2004年11月アーカイブ

不幸は続く

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「不幸というものはなぜこうもつづくのでしょう」という表現は小説でもエッセイでもよくみかけるが、実際に連続して発生する確率というのはそんなに高いのだろうか。

たぶんいつもは特別ハッピーではないけれど、そこそこ幸せな環境にいることに慣れてしまっていて、時たま起こる不幸が、たまたま重なるものだからこうののしるのものなのかもしれない。

とはいえ自分にそれが起きると途端に他人事では無くなる。
似たようなタイトルで一度 New York Watch に書いたことがあるがこの数日は不運が続いた。
どうやら今回は車に関する貧乏神がとりついたようだ。

毎年4連休になる Thanksgiving Day の後半、ちょっと写真を撮りたくなったのと、久々に友人 H と軽く夕食でもということになり、Manhattan に赴いたのだが、風邪気味だからと車で出たのが失敗の元だった。
休日ダイヤで動く地下鉄は下手をすると寒いホームで10分も20分も待たされることがある。そのせいで風邪をこじらせたらいやだな、と思ったのと重いカメラ機材を目の前にして車ででかけたのだが、あまりの寒さに、Manhattanに着くやいなやすぐにトイレに行きたくなった。

昔に比べれば Starbucks Coffee などのカフェのおかげでトイレスポットが増えたが、かつてはなかなか大変だった。男の僕でもそう思うのだから、女性はもっと深刻名問題かもしれない。公衆トイレの少ない Manhattan においてファーストフードレストランやカフェの位置を知っておくのは New York で生活する上でとても役に立つ。
この日もトイレに行きたくなったが、トイレのついでに何か買わないといけないとして、Starbucks Coffee のコーヒーをどうしても飲みたいわけではなかったので、近くにあった MacDonald にで手短に住ませようと、ストリートに車を停めた。

Manhattan はどこも駐車規制が厳しく、通りに立っている案内板をよく読まないとすぐに違反駐車になる。でもこの日は土曜日だったし(ほとんどの通りが月曜日から金曜日までの規制があり、土日はフリー駐車のところが多いのだ)、なんといってもアメリカの正月みたいなものなので、たとえ駐車禁止のところでもそこまで厳しくないだろうと、安易に車を停め、MacDonald に入った。コーヒーを一杯買って、トイレを使用して、片手にまだあつあつのコーヒーを持って自分の車に戻ると、そこに待っていたのは駐車違反の切符だった。たった5分の間だったが、見事にみつかってしまった。これで$95なり。友人には「立ちションして見つかってもこんなに高い違反切符にならないんじゃないの? 高いトイレ代だなぁ」と笑われてしまう。

そして翌日日曜日。くよくよしていても仕方ない、と忘れかけたころだった。近くに住む写真家仲間、Fredinand と写真を撮影して、そのあと知り合いが勤めているルーマニア料理の店に行こう、と誘われた。昨日のこともあるのできちんと時間を気を使い、パーキングメーターにコインもちゃんといれてレストランに入ったのだが、このパーキングメーター、ちょっとくせ者だった。最高一時間までしかコインを受けつけないようになっているのだ。そこで食事が始まって最初の一時間が切れる頃、またパーキングメーターまで戻ってきてさらに一時間分のコインを投入したのだった。
この時点で次の一時間語の時刻をちゃんと気にしていたのに、このレストランでたままた会社の同僚カップル ( 彼らもルーマニア人 )と遭遇。ということで Ferdinand と彼らを紹介し、かつこの店で働いている Ferdinand の幼なじみのルーマニア女性も会話に加わってにぎやかになった。
残りの一時間が近くなってきたので、Ferdinand に「先に車に戻っているよ」と言い、立ち上がりかけたのだが、「一緒に行くからちょっと待てよ」と言われ、まあ5分くらいは大丈夫かなと思って再び椅子に腰掛けた。でもこれが失敗だった。支払いを済ませ、パーキングメーターに投入した時間分より10分ほどオーバーして車に戻ると非情ななオレンジの封筒がワイパーに挟み込んである。時間を見るとまさにこの5分間の間だ。
不幸中の幸いで、Queens は駐車料金が安いので$35だったが、こんなことならこまめにパーキングメーターなど使用せず、店の前に駐車違反高どうだか知らないが、停めてやったら良かった、と思ったほど。Ferdinand の「ちょっと待てよ」の一言も恨めしかった。

そして翌日、月曜日。この日は Thanksgiving 連休明けの初日だ。
道路も混雑するかもしれないと、多少早く家を出た。高速道路は思ったほど混んでおらず、快適に飛ばしていた。
一番左の追い越しレーンを運転中、外から異音が聞こえてきた。ゴロゴロ言っているが、隣は大型のトラックが併走している。このトラックの音かもしれない、とアクセスを踏み込んで抜かすことにした。
ところがトラックの前に出ても異音は続くどころか皿に大きくなり、加えて車が大きく揺れた。さすがの僕でも「これは僕の車だ」とすぐに分かり、急いで一番右側の待避ラインまで3車線を移動しなくてはならなかった。たぶん後ろや横で走っていた車には僕の車がどんな状態か見えたのだろう、みんなスムーズに道をあけてくれ ( というか大きなアクシデントになるかも、と避けていただけなのかもしれない )、なんとか高速道路をふさがずに無事待避エリアに車を寄せることが出来た。

運転席側の左側はそこが高速道路の走行車線なのでそこから出るのは危険。右の助手席に車内で移動して扉を開けると、すぐにゴムの焼け付く匂いが鼻をついた。
見るまでもなくパンク、それも派手に blow up していた。

tire.jpg

出勤途中だったので、とりあえず同僚の携帯に電話し、出社が遅れることを伝える。それを終えると車の後部に装着しているタイヤをはずして、このタイヤと交換することだった。4WD 車なのでこのタイヤも「ドーナツ」と呼ばれるテンポラリーなものではなく、フルサイズなので空気が入っていればそのまま走行出来るはず。でジャッキで車を持ち上げる前に破裂したタイヤのボルトをゆるめようとするが体重を掛けてもどうしてもゆるめられないボルトが一つあって途方にくれた。いつも車のメンテナンスを持っていくところは機械でこれらのボルトを閉めるので、この一つは特に強く閉められているようだった。
そこでどうしたもんかと自動車修理工場を経営している友人に電話したところ「いまいるのが Queens なら911に電話すると NYPD の HELP カーが駆けつけてタイヤの交換を手伝ってくれるよ」という。
911は日本で言うところの110番なので、これしきのことで非常電話をかけてもなぁとためらう。朝が速かったが今度は警察官の友人に電話して聞いてみると、((笑)ながら)「警官がそんな事手伝うわけないじゃん。311に電話してご覧」という。どうやら最寄りの towing company (レッカー移動する民間会社)の番号を教えてくれ、その車を派遣してくれるだろうとのことだった。

311は New York 市が提供している生活ホットラインで、特にこの季節だと暖房が入らないとか、寒さで水道管が破裂したなどの苦情を受け付け、即座に動いてくれるものだ。
911よりはこちらがいいかも知れない、と思って電話すると311のオペレータは僕の話を聞いた後「これは:警察の管轄ね。今から911のディスパッチャーに電話するからもう一度説明して」と言われ結局緊急番号に転送されてしまった。
電話に出た人まず「非常かどうか」と聞いてきたので「非常ではないが、高速道路を運転中タイヤが破裂して交換ができずに路肩に車を止めている」と説明。するとすぐに「高速道路のレーンをブロックしているか」と聞かれた。おそらく交通渋滞を巻き起こしているかどうかによって対応が違うのだろう。走行レーンではないところに止めていることを伝えると、それでは警官を送るから現場で処理してください、と言われ待つことになった。

30分ほど待ってパトカーがやってきたが、状況を見ると「これはレッカー車を呼ばなきゃ」と言って結局当初の話し通りレッカー車を呼ぶだけ・・・警官の友人が言うことは正しかった。
それでもパトカーは何もしないかというと、レッカー車を呼んだあとも、後ろからの追突を避けるためか、非常灯をつけて僕の車の後ろにずっと待機していた。おかげで通りすぎる車からは好奇の目で見られたが、僕がスピード違反をして捕まったと思われていたのかもしれない。でもパトカーの中の警官2人は新聞を読んでいたんだけどね(笑)。

レッカー車は10分もしないうちに到着し、それと入れ違うようにしてパトカーは高速道路の流れに戻っていく。大きなトラックから出てきたおっさんは僕の顔を見るなり「お、日本人か? 昨日ディスカバリーチャンネルで日本の特集をしていたけど、凄いいい国だなぁ」などと話しかけてきた。
「で、どんな問題?」と聞かれて、実はボルトが一つはずせないだけでそれが回せれば自分でタイヤ交換出来ると思う、というと、専用の大きな道具を使ってなんなくそのボルトをゆるめてくれた。
「どうする?タイヤ交換をしてもいいけど、自分でやればタダだぞ」と言うので、後は自分で、と言ったのだが結局最後までタダで手伝ってくれた。手を拭きながら多少のお礼として少額渡しのだが、そのときに「実は義理の妹が日本人でね。だから姪と甥は半分日本人、半分はイタリア人なのさ」などとからから笑いながら教えてくれた。
朝から不愉快なタイヤの破裂だったが、気持ちの良いおじさんのおかげで、気分はかなり軽くなって無事出社できた。

とはいっても経済的なツケは来るわけで、今、後輪についているタイヤも実は以前に釘が刺さってパッチが当てられている状態。今日破裂したタイヤはそんな過去の履歴の無いものだっただけに、他のタイヤもそろろそ寿命だろう。ということで今回は5本ともタイヤを買い換えることにした。

ということで昨日のブログで「会社帰り pepboys という自動車用品によってタイヤを5本買った」と書いたのはこの話から来ているのだった。

この数日は車関係で予想外の出費。これで自分用のクリスマスプレゼントは無しだな・・・

憂鬱な月曜日

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月曜日はどうしてこんなに忙しいんだ? 週末遊び過ぎたツケがまわってくるのだろうか???

今日すべき事


  • 会社の帰り、 Pepboys によって車用のタイヤ5本購入、装着
  • 洗濯
  • 不在中の友人宅に行き、ネコとカメと熱帯魚の世話
  • 月末の支払い処理
  • ブログを書くこと(これね)
  • 自分のところと友人のところのHP掲示板にコメントを書くこと
  • 新しいレンズの比較写真をアップロード
  • 昨日知り合った3人の日本人青年男女にメール
  • Puerto Ricoで知り合ったオハイオの夫妻に写真をメール
  • Kohさんのブログサイト構築支援(って書くとちょっとかっこいい?)

そのあとで時間が取れたらギャラリーの整備をはじめます。 今日は突発的な事情があって出社が遅れたので帰宅時間もその分スライド。よって今夜は大忙しになりそうです。

Turkey Day

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昨日、11/25は Thanksgiving Day、つまり感謝祭の日だった。
New York Watch でもその由来を何度か紹介しているので詳しく書かないが、まあヨーロッパから新天地アメリカを目指してやってきた移民が、ある年飢饉に襲われた。そのときに Native American、つまりかつてインディアンと呼ばれていた彼が移民に対して施しをしたことに感謝の意を示したことからこのお祝いが始まった。

なのでこの日に食される食事はほとんど固定されていると言って良い。このときになくてはならないのが Turkey である。この Turkey、各家庭のオーブンで長い時間をかけてゆっくり調理される。通常、Turkey の調理、そして皆が揃って食べるときにナイフでカットするのも一家の主であるお父さんの役目となっている。
この Turkey に Gravy ソース、つまりオーブンで焼いたときに出てくる肉汁をベースにしたソースと、クランベリーをベースにしてつくったソースの二種類をかけて食べる。もちろんクランベリーを使う方はとても甘い。どちらかというとジャムといっても良いだろう。

そしてこのときに付け合わせで食べるのがスイートポテトやマッシュドポテト、パンプキンパイ、アップルパイ等のようだ。

この日の食事は午後3時くらいから始まり、夜まで延々と食べ続ける。食べ終わった後もしばらくしてまたテーブルに戻ってきて Turkey を食べる・・・・。
そして肝心なのは皆が同時に着席し、その中の1人が grace という感謝の祈りをすることだ。

こうしてみるとほとんど形式ばっているが、実のところまさにその通りで、朝は Manhattan で行われる Macy's デパート主催の巨大パルーんのパレードが全米に紹介され、そして午後はフットボールの試合を見て過ごす。
こうしてみると日本の年末年始とほとんど同じパターンなのに気が付く。紅白を見て、年越しそば、お節料理、そしてテレビでは隠し芸。
宗教に関してはとても神経質なアメリカではクリスマスを祝わない人も多いのだが、この thanksgiving は宗教を越えた祝い事であるので、アメリカ国中で祝われるのだ。家族と別々に住んでいる人たちもこの日は帰郷するので、前日、当日は空港も殺人的なラッシュになる。
それだけに日本のお正月と似た雰囲気を持っているのは当然かも知れない。この日は週7日オーブンしているようなスーパーやファーストフードまで閉店になるのだから、街がいかに静かなのかは想像に難くないだろう。

閑話休題
ということでアメリカに家族のいない僕は通常、友達の家に呼ばれることが多いのだが、今年も友人が Turkey を焼くというので行ってきた。夜中の12時頃帰宅したのだが、すっかり食べ過ぎて、腹一杯。
今夜は僕が Stuffed Turkey になった気分。

下の写真は友人が焼いたもの。Turkey の丸焼きです。とてもうまく焼けてました。

thanksgiving.jpg

彼の被写体との出会いはまだ続く。

「私が『Subway』シリーズを追っていたときのことです。顔に大きな傷の入った見るからにギャングの男が地下鉄に乗り込んできました。写真を撮らせてくれと頼むと、何でだ?と厳しい目つきをしながら聞かれてしまいました。そこでこういう時のためにかつて私が撮ったマリリンモンローなどのポートフォリオを取り出して見せると、とたんに表情がかわり、『おまえが本当にこれ撮ったのか?』と聞かれました。その後の写真撮影はもちろんOKしてくれたのですが、彼とはその後親友になりました」

などと皆を笑わせる話もとてもうまい。
その「Subway」作品集の中で有名な一枚として、地下鉄車内でコワモテの黒人男性が、これまたもう1人の恐そうな顔をした黒人の頭に拳銃を突きつけているものがある。とてもそうは見えないのだが、その拳銃を持っている人こそ、私服警官なのだそうだ。
あえてそういったギャング風の格好をしているようだが、私服警官と一緒に長い期間取材をしていてこの一枚が撮れた、と言っていた。ちなみにその犯人はちょうど Davidson の鞄をひったくろうとしていたらしい。今の NYC の地下鉄は安全だが、当時はこんなことが日常茶飯事だったのだ。

このあと質疑応答(というか雑談)があったのだが、そのコメントも興味深かった。いくつか紹介しておくと、

(civil rightsの写真を撮っていて危険な目にあったことは?という問に)
「確かにこのときは何度も危険な目に遭いました。私はユダヤ人なので当時のカテゴリから言うともちろん黒人でもなく、白人でもありません。なので一触即発の状態が続く中での取材はどちらの写真を撮るにしてもとても困難でした。
特に KKK 集団の写真を撮ろうと潜入したときに、私の正体がばれたこともあり、このときは文字通りおしっこがちびりそうになったんですよ」

(今日のスライドショウを見ていてもいろいろなカメラを使っているのが分かりますが、器材についてのコメントはありますか? という問に)
「良いことに気が付きました。私はいろいろなカメラを使い分けますが、このカメラがベスト、という意見はありません。被写体やシチュエーションに応じて使い分ければ良いと思っています。もちろん道具に対する愛着はありますが、だからといってその器材でなければ撮れない、というものは無いと思っています。個人的に私がすきなのはストリートスナップではライカですが、その後私はキヤノンのカメラに惚れ込みました。また個人的にはモノクロが好きですが、いくつかの写真はカラーだからこそ良いと思われる写真も撮れました。自分の中ではこの『Subway』の中のサングラスを掛けた黒人女性のイメージはカラーだからこそ表現できたと思ってます。私がモノクロが好きなのは写真の持つ力がストレートに伝わるような気がするからですが、だからといってカラーでそれができないとは思っていません。また最近はアナログかデジタルのどちらが上か下かという議論もありますが、私はその議論はナンセンスだと思っています」

(『East 100th Street』で使用したカメラはなんですか? 中判のように見えますが・・・。だとするとなぜ中判でストリート写真を?との問に)
「その通り、この作品集のために、私は中判カメラを持ち出しました。というのも Puerto Rico から移住してきた彼らには写真というと記念写真、つまり中判のイメージが強かったのですね。当時、Puerto Rico 島ではまだ写真がそれほど普及しておらず、特別な機会に家族で写真を撮ることぐらいしか無かったのですね。ですので私がこのカメラを持って歩くと皆、気持ちよく写真を撮らせてくれたんですよ。・・・と言う話しは半分冗談ですが、半分本当の話です。」

もちろん残りの半分の理由は Davidson が狙った構図に大きな関係があると思われる。だいぶ引いて撮り、周囲の風景や空気を取り入れることでとてもリアルなイメージに仕立てるため、緻密な描写も必要なのだろう。

このあとスライドショウが終わると、美術館の中は僕ら数十人に開放され、彼の作品が開かれているエリアでワインやシャンパングラスを片手に見て回った。

彼の写真との出会いが自分の写真にどう影響してくるか、それはまだ未知数だけれどターニングポイントになったことは体で感じている。それにちょっとミーハーな自分もいて記念に彼のサインを貰って帰った。

こうして百枚を越える写真を見せて貰ったが、そのときのインパクトはとても忘れられない。今こんな風にして書き留めていても、写真は脳裏に焼き付いているし、加えて彼の何気ないエビソードからもショックを受けた。

一つは、たまたま僕が地下鉄で撮っている写真の中に、まさに彼が何十年前に同じテーマで狙ったものがあり、僕がやろうとしていることは単に先人の足跡を追っているだけに思えたこと。
そしてポートレートでは被写体を理解するということを実戦していること。そして撮りっぱなしでないこと。それは義務感から彼が一方的に撮り続けているのではなく、人柄から写真を撮られた人たちが彼にコンタクトをとってくるのだと思う。
また「East 100th Street」や「Brooklyn Gang」「Subway」はどれも世相を反映したもので、その時代を鋭く切り取っている。同じ場所に行っても、同じ地下鉄に乗ってももう決して撮ることのない一瞬が彼の写真には凝縮されているのだ。

偉大な写真家はこの世の中にはもっと沢山いるし、僕がまだ見ていないだけで、僕が撮った写真はすでに撮り尽くされたものも多いだろう。でもだからといってユニークな写真が撮れない、なんてことは無いと言うことを逆に教わったのかもしれない。
彼の写真を見て、先人の足跡を追ってるだけ、と書いたがそれは確かにショックであるものの、それは彼が切り取った時代であり、僕は僕の時代を切り取ることが出来るようになれば良いのだ。
写真に限らず、優れたアート作品に出会うと「打ちのめされた気がした」と言う表現があるが、僕もガーンと頭をたたかれたものの、どちらかというと目覚めた、というのが正しいかも知れない。
比喩的な表現で Davidson が使ったとは言え、僕もよく下を見ながら写真を撮る。被写体に対するコンセプト(目線)が似ていることに気が付くと不思議と嬉しくなった。そしてもっと直感を大事にして、その直感に素直に撮ること(これは見た目通りに撮ることとは意味が違う)の大切さをもっと心がけるのだ。これから撮ろうと思っていたテーマを決定づけるのに、指して時間がかからなかったのはまさに Davidson の写真と人に触れたからなのに他ならない。

この日は久々に熱くなっているのが自分自身よくわかった。この熱い気持ちはこれからも写真を撮るときに少しでも持ち続けていようと思う。

david1.jpg

マグナムフォト : Bruce Davidson

ニューヨーク
http://www.magnumphotos.com/c/htm/TreePf_MAG.aspx?Stat=Photographers_Portfolio&E=29YL53IQUP9

日本
http://www.magnumphotos.co.jp/ws_photographer/dab/index.html

どちらでも文中で紹介した作品のいくつかを見ることが出来ます(地下鉄車内で私服警官がギャングの頭に拳銃をつけている写真など)

前回までで、Bruce Davidson、という人がどんな人かも知らず、ひょんなでことからプライベートなスライドショウに招待されて参加したところまで書いた。


主催者側の女性は興奮しているのか、声もうわずり頬も紅潮していた。その紹介の中で、「彼の写真は現在この美術館で特別展が開かれていますが、同時に ICP で開かれている『LIFE展』でも展示されています」と言っていたが、そこでふっと思い出した。実は前日 ICP で見た「LIFE」展で、アメリカ公民権運動をテーマにした写真が何枚か掲載され、その中の一つに、若い1人の黒人女性がそれまで白人専用だった大学に初めて登校する日の様子を撮った写真があり、彼女の強い決意と不安な感情が交じった表情と周りを取り囲む白人と州兵たちがとても印象に残っていたのだが、その写真こそ彼が撮ったものだった。
その紹介の最中、前に座っていたカミールが振り返って小声で「彼はマグナムフォトの一員でもあるのよ」と教えてくれた。マグナムフォトと言えば世界で有数の写真家集団で、同行した岡嶋さんによればおそらくまだ日本人は1人もメンバーに選出されたことがないのではないか、という。

主催者の女性による Davidson の紹介はまだ続く。経歴を説明する中で、「それからもう一つ、昨夜彼は○○賞を受賞しました」という説明があった。この○○のところがよく聞き取れなかったがどうやら人の名前のようだった。「???」と思っていると前の席に座っているカミールがまた振り返って「この賞は写真界のアカデミー賞よ」と声を潜めて教えてくれた。そんなこともあって今日は知り合いの写真家の人たちが多く集まっているようだった。
僕は単に機械がたんたんと彼の作品を銀幕に映し出すだけかと思っていたら、紹介に続いてなんと本人が登場したのだった。どうやら本人自らによるプレゼンテーションが行われるらしい。

Bruce Davidson という人を見たのはそのときがもちろん初めてだが、どんな感じの人か第一印象を書くと、頭はお坊さんの様につるつるに光っており、おなかの周りも少し出ていて眼鏡をかけたその様子は優しい顔立ちの初老の白人男性といったところ。街中ですれ違っても特別に注意を払うことはないだろう。
表情も血行が良く、つやつやとしているので、老人という感じはしない。が先の女性の経歴案内だと1933年生まれということなので、もう70歳を越えていることになる。けれどもマイクを握って話し始めた Davidson の声はとても張りがあり、また話し方もしっかりしている。加えて淡々と話す彼の態度とは裏腹に話の内容はとても中身の濃いもので、また写真を撮ったときの様子を描写するときなどあまりにもリアルで、高齢だということなどはすっかり忘れてしまった。

この日のスライドショウはおよそ1時間半ほどで、決して短いとは言えないそれなりの時間をかけて多くの写真を見せてくれた。長時間にも関わらず、写真そのもののインパクトと Davidson の話の内容にその場にいる人たちが皆、釘付けになっていた。彼の作品の中で有名なのはもちろん先の「アメリカ公民権運動」の写真だが、当時のセレブ、マリリンモンローなどの写真も撮っていたようだ。
この日のスライドショウで見せてくれたのは公民権運動「Time of Change」から何枚かの写真と、そして主に、彼のその後の作品でこれまた有名な「Brooklyn Gang」「East 100th Street」それに「Subway」というストリートスナップ、ポートレートがメインとなった。

彼を一躍有名にした Civil Rights (公民権運動 ) が盛んな頃の写真では黒人が白人社会に入っていく瞬間、そしてアメリカ南部で当時盛んに行われていた KKK 活動への潜入などちょっと間違えば彼自身が危険な状況に巻き込まれる様子は写真からも見て取れたほど。そのシリーズの写真を紹介し終わると、すぐに「East 100th Street」という写真集に収められた写真の紹介を始めた。

「公民権活動をテーマにした写真を撮り終わった後、人々の目は月へ、宇宙へと注がれました。そうアポロの登場です。ひねくれ者の私は皆が上を見ているとき、下を見つめてみようと思ったのです」

「そうしたときに当時のアメリカで最も貧しい街、Spanish Harlem に注目しました。まだだれも撮ったことの無い場所で危険と言われていたところです。」

Herlem といえば今でも殆どの人が「危険なところ」と言うイメージをいだく場所で、Manhattan の100th Street より北のエリアを指す。一般に East Harlem と West Harlem に分かれ、West Harlem はアフリカンアメリカン ( 黒人 ) や Dominican Republic の人たちが多く住む。反対側の East Harlem は特に Spanish Harlem と呼ばれ、主な住民は Puerto Rico からの移民と最近ではメキシコからの移民が多い。彼らはこの場所を指して El Barrio と称している。Davidson がテーマとして選んだのはこの East Harlem だった。
一枚一枚の写真にはカリブ海の小さな島から New York に移住してきた Puerto Rican の貧しい生活の様子をつぶさに映し出しているが、小さなアパートにあって小さな島から持ってきたマリア像を心のよりどころとして、力強い生活力を感じさせるのだ。その一方でやはり貧困から抜け出せない無限のループを想像させる写真もあり、社会性に富み、かつ生々しい生き様を描いているのだった。話を聞きながらふと気が付いたのは「この写真のこの少年の名は○○と言って」とか「この少女は今、いくつになって○○になっている」などととても詳しいのだ。たとえば「Brooklyn Gang」作品集の紹介では、まさに当時のGangのリーダと接触し、時間を掛けて信頼関係を築いた上で撮った写真だが、彼とは現在までも交流があるようだった。

「当時彼は何でもやってました。麻薬の密売が主ですが、彼は現在麻薬からのリハビリを助けるコンサルテーションをしています」

といって観衆をわかしたりもした。
このことからも分かるように彼はストリートスナップでも相手を理解できるまでしっかり話し込むのだそうだ。そして不思議なことに一度そうやって信頼関係を築いた被写体からは今でもときおり連絡があるのだそうだ。
そんなエピソードはいくつもあった。これはセントラルパークでのトイレの出来事だそうだ。

「その日、私は被写体を探してセントラルパークを散歩してました。ふと尿意をもよおして近くのトイレに入るとホームレスの人が個室のドアを開け放ったまま寝込んでました。私はポートレートを撮るとき、必ずその人に声をかけてから撮ることにしているのですが、そのとき初めて禁を破りました。この表情は寝ているときでないと撮れない写真だったからです。ところが私が写真を撮ったことを近くで仲間が見ていて、そのホームレスを起こして伝えてしまったのです。そのとき私はすでにフィルムを巻き取って靴下の中に入れ、空のフィルムを装填しており、怒って近寄ってくるホームレスにいかにも今撮ったばかりのようなフィルムを、彼の目の前でカメラを開けて取り出して手渡したのです。彼はそれ以上何も言いませんでした。ところで危険なところで写真を撮ると必ずこうやってフィルムを別のところに隠す手は Civil Rights の写真を撮っているときからのクセです。KKK に紛れ込んでの取材などはこうした危険がいつもついてまわりました」
「ところがこの話には後日談があって、何ヶ月もたってまたセントラルパークでこのホームレスの人を見かけたのです。私は覚えていましたが、彼は私のことを覚えていないことを祈ってました。が不幸にも向こうも覚えていて、声を掛けられたのです。もしかして『この間のフィルム、何も写ってなかったぞ。偽のフィルムを渡しただろう』と見破られはしないかとはらはらしてました。ところが彼は汚い手で彼のズボンのポケットに手を入れると、私が彼にあげたフィルムを取り出して私に手渡そうとするではないですか。『あとでよお、聞いたら、おまえさん、とっても有名な写真家なんだってなぁ。このフィルム貴重だと思ってさぁ、ずっととって置いたんだ。いいよ、オレの写真使っても』と言われてしまい、臭いフィルムをありがたく頂戴しないわけには行かなくなってしまいました」

・・・その3に続く

david2.jpg

先日ここで Bruce Davicdson というフォトグラファーのことをちらっと書いた。
そのときもう少し詳しく書きたかったのだが、ちょうど翌日から Puerto Rico への旅行に出発するということで詳しいことを書く時間がなかった。
ここにきてやっと写真の整理やら、もう一つ運営している写真のサイトのリニューアルを終えたので、久しぶりに New York Watch で彼の写真との出会いを記録しておくことにした。話しが長くなるので複数回にわけて紹介することになりそうだ。

正直なことをいうと、彼の名前も知らなかった。
前日まで知らなかった人に会いに行くようになったのは、これまたちょっとした偶然が重なったのだ。

日本から写真仲間の Koh さんとフォトグラファーの岡嶋さんが New York に遊びに来ていたときのこと。midtown にある International Center of Photograpy ( 通称 ICP ) というところで、興味深いテーマの写真展が開催されているのをローカルテレビ局 NY1 で知って、誰か知り合いを誘って行く機会をうかがっていたのだ。実は彼らのちょっと前に同じく日本から写真仲間の akasaka さんが来られて、そのときにも連れだって行ってみたのだが、その日は運悪く休館日の月曜日だったためあきらめた経緯がある。
そこでちょうど上記お二人が New York に来ているのいいことに、半ば引っ張り出すようにしてギャラリーに行ったのだ。ちょうどその日は雨が降っていて、写真が撮りにくいという条件だったこともあって、ギャラリー巡りはちょうど良かったのかもしれない。

この期間、ICP で展示していたのは3つのテーマで、興味があったのはそのうちの二つ、「LIFE」の表紙を飾ったオリジナル写真の展示と、イラク戦争で米兵による虐待が発覚したアグレイブ刑務所の写真展だった。展示されていた写真一つ一つについてのコメントは今回の話と関係ないので省略するが、どちらも奇しくも時事報道の写真だが、前者はフォトグラファーの名前がクレジットされているのに対し、後者は加害者側の人間なのでもちろん素性もあきらかになっていないし、名前も書かれていない。が一枚の写真が世相に与える影響の大きさという意味では、これらの写真の意味合いが大きく認められて、今回のギャラリーになったのだ。

で一通り展示を見終わったあと、「次はどこにいこうか? 雨だからあまり行くところないかな」なんて話しながら、ひとまずトイレにでも行って置こうとギャラリーにあるトイレに向かった。
普段からたくさんの人が来るようなところではないので、トイレは男女兼用の個室が一つあるだけで、僕の前には女性が1人待っていた。
トイレはメインのギャラリーから扉を開けて出たところにあり、トイレの入り口以外、何もない空間が広がっている。通常こういう時って結構気まずい空気が流れるのだが、New York というかアメリカならではのことだが、こういう状況では会話が始まることが多い。しかも結構女性の方がこう言うとき、人見知りをしないのだろうか、よく声をかけられる。
このときもトイレを待ち始めて1分もしないうちに、彼女の方から話しかけてきた。
彼女、名前をカミールと言い、年齢は尋ねなかったが20代後半くらいに見えた。仕事で日本に行ったことがあるので、僕のことをすぐに日本人だと分かったらしい。すぐに「あなたも Photographer ?」と尋ねられたが、この質問で彼女はフォトグラファーらしいことがすぐに分かった。案の定、New York 出身の彼女は現在 San Francisco で写真家として仕事しているそうだ。今回は久しぶりに New York に戻ってきてこのギャラリーに顔を出したとのことだった。
トイレ待ちなのであまり長時間話すことは無かったが、そのあと ICP 美術館ショップでまた会ったときに、彼女の携帯電話の番号をくれたのだった。といっても色っぽい話でなくて、翌日良かったら知り合いの写真家のスライドショウに来ないか、という誘いだったのだ。

翌日、また先の登場人物お二人と Manhattan を歩き回ってあちこちでシャッターを押していたのだが、夜の予定が決まっていなかったので、カミールに誘われた内容を2人にも話して行ってみないかと誘ってみた。夜になればどうせ撮影もしないということで2人とも二つ返事で OK。さっそくカミールに電話して三人連れ立っていくことにした。

夕方になり、あたりが薄暗くなる頃僕ら三人は Central Park の中を足早に歩く。カミールと待ち合わせした場所は5番街、103rd Street ということでこのあたりはほとんど Spanish Harlem のエリアになる。待ち合わせまでしばらく時間があったので、Central Park の中を歩いていたのだ。
カミールは待ち合わせの場所について詳しく教えてくれなかったのだが、着いてみるとそこは「Museuf of the city of New York」、つまり NY 市立美術館というところだった。僕もここに来たのは初めてで、ここに美術館があることすら知らなかった。どうやらカミールより早く着いたようで10分ほどここでしばらく待つ。
待っている間、美術館の様子を見ていたのだが、黒塗りの鉄の扉はしっかり施錠され、通用門らしきところも横には見つからない。ほんとにここでいいのだろうか、と思っているとほどなくカミールがもう1人オーストラリアからの写真家の友人を連れてやってきた。簡単に5人で挨拶をしながら、さて入ろうという段階になり、やはり入り口が分からない。カミールが携帯を取りだしてどこやら電話して聞いてみると、どうやら104th Street 側に裏口があるとのこと。
どうやらプライベートなイベントということで、美術館が閉館したあとの催しのようだった。

中に入るとちょっとした auditory room に案内された。左右2つの島に、客席が数十席作られ、島の間にはスライド用の映写機が置いてある。僕らが席に着いて10分もすると殆どの席はうまり、すぐに客席が暗くなり、主催者の女性がマイクを持って挨拶に出てきた。
名前も経歴もそのときの紹介で知ったのだが、この人が Bruce Davidson だった。

・・・・・その2 に続く

bruced.jpg


ICP 公式サイト
http://www.icp.org/

burger.jpg

なんでもセントルイスを拠点にした Hardee’s というレストラン(バーガーチェーン?)がものすごいハンバーガーを発売したとかでニュースになった。その名もズバリ、「Monster Thickburger」、つまり「怪物ド級ハンバーガー、というもの。
(ちなみにド級とはイギリスの戦艦ドレッドノート号並みの、という意味からド級と呼ばれるようになったらしい)

写真からだとよく分からないかもしれないが、なんとこれ一個でカロリーは1420。脂肪分は107グラムもある。

アメリカのファーストフード業界は競って健康をうたい文句にしている。もちろん今までのメニューの中には不健康な程の高カロリーメニューもあるので、これらを販売停止にして、ローカロリーメニューをどんどん増やしている、というのがトレンドだ。これは一つに集団訴訟などをおそれた措置とも言われている。
そんな時代の流れに反するようにして今頃こんな高カロリーなハンバーガーを売り出すのはなぜか、という問いに店の人は「このハンバーガーは、ジューシーででっかいホンモノのハンバーガーを食べたいという育ち盛りでいつも腹をすかしてい若い人向けにつくったもの。できるなら競争相手はどんどんヘルシー路線で行って欲しいね。うちは大きくて、旨くて、ジューシーなハンバーガー路線さ」と言っているとか。

こういう何もかもダイエットに向かうアメリカの食事にあって、流れに逆らうレストランはなかなか面白いと思うのだが、やはりケチはついてしまう。
「このレストランは、カスタマーが欲しいと思うモノを出しているだけで、許容範囲を超えている。これ一つで、一日接種可能な脂肪の二倍、一日分の塩分を含んでいる。」と健康団体からは早速クレームがついた。

個人の食べ物にまでケチをつけるな、という気持ちはあるけれど、そうは言ってられないのが実はアメリカの肥満事情なのだ。なにせ成人男性の平均体重は現在191ポンドと85kgを越えて伸び続けているのだから。あらゆる成人病を巻き起こし、国民の医療負担もどんどん高くなる一方だ。

値段は一つ$5.49で、セットメニューのミディアムサイズのフライドポテトとコーラなどのソーダを場合は$7.09。セットメニューの場合、1420カロリーのハンバーガーに、520カロリーのポテト、それに400カロリーのソーダであわせて2340カロリーにもなる。
マクドナルドのビッグマックが一つ600カロリーなので、どのくらいか想像に難くない。

僕個人的には、狂牛病の恐れが収まれば一度は挑戦してみたいんだけど(笑)

MSNBC のニュースより Hardee’s serves up 1,420-calorie burger

時計がまわって翌日になったけど、まだ多くの人がテレビに見入っている、アメリカ大統領選挙。

僕は米国市民権を持たないので、アメリカ大統領選挙には直接関係ない ( よく聞かれるのですが、永住権保持者は参政権は無いのです )。なのでここ New York Watch でこの話題に触れることは少なかったが、さすがに2日の大統領選挙当日のことは取り上げずにはいられない。

日本国籍を有しているものの、在外投票をしばらくしていないので日本の選挙制度にもうとくなってしまったが、僕が覚えているのは日本では投票は日曜日だったこと。
ところがアメリカの場合はそれが平日なのだ。
なので会社の友人の中には「あ、今朝投票済ませてから出社した」とか「今日は早引きします。投票に行くので」なんてことが今日はあちこちであった。

仕事を終え、帰宅して点けたテレビではメジャーなところは生中継で選挙速報をやっている。
なんせ時差がある国なので、東海岸は速報結果が出ているにもかかわらず太平洋側はまだ投票中なんてことが当たり前に起きている。

ニュースを見ている限り、現職の Bush の勢いが強い。結果はまだ明日まで持ち越されることになりそうだが、このまま彼が当選することになったら国民の審判を受けたとしてさらに強硬な外交と戦争が増えるのではないだろうか・・・。


下の写真はこの日曜日に Manhattan で行われた Halloween パレードの様子。
イラク・アグレイブ刑務所での拷問問題をテーマにした人。
こんな風に政治を揶揄した参加者が多いのも、今年の Halloween パレードの特徴だった。

今年は9月から10月までいろいろイベントが続いていて、その時期の風物詩的な写真や話題をここで紹介出来なかった。
Halloween もその一つであちこちでカボチャのランタンやら魔女の人形やらを見かけるのに、写真を撮ってこなかったので New York Watch で取りあげられなかったのだ。

それでも Manhattan 名物の Halloween Parade には今年も行って写真を撮ってきたので、そのうちの何枚か紹介しておこう。


このお姉さん、こんな風にゾンビになりきって歩いてました。電車の中もこうやってきたのかと思うと・・・

Halloween は毎年10月最後の日、と決められている。なので週末とは限らないわけで、平日でも夜になると思い思いのコスチュームに身をまとった子供達が近所を「 Trick or treat 」といって練り歩くわけだ。
大人はというと、やはり Halloween の夜に Manhattan で行われる夜のパレードに参加したり、友人同士の Halloween コスチュームパーティに行ったりして過ごす人が多いようだ。僕も何度かこのコスチュームパーティーに行ったことがあるが、さすが平日だと集まりが悪いので繰り上げるか繰り下げて週末にやるところも多い。

ところが今年は Halloween が日曜日ということもあって特に盛況になること間違い無しだった。


地下鉄の中にもこんな風に普通にミイラがいたりする。

何年か前に郊外に住んでいたときは、このパレードを見るためには40分ほど快速電車のようなものに載ってかけつける感じだったのだが、その列車のなかもすでにコスチュームを来た人だらけでいっぱいだったのを覚えている。何も仮装していない僕が恥ずかしかったりして。
今は地下鉄で行ける距離に住んでいるが、それでもこのパレードに仮装して参加したことは無い。今年も特に準備をするでもなく、カメラを持ってパレードを見に行くことにした。
ちなみに一緒に行った友人はメーキャップした上にあらかじめ買って置いた悪魔のマスクをかぶるなどかなり気合いが入っていた。
地下鉄にのるとちらほら仮装している人が見えるが、僕の座っている横には悪魔の格好をした友人がいるだけ。彼はマスクをつけているから他人に自分が誰かわからず恥ずかしくないかも知れないが、悪魔と一緒にいる普通人間の僕の方が恥ずかしいのだ。

会場は7番街なのだが、5番街 14th Street の Union Street から歩く。毎年たくさんの人出でにぎわうため、警察がバリケードを張るためだ。
特にこの日は異常気象と思えるほど暖かく、地下鉄になぜか冷房が入る始末。なので普段だったら寒そうな格好で参加しないような姿で参加している人もいるし、観客も普段よりかなり多い。
幸いパレードの始まる1時間以上前に行ったためかなり前の方に陣取ることが出来、僕は写真が撮れて満足だが、友人はせっかく仮装してきたのにぎゅうぎゅうの人の中にいては目立たないと、不満そうだった(笑)

さて恐い写真ばかりではなんなので、最後に可愛い悪魔でも。
お母さんもとても素敵なナイスミドルで、子供は真っ赤な衣装をまとって小悪魔を演じてました。

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