前もって別段決めていたわけではなく、目覚めたそのときに「今日は時間を贅沢に使おう」とふと思い立った。
それは日曜日のことで、朝と言うよりはすでに昼近かった。
いつも休日は、起きると同時に「何か」を開始しなくてはいけないのだが、それは平日に積み残した「何か」を休日まで溜め込んでいるからだった。なので本来はゆっくり過ごすことができるはずの休日が一番忙しかったりするのはそう言った理由からである。
ここ1ヶ月は遠方からたくさんの来客があり、それにあわせて出かける事も多かった。また写真展をはじめとするいくつかの写真のプロジェクトを同時に進め、その合間に車の売買の手続きがあったりとまさに東奔西走の週末を過ごしていた。
そんな時でもたいていカメラバッグを持ち歩いていたし、バッグごと持ち歩くには大げさなところでもカメラだけは肩から吊して出かけるのだった。
そんな忙しさも一息つき、それにあわせるかのように New York の天候も連日の暑さからうってかわって湿度と気温の下がった過ごしやすい週末となった。久しぶりにしなくてはならない「何か」が無い週末も久々だ。いつもだとこんな日でもカメラを持ってどこに行こうかと悩むのだが、今日はゆっくりとした時間を過ごすために、悩むのを止め、カメラを持たずに外出することにした。
友人の家に行くとか、夜出かけるとかでない限りたいてい一眼、コンパクトを問わずカメラや PDA を持って歩くのが習慣のようになっていたから、こんなに身軽だと却って落ち着かない。肩には何もかかるものは無し、ボケットの中も小銭だけである。
幸いメトロカードはあるので地下鉄に乗ることは出来る。そこで行き先は地下鉄に乗ってから考えよう、と最寄り駅ホームにちょうど滑り込んできた地下鉄に飛び乗った。
高架を走る地下鉄が East River の下を渡るためにぐんぐん地下に潜っていく。それまで鮮やかな夏らしい光が差し込んでいた車両は途端に蛍光灯の光でなんだか乗客までもが無機質に見えてしまう。
どこに行こうか、という考えも薄暗い地下を走る車内では想像力を奪われたようで思い浮かばない。
なんとなくすべてが黄色がかったフィルターを通してみているような光景が目に入ってくるせいだろうか、ふと2年前に写真を撮りにいった Tompins Square Park のことを思い出した。
Tomkins Square は East Village にある小さな公園で、普段は通り抜けに使用する程度。これまで公園の中でゆっくりと時間を過ごすことなど無かったのだが、2年前に友人の両親が New York を訪れた際にこの公園で夕涼みをしたのだった。
Downtown や Village を一日歩き回った後、なぜだか East Village にたどり着き、この公園に吸い込まれるようにして入ってきたのだった。
歩き過ぎで棒のようになった足を公園のベンチに座ってほぐそう、と適当な場所を探していたところ、遠くから笛や太鼓の音色が聞こえてきた。それはちょうど僕にとっては夏祭りの囃子のようであったが、このあとすぐにその正体が判明したが、それはラテンミュージックだった。
友人とその家族はまさにラテンであるから、その音楽を聞くなりそれまでの疲れを忘れたかのようにその音の鳴る方に歩くペースを早めていく。
近くまで行くとそれはミュージシャンのセッションだと分かった。ギター、ベース、ドラム、パーカッション、それにキーボードと総勢10人近くの人たちが楽器を手にしている。場所柄 Puerto Rican が多いようだ。
皆近所の知り合いなのかそれとも遠くからはるばる参加している人もいるのだろうか、それでも即席と言うには息の合ったところを見せてくれる。座って見ていた人も突然パーカッションを持ってセッションに参加したりと、そこには演奏者と聞いている人(中には踊っている人も)の間に境界線というものが存在しないかのようだった。
平日の夕方5時ちょっと前なのに、演奏する人も公園の中でくつろいでいる人も、一体どこから来ているんだろう、などと自分のことを棚に上げて思ったものだ。
そして2年の時が経って、再び Tomkins Square を訪れることになった。
2年の間にそれこそ数え切れないくらい近くを通ったが、こうやってこの公園のためにやってきたのは久しぶりだ。
「確かこのあたりで演奏していたはず」と記憶の糸を辿りながら公園の中を歩くと、目的地まで行かずともすぐにまたあの懐かしいト、トンというボンゴの音が聞こえてきた。
その音のする方に歩いていくと、驚くことに2年前の平日に見かけたあの面々が昔と変わらぬ姿で演奏しているではないか。
http://www.nomeri.com/subdomain/photo/gallery/artists/slides/02art2.html
上にも書いたようにこの日は手ぶらだったので写真も撮らなかったが、探してみると出てきた。以前自分のギャラリーで紹介していた。
2年前のメンバーは彼ら演奏家だけではなかった。下の犬もまた2年前のものだが、彼 ( 彼女? ) もまたこの日見かけることが出来た。

※ EOS 10D 2年前に撮った写真から
この日はカメラを持っていなかったおかげで、弾むようなラテンのリズムに身を任せ、夏の夕方を堪能することが出来た。
彼らの音楽を聞きながら、気が遠くなるように思考が深くなることがあった。僕がこの2年してきたことは一体なんだろう、いつもしなくてはならなかった「何か」は僕や僕の生活をどう変えたのだろう。
変わらなくちゃいけないこと、そして立ち止まる勇気。僕の中でその二つが輻輳してまた二つに分かれていく。
2年前の夏と同じように、心地よいテンポと手拍子を背中に浴びながら、そしてそれが次第に小さくなくなるまでゆっくりと歩いてゆく。
公園を出ていつもの見慣れたストリートまで出て来ると先ほどまで聞こえていたメロディは車のクラクションにかき消され、まるで幻の様に失せてしまった。まるで過去から現代に戻ってきたかのように。

どうもお久しぶりです。
住む場所は同じでも、そこにはいくつものスタイルがあって人生があるんですね。
「立ち止まる勇気」と言う言葉に凄く考えさせられましたよ。
素敵な週末でしたね。
行ってみたいな、Tomkins Squareというところへ
Tomkins Square って、以前は「そこより東には行かないよう」にってよくガイドブックに書いてありましたよね。初めて来た10数年前、緊張してあの辺りを歩いたのを思い出します。
時間とは不思議ですね、自分の中では過去のひとコマで、ひさしぶりに同じ情景をみて懐かしく思うけれど、そこには同じだけ時間が流れていて、みなそれぞれに生活している。以前それを見た時の自分と、今の自分。何が変わっていてなにが変わってないのか。
若い頃はあんまり悩まなかったけどな~(笑)
また次にNYに来る時は自分はどうなっているんだろう。
Haltacさん、
時間の流れと自分の成長ってなんだろうって考えさせられますね。時間の流れは普段あまり感じませんが、不変なものがこの世の中に少ないせいかたまに遭遇すると自分も立ち止まってみたくなります。
もっちさん、
ちょうど入れ違いになってしまいました。
そう、Tompkins Squareのあたりはかつて治安の悪いエリアでしたね。僕も初めてNew Yorkに来た20年近く前、Tompkins Squareで大きな事件があったのを覚えています。ここはホームレスの人たちがたくさん住んでいたのですが、NYPDがある日突然撤去を開始したんです。
生まれ育ったところに何十年ぶりかで訪れるとそこには昔と変わらぬものがあったりして、その瞬間に過去に引きずり込まれる感覚がありますね。
Tompkins Squareって豊かな表情とローカルな匂いをちゃんと残してる公園なのですね。人が憩う場所はコミュニケーションがあり自由なはずなのに、いつの間にか危険だからとか、規制が多かったりとか、そんなところが日本も多くなってきています。子供達の声も聞こえない公園なんて不気味ですよね。私は迷って戸惑って立ち止まってばかりですが、明確な意思をもって立ち止まり深呼吸をひろさんみたいにしたいです。ホントはね。(^^;;
mint2さん、
>Tompkins Squareって豊かな表情とローカルな匂いをちゃんと残してる公園
そう、地域に根ざしている公園、という感じがしていいですよ。Central ParkもBryant ParkもUnion SquareもWashington Squareも僕は好きなんですが、あまりにも人が多すぎますよね。Tompkins Squareはとても閑静です。
>いつの間にか危険だからとか、規制が多かったりとか、
いま、それに近い内容でブログを書いています。次回かそのあと位にアップ出来るかな。
忙しい、忙しいと自分を追い込んでしまったり、忙しくしていることで逆に安心感が得られたりすることもあって、本来自分が進むべき道を見失ってしまうことがありますよね。多少後で忙しくなっても立ち止まって振り返ることは必要なんだと思います。急がば回れということばもあるし(^_-)
NYに来てから1週間とちょっとになります。無事に着きました。
そして毎日楽しく生活してます。
ひろさんの言うようにカメラなしででかけると意外に心底たのしめるかもしれませんね。私も、どのカメラにしようかと迷って、常に何か持ってあるいているのでとっても良くわかります。
なにかあったら撮ろう。ここになかったのが残念!って思いをしてたくないので(笑)
いさぎよく持っていないほうが、あきらめもついて楽しめそうですね。
今度のこの旅行は、日本から何も決めずに来ています。
だからその日暮らしで、今日はこうしようと考えて予定を立てているのですごく贅沢な使い方だなって思ってます。日本に帰ったらそんなことできないですからね。予定がてんこ盛りで!
先日はグランドゼロからSOHOまで歩きました。
父と以前に来た二本の空に向かってそびえ立つビルは跡形もなく、まるでCGで消したようにそこだけぽっかりないその風景は
空虚感が漂っていました。時が経つのは早いです。
cloverさん、
無事NYに着きましたね。暑いのでびっくりしました?もう少しすると涼しくなると思います。
去年は8/15ぐらいから秋らしい風が吹き始めたのを覚えています。
旅行もそうなんですが、写真を撮ることの功罪ってあるようですね。写真を撮っているからこそ生まれるコミュニケーションもあれば、思い出もある。けれどもその場で自分の脳裏に焼き付く風景を写真を撮ることで軽視してしまうことがあります。実際の風景は写真よりずっとすばらしい事が多いのにもったいないなぁと音から思いますよね。
Ground Zeroはなかなか直視できません。やはりいろいろな思い出もあるし、あの9/11の日のことを思い出すからかな。
時間の流れと成長が比例するものではないのなら素敵ですよね。生かすも殺すも自分次第、今日からの生活も面白くなってきた。ヒロさん、ありがとうございます。
NY行ってみたいな、夢の国。
web業など、japaneseでも仕事ありますか?
来年の夏頃にでも日本を出る予定であります。どこへ行くかは検討中ですが、NYも選択肢の一つなのでアドバイスなど頂ければ幸いです
我が家の近くにある公園でも盆踊り大会が開かれていましたが、昼間見る公園とは全然違う印象でした。普段は通り道か、○便のために立ち寄るだけの場所に百人近い人が集まるだけで大公園に変わってしまいます。
話題から外れてしまいそうですが、CAPA誌を読んでいたら生まれ育った世田谷線沿線における中古カメラの使用レポートが載っていました。そこで生活したことのある人には、特別の意味を持って写真を鑑賞すると「記憶のタイムトリップ」ができると改めて感じます。
この公園には、初めてNew Yorkに行った頃、友達に付き合って探したお店を探しながら、
たどり着いた公園です。。。アルファベットのアベニューには行かない方がいいと聞いていたので、
足早に立ち去りました記憶があります。
そして、10¢を落とした子供を追いかけた事を思い出しました。
それから、数年後…このTOMKING SQUARE近くのバーに良く行くようになりました。
あの頃は、あんなに怖かったのに!って感じでした。
2年前とは思えない、写真ですね~!
ワンちゃんの目が、とっても優しい目をしています。
初めて住んだ、42nd st.近くのアパートには帰巣本能で他に越しても、日本に戻った今でも、
New Yorkに行けばどうしてもそこに足が向いて行ってしまうのですが、
昔と同じように、従業員の休憩光景は同じでした。
何人かは入れ替わっていたものの、懐かしい顔がそこにはありました。
また行ったら行きます、あの頃に会いに。
焦りと不安に苛まれたとき…
そんなときこそ立ち止まって、「今日は何をしよう」みたいな日を過ごすことって大事だなぁって、読んでて思いました。
枕をぬらした私に、自分自身でご褒美を与える日はいつ、来るのかしら…
でも、ちょっと元気が出ました。ありがと♪
BOBは毎日が日曜日ですけど…何か??《笑》
でも、何かイイ日でしたね(* ̄ー ̄)ノ彡☆゚・。・゚★・。
変わらない景色とか、変わらないモノをNYで見つけると
なんかめっちゃ嬉しい気持ちになります。
BOBもね、あったよ!
アパートの前を掃除するおじさん…。おはよう!がくすぐったかった(*^ー^)人(^ー^*)
haltacさん、
成長するために立ち止まったり振り返ることもあるでしょう。他の動物は分かりませんが、人間は思い出を持つという素敵なファンクションを持っていますよね。人体の不思議の一つだと思いますが、記憶するという機能があるからこそ人類なのかも。
NYに限らず、夢を持って出てみるのはいいことですよ。
失敗もするかも知れません。でもそれこそ成長の糧でしょうね。NYに来られることが有れば応援しますよ。
インターネットのおかげでリモートで仕事が出来る土台はできあがりました。日本の仕事をこちらですることも出来ますよ。
eddieさん、
>昼間見る公園とは全然違う印象でした。
これがとても不思議ですよね。お祭りだって現代っ子風にかわってきていると思いますが、昔から変わらぬ日本人の精神みたいなのが宿っているからでしょうか。僕個人的には東北の祭りがとても好きです。
cocoさん、
>アルファベットのアベニューには行かない方がいいと聞いていたので、
East Villageも昔はGhettoな時代が有りましたからね。そのなかでTompkins Squareはホームレスが多く生活している公園だったようです。
今でもその名残(!?)はありますが、生活感あふれる公園ですよ。
>10¢を落とした子供を追いかけた事を思い出しました。
10セントって考えてみればたいした金額ではないのだけれど、そのちょっとしたことが記憶のひだに残るのが人間の凄いところだなと思います。なんてことない一コマが印象的に記憶にのこる事って有りますよね。
ところでこの犬はSamoyedという種類の犬で、確かロシアとかサハリンから来た種類だったと思います。
とても毛が多いので手間がかかるそうですが、ぬいぐるみのようで可愛いです。
>懐かしい顔がそこにはありました。
昔育ったところ、一度旅行で行ったところ・・・そんな場所に戻って昔と変わらぬ何かを発見したとき、自分まで若返ってその当時を振り返ることが出来ますね。僕も小学校5年のときまで過ごした足立区にその後一度も足を運んでいないので一日歩いてみたいな。
砂名さん、
>「今日は何をしよう」みたいな日を過ごすことって大事だなぁって、読んでて思いました
やらなくてはいけないことがたくさんあって空回りしそうなとき、一度立ち止まることは効果的かもしれません。
>自分自身でご褒美を与える日はいつ、来るのかしら…
これはね、自分で自分を評価してあげないと、いつまでたってもその機会が来ないんだと思います。きっかけは些細な事でも言いと思う。僕みたいに自分記念日でもいいと思うし、何か達成したときでも言いと思う。
BOB、
>アパートの前を掃除するおじさん…。おはよう!がくすぐったかった(*^ー^)人(^ー^*)
一日は挨拶から始まるよね。自分が嫌な気分でもそれをむすっとしていれば、周りの人にも伝播してしまう。
でもちょっと我慢すれば、もしかしたら他の人に勇気を与えるかもしれない。くすぐったい気持ちをわすれずに~