
※ EOS 20D / LA にて
LA のダウンタウンにあるリトルトーキョーの一角には二宮金次郎の銅像が建てられている。
薪を背負いつつも片手に持った本を読む二宮金次郎像は、昔、小学校の校庭によくあったようだが、僕が通った小学校 ( 3校 ) や中学校 ( 2校 ) には設置されていなかった。世代の違いなのだろうか、それとも解釈が変わったのだろうか、最近はあまり見かけないようだ。
はて、それではどこで見たことがあるのか?と気になって思い出そうとしたが、それは父の出身である熊本を訪れたときに案内された、祖父が校長を務めていた小学校だったか、それとも叔父一家が移り住んだ岩手の山奥にあり従兄弟達が通った小さな分校だったか・・・。いずれにせよ記憶が定かでない。
その二宮金次郎像に何十年ぶりかに遭遇したのが、なんと LA のリトルトーキョーだった。
なんとなく二宮金次郎は小学校に建てられているもの、という固定観念があったので、それがアメリカの、しかも青空のもと椰子の木が立ち並ぶイメージの LA のダウンタウンで、歩道に建てられた二宮金次郎像に出会うとは、にわかには信じられない風景だった。
その歩道を歩く人たちは、まるでその銅像が目に入らないかのように通り過ぎるのだが、考えてみればアメリカ人にしてみれば二宮金次郎が何者か分からないのだから、これがパブリックアートなのか偉人なのかはの区別は付かないのではないかと思う。
冗談半分に書かせて貰うと、アメリカでこれを子供に対する虐待と受け取られるのではないかと他人事ながら心配だ。
でも考えてみれば LA にいる日本人社会 - 正確に言うと『日系人社会』となるだろうか - のことを考えれば至極当たり前の発想なのかもしれない。小学校のそれは学業を勤しむようにという意味を込めて立てられているのに対して、LA リトルトーキョーに立てられている二宮金次郎像は、苦労の絶えなかった日系移民の苦労を忘れることのないようにと建立されたものなのではないだろうか。
直射日光にあたるだけで汗をかくような炎天下の LA で Kinjiro Ninomiya の横には、サンドイッチ店のそれこそ「サンドイッチマン」が負けじと立っていた。

僕の通っていた小学校(山口県の田舎学校)にもありました。
実際、アメリカの方がみると「虐待」ですよね。
SUBWAYのサンドウィッチマン?とのコラボがなんとも面白い。
通行人の杖をついてる老人はどんな事を感じたのだろう。
写真から散策出来る点が多いのには「サスガ!」の一言です。
意味のわからないコメントすみません、自分の中では簡潔化してるんですが、いざ文字にだすと・・・
私が通っていた小学校(神奈川県)にはありましたよ!(田舎ってことなのか?)
写真みせてくれてありがとう~
私がはじめてアメリカ本土に上陸したのは、LAでした。そこでみたニノキン。懐かしいです。また会いに行かなくちゃ。
HALTACさん、こんにちは。
山口出身だったんですね? 僕はなんとなくネイティブ沖縄人のような第一印象を持ってました(^_-)
僕の通った小学校(東京と千葉)にはありませんでした。特に千葉では新設校に2校通ったためかもしれません。
僕は時間があると街と人をぼーっと見ているのが好きで、そうするとときどきストーリーが見えてくるんですよね。そのときのイメージを写真にするのも楽しみの一つです。
yamajunさん、こんにちは。
田舎かどうかより、歴史があるかどうかで二宮金次郎がいるかどうか決まるのではないかと思うよ。
僕が通った小学校はどれも割と新しくて銅像なんかなかった・・・
ニノキンに会ったら、カレーハウスも訪ねてみてください。
> 田舎かどうかより、歴史があるかどうかで二宮金次郎がいるかどうか決まるのではないかと思うよ。
なるほど!
小学校1年の時の教室のすぐ外にありました。
確かに、古い小学校でした。
日傘をさしているお二人も、いい雰囲気ですねー。
しょこさん、
昔ながらの小学校というのは、籍を置く側からすれば非効率で新しい校舎を臨むものだけど、すでに卒業した側からすれば昔懐かしい校舎というのもノスタルジーが感じられるよね。僕が通っていた学校では石炭ストーブがあったよ。
ちなみにアメリカで日傘を差しているとそれは間違いなく日本人といっていいです。アメリカでは日系のストアをのぞいて日傘なるものを売っていない(NY在住の女性友達段)そうです。白人はまぶしいのが気になるけど肌の日焼けはあまり気にしてないのかも。