかねて行ってみることにしよう。

Family Market
場所は Broadway / 29th と30th Street の間

Japan Watch

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現在日本滞在中。せっかく日本までホームページ更新データの詰まった MO を持ってきたのだから、実家の PC を使って一回ぐらいは更新しないと。

jwatch1.JPG(38158 byte)
どこでも普通に見られる携帯メール
jwatch2.JPG(31412 byte)
地下鉄でも携帯が通じるところではメール

実家の PC には MO ドライブはないのだが、今回の滞在で最初に買ったのが実は IEEE1394/USB2.0 対応の 2.3GB MO ドライブ。早速これを実家の PC につないで今回の更新分を書いてます。


さて Japan Watch と題して何を書こうかと考えたとき、それは日本に着いて最初に気になったアノことになるだろう。アノこととは、携帯利用度の高い事。
成田空港に着くや否やポケットから携帯電話を取り出し、旅行中に受けた留守電とメールのチェックをする人の多い事。
やはり旅行中に受信したメッセージや留守電は気になるもんだよなぁ。僕も日本から New York に戻る際、 JFK 空港に着いたら真っ先に携帯電話の留守電を聞くと思う。でもアメリカと日本で大きく違うのはやはり携帯でのインターネットとメール。
留守電メッセージを聞くために携帯を耳に当てている姿は同じだけれど、携帯のキーボードをかちゃかちゃたたいてメールを送受信している姿はまだアメリカではポピュラーではない。

その様子は、以降毎日見かける事になる。電車を利用すればホームのあちこちや電車の中で携帯を操作している人を多く見かけるし、カフェなどでもコーヒーを飲みながら携帯というのが一般的な風景となっていた。
2000年秋に一時帰国したときもすでに携帯メールは普及していたけれど、これほど多くの人たちが携帯を操作している様子は見かけなかったような気がする。ちょっと前だと電車の中でもまだ本を読んだり、雑誌を手にしている人が多かったけれど、今ではそれが携帯に取って代わられた感も強い。はっきりと数字は分からないけれど携帯メールのせいで、雑誌の売上って落ちているんじゃないか?加えて言えばウォークマンをしている人の数もだいぶ少なくなったと思う。それだけみんなが携帯メールにいそしんでいるようだった。
僕も最初は使い方が分からず、「短期間の滞在中なら使うこともあるまい」と思っていたところ、帰国後友達から続々メールが入るようになり、恐る恐る使い始めるとこれが意外と便利。限られたボタンを使っての入力はキーボードに慣れている身にとってははっきり言って苦痛だけど短いメッセージならなんとかなるか、という感じ。

ではアメリカではどうかと言うと、携帯でのインターネットメールとショートメッセージ、どちらも存在する。存在しているのだが、これを使っている人は少ない。僕が AT&T の携帯電話を使い始めたころはこのどちらもが無料だったが、これが有料サービスになったこともあって送信はできなくなった ( 受信は可能 )。だれもお金を払ってまで使いづらい電子メールサービスを使うか、と言ったところか。最近では AOL のインスタントメッセージ、AIM を搭載した携帯電話とサービスを開始したキャリアもあるのだが、これはまだ利用者を見た事がない。まあアメリカでは PC でインターネットと言うと AOL を使っている人がほとんどなので、このユーザとインスタントメッセージが送れるならば、ショートメッセージも電子メールも要らないくらい普及度は高いのだが、日本でも NTT DoCoMo が AOL と提携しているので、サービスが開始されるかもしれない!?

使ってみると意外と便利なメッセージングシステムだが、なぜ日本でこれだけ急速に普及したかを考えると、人前で電話することに対する遠慮があるような気がする。
以前も書いたことがあるが、電車に乗ればそれこそそのアナウンスの方が耳障りなくらいに「携帯電話の使用はお控えください」の連発。今回の滞在中、車内で会話をする人はほとんど見かけなかったぐらい、このマナーとやらは周知徹底しているらしい。会社でも携帯電話で友達からの通話を受け取りにくくてもメールなら返信しやすかったりする。しかも人前で打つメールの内容を読み取られないようにするための液晶シールドなる物 ( 正面からは液晶の内容が読めるが横からだと真っ黒になって見えない ) まで売っていたりして如何に人前での使用を気を使っているのかがよく分かる。
携帯文化先進国の日本、いずれはこの風景もアメリカのあちこちで見られるようになるだろうか。

マナーの話ついでにもう二つ。
一つは、駅がうるさいこと。まさに駅は音の洪水に感じた。以前はなんとも思ってなかった事だが、久々に来て見ると「電車が近づくアナウンス」「降り乗りの指示のアナウンス」「出発を知らせるアナウンス」「発射のベル」などそれぞれのホームが高らかな音であふれている。目の見えない人に対する親切なのだろうか ( ただし欧米ではあそこまで微に入り細に入るアナウンスは聞いたことがない )。
それともう一つは、あきれながらも関心してしまったキャッチコピー。確かこんな感じだったのだが「お化粧パタパタははたはた迷惑」。
これも駅に張ってあったのだが、ウォークマン、携帯電話と続いて今度は化粧自粛キャンペーンでも張るつもり?


さて久しぶりに訪れた日本でしたが、いよいよ明日米国に戻ります。しばらく出勤しない生活が続いていたので、仕事に戻るのがちょっとつらい・・・。もう少し日本に滞在していたい気持ちも強いのだけど、有給休暇も少なくなるのでそうも言ってられません。戻って落ち着いたら New York Watch の更新を再開する予定なのでまた見に来てください。

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