Yellow Cab Story
このところ毎週の様に B&H ( Manhattan 内の大型カメラストア。 9th Ave / 34th Street ) に行って買い物をしているのだが、その話はさておきこの写真は店を出た直後に撮ったものである。

大きな買い物をした人が、自宅にその荷物を持ち帰るためにタクシーに乗り込もうとしている。一見したところ、なんてことはない、New York ではよく見かける風景なのだが・・・。
このとき僕は両手に大きな買い物袋を下げ、「 さてどうやって持ったら、歩きやすいだろうか 」 とジャグラーよろしく買い物袋を右に左にまわしていたところだった。
結局どうやってもうまく持ち歩けないことがわかり、仕方なく不格好な歩き方でいくしかないだろうと決めかけたころ、目の前に男性が1人タクシーを待っているのが見えた。
タクシーを待っているように見えた、と書いたが実はそれは正確ではない。後からタクシーに乗り込むのを見たので、「 ああこの人はタクシーを待っていたんだな 」 とわかったものの、このときはまだ道路に出て突っ立っている通行人ぐらいにしか見えなかった。
それは、ちょうどタクシーが来ない空白の時間だったからかもしれない。普段は黄色いタクシーがイヤというほど目の前を通り抜けるものだが、不思議なことに来ないときは全く来ないものなのだ。
するとそこにあとから3人のグループが現れた。この人達もちょうど B&H から出てきたばかりで、3人のうちの1人の男性は B&H で買ったと見られる液晶テレビの入った大きな箱を抱えていた。
このときの位置関係は、最初の男性が右に、そして3人組がその左側、僕は歩道にいて背後から彼らを見ていた。車の流れは右から左に流れているので、運転手はどちらが先に来ていたのか見えなくても、最初のタクシーが止まったのは右側にいた男性の前だったのは至極当然のことだった。
そのときちょっと面白いことが起きた。
それまでただ突っ立っていると思っていた人が、タクシーが見えたので手を挙げたのがこの3人組には、タクシーを横取りされた様に見えたのだろう。一抱えもあるような大きな箱を持っていた男性はもちろん前が見えず、そのことには気がついていなかったようだが、3人の中の1人の女性が僕にも聞こえるほど大きな金切り声を発し、乗り込もうとしていた男性の動きを制した。
「 私たちの方が先に待っているのよ。そのタクシーは私たちのものだわ! 」
この女性、その人が先に来ていたかどうかなんて知りもしないのにこうはっきりと断言したことに、僕は耳を疑ったが男性が仕方なさそうにして、「 わかったよ 」 みたいなジェスチャーをして車から降りるのを見て、口を挟むことはやめにした。
この男性はそのまま走り去ることもできたし、自分の方が先に待っていた、といえば僕もそれを見ていた、と加勢するのにはやぶさかてはなかったが、どうやらそれは不要になりそうだった。
こうしてわがままな3人組は数メートル離れた場所からタクシーに近づき、乗り込むこととなった。
ここまではよくある話で、僕もそのまま忘れてしまうような風景だった。ところがこのあと話はまだ続く。
僕はこのとき男性が単に気弱な人なんだろうぐらいにしか、思っていなかったがどうやら僕の考え方は間違っていたようだ。
最初に来たタクシーはセダンタイプでもっとも New York で見かけられる一般的なタイプである。
この種のタクシーは後ろのトランクが広く、大きなスーツケースが二つは楽に入るように改造されている。けれどもその大きさを持ってしても3人組が購入した大型液晶テレビはトランクにうまく入りきらず、左右前後斜めに入れてなんとか納めようと四苦八苦していた。
一方、先の男性は最初のタクシーを降りるとさらに右側に向かって数メートル歩き、別のタクシーを探し始めていた。
すると幸運なことに待つことなく次のタクシーがやってきた。
ところが彼の目の前に停まったのは、ホンダのオデッセイベースのミニバンタクシー ( これもイエローキャブ ) だった。
横取りされたタクシーにまだ乗れない3人組を横目に、この男性はミニバンに乗り込み、この場からさっさとおさらばしよう、と言うときになって、先の金切り声女性がまたもや数メートル越しに叫ぶのが聞こえた。
オデッセイは3列シートの車だが、タクシーはその3列目をたたんで通常は広大な荷物置き場として使用している。そのミニバンを彼が拾ったのがこの女性の目にとまったようだった。
「 悪いんだけど、私たちそちらのタクシーが必要なの。変わってよ 」
これには部外者の僕も開いた口がふさがらなかった。
さすがにこれには男性も怒りだすだろう、自分だったら譲らないかも、と思って興味深く見ていると、驚いたことにこの男性、「 仕方ないな 」 と言わんばかりに肩をすくめながら乗っていたタクシーから降りたのである。
こうして金切り声女性はお礼もそこそこに、無事液晶テレビをタクシーに乗せることができ、男性は最初のタクシーに乗り込み ( このとき最初のタクシーの運転手も道路に降り立って箱を入れるのを手伝っていたのだが、最初の男性が乗り込むことになるのを見て、男性と顔を見合わせて苦笑いをしていた )、一件落着となった。
このとき僕は部外者であるのに、全くわがままな女性だな、と何だかむかむかした気分だったが、この男性の取った行動のあとでこの気持ちの行き場に困っていることに気がついた。
それはきっと僕が間違いなく、タクシーを譲らないタイプの人間であることを証明すると共に、むかむかした気分からすがすがしい気持ちに変わらんとしている矛盾があったからである。
金切り声女性は大きな液晶テレビを自宅に持ち帰れて Happy だし、この男性も 「 このくらいで目くじらを立てても仕方ない 」 と大きな態度で構えていたのだろう。そしてその場にいた僕まで清清とした気分にさせられたのだが、この男性はそのことまでは気がついてないだろう。
New York には金切り声女性のように自分のことしか見えない人もいる一方で、そういう人たちをカバーする善意も生きていて、うまくバランスが取れているのかもしれない。
自分が怒りの感情を覚えたときに、相手に合わせてこちらも我を忘れるのは簡単なことである。けれでもちょっとだけそれを抑えて見方を変えることができれぱ、こうしてみんなが Happy になることもできるのだ、とこの日は新鮮な気持ちになって帰宅の徒に着くことができた。
気がつけばさっきまで感じていた蒸し暑さまでどこかに行ってしまい、気持ちの良い風が吹き始めていた。
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