
3月ともなると少しずつ冬の終わりを肌で感じることが出来るのだが、今年の New York は2月からよく雪が降るようになった。
週があけ、カレンダの月も変わったあとも Snow Storm と呼ばれる吹雪になり、学校などが閉校になったりしたが、雪の降らない日の気温もそこそこ上昇し万年雪も小さくなってきた。それほど寒くない日には、雪が降ったとしても完全な粉雪ではなく、中にはみぞれのような雨と雪が混じって降ることも。
そんな雨とも雪ともつかない水分を多く含んだ雪を見ると、一つのフレーズが記憶によみがえる。今回のタイトルにつけた詩の一部だ。
「あめゆじゅ とてちて けんじゃ」
教科書によってはこの詩を採用しているところもあるので知っている人も多いと思うが、宮沢賢治が自分の妹の最期を看取る直前の朝の会話を書いた詩「永訣の朝」の冒頭部分である。
最後の力をふりしぼるようにして、外のみぞれを取ってきて、と頼む妹の息切れが聞こえてくるような詩だが、最初に読んだときから僕の心に深く刻まれている。
本を読むのが好きだったかつて、宮沢賢治の作品は一通り読んだが、読み始めた時は特別好きだったわけではなかった。
ところがあとから、不思議にも彼の作品は自分の年齢とともに、興味のある作品が変わってくることに気が付いた。最初に読んだときは童話的な作品だったし、つぎに魅せられたのは幻想的世界だった。そしてある時はとても哲学的だったり.
なので教科書で宮沢賢治の作品が取りあげられていると知ったとき、ちょっと嬉しかった。それはたぶんクラスの友達より少しばかり宮沢賢治が身近に感じられるという優越感みたいなものだったと思う。
どうして宮沢賢治に親近感を抱くのか、それはちょっとしたストーリーがある。それは僕が小学校に通っていた頃まで時代は遡る。
アメリカで子供に一人旅なぞさせようものなら、それこそ「幼児虐待」とされて両親は捕まってしまうけれど、僕は小学校に入る前から1人でバスに乗って祖母のところにお使いにいく、なんてことをしていた。小学校に入るとすぐにその祖母と特急に乗って、岩手に旅行に行くようになった。岩手には叔父一家が住んでいて長い夏休みをそこで過ごすのが毎年の楽しみとなった。
祖母が行けないときや、タイミングがあわないときは僕だけとか、僕といとこだけで上野駅から特急『はつかり』に乗りこむこともあった。たいてい上野駅まで母が見送りに来てくれ、岩手・一関駅では叔父が迎えに来てくれたので、心細さはなく一人旅を楽しんでいた ( 当時、車掌さんも子供の一人旅を気にしてくれたのか、よくチェックに来てくれた )。
一関からは叔父の古めかしい車に乗って、山間にある小さな村まで行くのだった。駅前を離れると程なく緑が多くなり、すぐに山の中を走るようになる。対向車が来たらすれ違いが難しい程の山道で、葉が茂り木漏れ日がこぼれる木々のトンネルをくぐるその風景は、僕にとって新鮮な車窓の風景だったことを覚えている。だから 『注文の多い料理店』 を読んだときも僕が知っている風景と物語がオーバーラップするのはたやすいことだった。
夏の間、毎日野山を駆け回るのは楽しかったけれど、祖母がときおり叔父が住む村を出て一関や平泉に繰り出すとき僕も一緒に連れて行ってくれるのが田舎の子供同様嬉しかった。あるとき岩手ゆかりの文豪の史跡を訪ねようと言いだし、今思えばそのときに行った石川啄木や宮沢賢治の記念館が縁となって宮沢賢治の作品を読み始めた気がする。むろん夏の間は体を使って遊ぶのが忙しかったので、分校の図書館なんか行くわけもなく、もっぱら宮沢賢治の本は帰京してから読んでいた。けれども夏の思い出の余韻に少しで長く漬かっていようとしていたのか、むさぼって読んだ時期のことを覚えている。
ところで宮沢賢治にまつわる話はもう一つあって、それには叔父が大いに関係している。
叔父は京大を卒業したあと、当時はとても珍しかった有機農法を目指して岩手に移り住んだのだが、そんな珍しさもあってか一関市では地元新聞紙などに取りあげられたことなどがあった。そんなことからだろうか、岩手を中心に東北の知識人や農業研究家の人たちと交流があり、その中の1人に作家の三好京三氏がいたようだ。
三好氏は直木賞を受賞した『子育て日記』で有名な作家だが、その後『分校日記』という物語を書いている。氏は実際に岩手の小さな村の分校で教員として勤めていたことがあり、小説もその経験がベースになっているそうだ。その分校というのが叔父の子供達、つまり僕にとってのいとこ兄弟が通っていた分校で、僕も毎夏この分校で遊んでいたのだった。
その後この小説は映画化され、ロケも実際にこの分校、衣川小学校大森分校で行われた。そしてこのときの映画化タイトルが『イーハトーブの赤い屋根』であった。いわずもがなイーハトーヴとは宮沢賢治が理想郷として架空の村を称した地名である。
そんな偶然を知ったとき、僕が短い夏を過ごしたその村が、当時の僕の目にも童話的、幻想的に映ったのだが、それが実は幻ではなかったんだ、と思わせるような出来事だった。
やがて大森分校は廃校となった。毎年分校の敷地で虫を捕まえ、アブをよけながらプールを泳いだ思い出から僕にとっては『もう一つの小学校』となっていただけに、いつか分校跡を訪れてみたいと思っている。
中学にあがるころには夏を岩手で過ごすことも無くなり、衣川が次第に遠くなってしまったのだが、そんなとき朝日新聞に三好氏のエッセイが連載されるようになった。ときおりではあるけれど叔父の名前やいとこ達が登場し、身近なはずの分校の話も出てきたのだが、僕の中ではすでに遠い幻想のように感じられるのだった。これも宮沢賢治の魔法だったのだろうか。
そして今、みぞれ混じりの雪が降る New York の冬空の下で、これらのことを一気に思い出し、ふと自分が岩手の森の中にいるような気持ちになったのだ。

こんにちは
今回のブログ、色んな事を想像しながら読みました。子供の頃の思い出、特に本にまつわるものって不思議と鮮明...というより色付き,絵付きで覚えています。想像と共に読んでいくからでしょうか?文章の力って凄いですよね。 ブログを読みながら想像の別世界へ~ 会社に居ながらも、ふんふんと没頭していました 笑。
ちなみに宮沢賢治と聞くとなぜか真っ先に「セロひきのゴーシュ」を思い浮かべます。
かおりさん、早速読んでくれてありがとう!
こんな拙い文章で、香さん自身がなにか想像してくれるようなことになるとは思っていなかったので、コメントを読んで嬉しくなりました。
僕は人間の想像力の方がはるかに実世界よりスケールの大きいものだと思っています。だから写真も文章もそれをあらわすのに四苦八苦するのですよね。それがまた楽しいのだけれど。
上に紹介したリンクからセロ弾きのゴーシュも読めますね。僕も読んでない作品や読んだことがあるけれど詳細を忘れてしまったものなど時間があるときにまた読み直しています。
情けない事に「あめゆじゅ とてちて けんじゃ」
というタイトルを文字化けしてるのか?と思ってしまいました。
少年の夏休み。と言う光景はとっても心揺さぶられる風景と思うのです。
子供の頃に読んだものは不思議と鮮明に覚えていますよね?
そして、些細な光景も。電車から見た景色とか駅の光景なども・・
大人になり、ふとこうして思い出される時は、ちょっとセツナメだったり愛しかったり。
その頃に気がつかなかった、周りの大人に感謝してみたり。
宮沢賢治は「アメニモマケズ・・」のイメージしかなかった私ですが、ちょっと興味が出てきました。
雪の足跡っていいですねー
ansanaさん、コメントありがとう!
あめゆじゅとてちてけんじゃ・・・文字化けみたいだけど、一度口にしたら頭からこびりついて離れない文句になりませんでした? 最初に読んだときから忘れたことがないフレーズです。
少年時代の夏休み、それが特に都会の子が田舎に行くんですからそのギャップたるや大きなものでした。そのときの思い出はとてもグラフィカルに覚えていますね。叔父はミツバチも飼っていたので、一度蜂に刺されて目覚めた事があります。これなんぞ痛みを伴う思い出です。
そうそう今日も一日写真を撮りまくってました。ひさびさに充実~