
※ EOS 20D + Lensbaby 2.0
Puerto RIcan Day Parade から
つい最近 LA から帰ってきた、と思ったのもつかの間、気が付いたらすでにそれは先月のことで、New York も月が変わると途端に真夏日を迎えることとなった。
肌寒いと感じた日からまさに真夏日へ、と短期間に気温が変化しその寒暖差は20℃近くにもなった。
これを書いている今日、日中の最高気温は35℃であるからして、冬から夏へ2週間で切り替わったといってもまんざら嘘ではない。
季節の変わり目ともなると、どんな服装を着て出かけたらよいか迷う人が多いのものらしく、ちょっと前までは皮のコートを着ている人がいるかと思えばTシャツとショートパンツ、それにサンダルで出歩く人がいる、といった案配で、それを見ると見ている僕までなにやら気持ちが不安になってしまうほどだった。
今年の冬は長く続き、夏の訪れがいつかいつかと話題になっていたところに本格的な夏を迎えた New York だが、あちこちで夏らしい風景が見られるようになってきた。
Manhattan を歩けば必ずどこかのストリートで出会う、ストリートフェア。
庭やバルコニーででバーベキューをしている音とにおい、そして歓声。
そしてもうすぐ年度の変わり目を迎える学校が修了すると、9月までの長い間子供達の元気な声が平日の昼間に聞こえることになる。
そしてこの日曜日は毎年恒例の Puerto Rican Day Parade が5番街であった。ここ New York Watch で何度も取り上げているので、最近は「いよいよ今年もその季節になったか」というぐらいの気持ちで構えていることが多くなった。
パレード参加者および観客の動員数でいえば NY 一規模が大きいのではないかと思われる、Puerto Rican Day Parade だが、島柄・人柄を反映してか毎年何かと世間を賑わせるので、最近は NY 市警による警備がもっとも厳しいパレードの一つになっている。
人によっては 「 Ghetto だ 」 と眉を潜める人も多く、また僕の知っている Puerto Rican の友達も多くは 「 ここ何年もパレードには参加していないよ 」 というセリフが口から出るくらいの事件・事故が起きるので、まんざら 「 Ghetto 」 というのは嘘ではない。
過去の New York Watch でも書いたが、それでも僕が羨ましいと思うのは自己のアイデンティティを確認するために、これだけのエネルギーを集め、そして自分の国の旗に誇りを持って歩くことが出来ることなのだ。
この日 44th Street より 86th Street までの5番街は怒号とも歓声ともつかない大きなエネルギーが埋め尽くした。
聞こえてくるのは英語にスペイン語がサルサやメレンゲの熱いリズムに載って耳に飛び込んでくる。でもふっとその音楽が遠ざかり、一瞬日本の夏祭りのことがあたまをよぎった。
そこにはいろいろなスポンサーから支援を受けて大型のフロートが、マーチバンドが、そして最近のレゲトン音楽が、まさに「練り歩く」ので日本の夏祭りとある意味では本質が同じなのかもしれない。
「 自分の国のパレードでもないのに?」
それはまるで僕が少年だった頃、遠雷のように鳴り響く太鼓の音と、安っぽいスピーカーから聞こえてくる東京音頭に導かれるように自転車を漕いでたどり着くと、それは隣町の夏祭りだった、というのと似ている。
知っている友達の姿は見えなくて、僕ら少年は肌でヨソ者であることを感じ取り居心地の悪さはあるのに、そこにある「夏」という心を踊らずにはいられない怪しい魅力が夕闇にうかびあがってくるのだった。
Puerto Rican Day Parade がやってくると、堰を切ったかのように他にも次々と夏の催し物が New York で行われる。
気が付けば僕にとっての New York の夏の風物詩になっていたようだ。このことに気が付くのに何年もかかったというのだろうか。
いよいよ NY 9年目の夏がやってきた。

※ EOS 20D + Lensbaby 2.0
Puerto RIcan Day Parade から

こんにちは、HndAともうします。
自分はこの時期NYにいたことはないのですが、
文面と画像から季節感がつたわってきました。
自分が今いる鎌倉では、先日からお祭りラッシュが
はじまってます。
#部屋の横の駐車場では、子供達が笛の練習してる...
祭り後の脱力感が忘れられないんですよね。
今年は飛び込み参加するつもり。
NYでもそういう"感覚"を味わえるって知ってまたもや
行きたくなりました。
DayParadeではあるし、NYではあるけれど、
夏祭りを思い出すっていう感覚って
なんか人類共通(いいすぎ?)の感覚なのかなぁ、
って思ってしまいます。
というのは、知人と酒を飲んでいた時、
スペインの路地裏で子供達が遊んでいる姿が、
昔の自分に重なるかんじがするんだよねぇ〜、
と(知人が)話していたんですよね。
こういうロジックでは語れない具体的な感覚群は
自分をかなりInspireさせてくれるので、
NewYorkWatchに感謝って感じです。
ま、不思議がったり、懐かしがったり、
してるだけかもしれないけれど、
あー早く梅雨明けて(入梅しました)くれないかなぁ〜、
というかんじになってまーす。
ではでは。
HndA@最近まで上位サイトにキオクイロがあるのを知らなかった間抜け(<-死語かこれ)
HndAさん、こんにちは。
>こんにちは、HndAともうします。
などとおっしゃっていますが、以前もこちらに書き込みをしてくれたこと有りますよね?
・・・と思って調べてみたら、今年の三月にも書き込んでくれているじゃないですか!? (笑)
>自分はこの時期NYにいたことはないのですが、
>文面と画像から季節感がつたわってきました。
そう言って貰えると嬉しいです。写真には写真の、文章には文章の表現力があり、それを組み合わせるのでそれなりに伝えるということが達成出来ていないと行けないんですが、季節感のように僕個人が感じることをどう伝えるかはとても悩んだりするものです。
>スペインの路地裏で子供達が遊んでいる姿が、
>昔の自分に重なるかんじがするんだよねぇ〜、
実際に現地に行って「ここにはかつて来たことがある」というのと違うので、ちょっとデジャヴュとは違う感じですね。
この間も似たような話題でH.Oさんと話をしたところです。ジプシータイプと定住型、前者は自分がFitするところを探して移動(物理的な場所だけでなく環境なども含めて)するタイプ、そして後者はもともとジプシータイプだったが今住んでいるところがFitしたため定住したのか、それともその環境に適応できたのか・・という2種類の人間がいるというような話題でした。
もしかしたらその友人は自分がfitする場所がゴールとして見えるのかもしれませんね。
>ま、不思議がったり、懐かしがったり、
定理として答えが導かれてしまうものではなく、不思議とか懐かしいという個人にとって特別な感情は大切にしたいですよね。それが共感出来るときは妙に嬉しかったりするものです。
僕がNew Yorkで感じることの多くは、もしかしたらそれほど多くの人にとって共感より、異文化紹介と取られるかなと思ってましたから、今回の書き込みは嬉しいです。
>HndA@最近まで上位サイトにキオクイロがあるのを知らなかった間抜け(<-死語かこれ)
上位サイトとは、HndAさんのリンクの巡回リストの中で、と言うことでしょうか? 上の方に置いて貰ったが故に見逃してしまったのなら、今度は下位サイトに配置してみてください(笑)
こんにちは
パレード、私も行ってみたいです...
去年辺りから、日本では『ソカ』が流行っていますよ。そして『レゲトン』も。クラブでかからない日は無いくらいです。
日本のお祭りももっと盛り上がってほしいなぁ
昔に較べると、地域単位の小さな盆踊りとか少なくなってきている気がします。
小学校の校庭とかであったアレです。ラジオ体操も面倒をみる親が大変だから無くなってきているそうです 悲。
話はずれちゃいましたが、
≫「夏」という心を踊らずにはいられない怪しい魅力
という言葉を見ただけで、私も妙にわくわくします。
なはは、ばれちゃいましたかーじゃない、
少し時間がたったので、...もうします口調から
はじめてみたのでぇす。
(気づいてもらってうれちーっす)
さて、今ひ(管)さんのコメント自体で楽しめてます。
というのは、
子供の頃から演繹中心の文化に対して違和感があって、その反動からか、帰納的な考えによる自分なりの
予測なりなんなりを検証する、っていうことが
ライフワークになっているからです。
路傍の石からもさまざまな思考がわき起こる、
そういうことが好きなのです。
そして、この帰納的生活の最高におもしろいのは、
帰納から得られた内容が時間/空間を越えて
さらには文化さえも突き抜けて、普遍性を垣間見せるときがあることなのです。
NYでバスケットをやっている少年たちをみたときにも
それは自分の傍らにあったし、
ChelseaMarketでも感じられたのです。
そしてもっと帰納をすすめると、単なる共感や
デジャブー(こうかくと高木ブーみたいだな)
を越えた感覚になってくるのですが、
そこまでいくにはどうも自分の場合には
特別な空気が必要なようで、
それが鎌倉とNYのようなのです。
結局、これが自分にとって「Fitする場所」ということになるのかなぁ、と思っています。
#逆に言えばそれが得られるところはどこでも
#自分の場所だし、それが得られにくい場所は
#どんな心地よい場所でも旅先なんだよなー。
で、ですね、その帰納的生活に欠かせないものを
このサイトはもっていると思うのです。
つまり、鎌倉やNYをほっつき歩いていて獲得できる
ものがこのサイトを訪れると得られるんです。
だから、このサイトは欠かせないんですな(突然社長風)。
ながながとすみません。
ではでは。
#NYWatchをダイレクトにFavariteにいれていたので、
#「キオクイロに」っていうところで、
#むむむどこだー?とうなってたのでありんす。
#上位というのはwww.nomeri.com/のつもりで
#言っていました。誤解させてすみません。
HndA
かおりさん、こんにちは。
New Yorkは毎月の様に、それも夏の間は月に2回以上あったりするので、見ていてわくわくします。
今月あとゲイパレードがありますね(^_-)
かおりさんのコメントで驚いたのは日本でもレゲトンがかかっている、というくだり。
ラテン音楽にレゲエとヒップホップが加わったスタイルで日本人にとってはかなりハードコアだと思うんだけど。歌の多くはスペイン語だし! そのうち日本からもレゲトングループが出るのかな?
盆踊りのあの提灯の明かりや「納涼盆踊り」と書かれた案内は、僕にとってはノスタルジックを感じるんですが、やはり少子社会の影響で盆踊りも減っているのかな。残念。
なぜ、わくわくするかよく考えると、夏祭りが唯一子供の時の夜遊び可能な夜だったんですよね。
HndAさん、こんにちは。
>(気づいてもらってうれちーっす)
次回、もし投稿の間隔があくような場合は「久しぶりです」でちゃんとわかりますよ!(^_-)
顔と名前を一致させるのは苦手なんですが、投稿してくれた人の名前に聞き覚えがあるかどうかぐらいは覚えているつもりです(ほんとかな?) (^_-)
演繹と帰納という言葉自体、ほとんど目にしていなかったのでわずかに覚えている記憶を辿ってなんとか思い出しました。
確かに僕の思考プロセスも多くは帰納法が多いようです。好むと好まざるにかかわらず、こちらに来て特にその傾向が強くなった気もします。
>帰納から得られた内容が時間/空間を越えて・・・
ある結論に対して演繹法から得られた結論より、もっと大きな心の共振を呼ぶのかも知れませんね。うん、そう考えると面白いなぁ。
もともと共感を呼ぶには同じようなバックグラウンドを持っていたり、似たような環境のもと過ごしていれば必然的に起きるものと思ってましたが、アメリカに来てみるとそれこそ日本人は同じ教員を受け、制服を来て、同じ給食を食べて、ほぼ単一の言葉を話し・・・とアメリカ以上に共通項が多いはずなんです。でも実際の世の中は日本人のほうがアメリカ人より同胞意識が強いかというとそうでもないようです。
夢でもゴールでもなんでもいいんですが、自分の行き先が見える人には、演繹的な思考プロセスで得られた結論は向かないのかも知れませんね。
帰納的生活の要素になれるよう、これからも頑張ります(^_-)
もう少し追加で、日本でのレゲトンの流行ですが
一昨年辺りからダンスホールレゲエが大流行して、すっかり定着→そこからソカ(語源はソウル+カリプソらしく、トリニダード・トバゴのカーニバル音楽)がじわじわと流行。同時にチカーノラップも注目されだしてきたので、レゲトンが登場しても割りとすんなり入っていったのかもしれないですね。
アメリカのメインストリームのHIPHOPは完全に定着して、その上で色んな音(言語)が普通に聞ける耳になってきているんでしょうね。
耳のグローバル化 万歳♪
かおりさん、こんにちは。
どうやら漏れ聞こえてくるところでは、日本でも流行るところではレゲトン、かなりイっているようですね。
最近は英語とスペイン語ミックスで歌われているレゲトンの曲がアメリカのHiphop専用ステーションでかかったりと一般ウケしています。
その一方で、僕にはどこか東洋的なメロディーと聞こえる時もあるんですよ。僕は彼らが意識してアジアのエッセンスを取り入れているような気がするけれど。