突然ですが、ただ今日本に一時帰国中です。
やっぱり日本は美しい。




突然ですが、ただ今日本に一時帰国中です。
やっぱり日本は美しい。




( 『Detroit紀行』と題して先月訪れた Detroit の写真と文を紹介しています )
いい加減 Detroit の話題ばかり続いたので、そろそろこの街にもいとまをつげることにしよう。
今回、紹介するのは Detroit 国際空港である。

Detroit の Downtown は空虚な都市になってしまったが、どっこい空港はなかなかのにぎわいなのである。
アメリカの航空会社は一般にハブと呼ばれる空港を持ち、いったんに各地の乗客をそこに運び、ハブ空港から目的地へと輸送するスタイルが一般的なのであるが、Northwest Airline のハブの一つがここ、Detroit なのである。
Northwest Airline や Detroit というと実は個人的にちょっとした思い入れがある。
僕がまだ学生だったころ、初めての海外旅行先として New York に来たときに Northwest Airline を使ったのである。何もかもが初めてで、ガイドブックに書いてある 「 レストランではチップを渡しましょう 」 という一文に緊張してしまい、最初のフライトで飲み物を頼んだときにチップを渡そうとしてしまったくらいなのだから。
そのときはとても優しい笑顔を返されて、「 私たちはチップは受け取らないんです 」 と言われたのを覚えている。
かつては成田空港と NY JFK 空港との直行便があったが、昨今の経済事情によりその成田直行路線からも撤退し、最近はとんと縁がなかったのである。
そこに来て、今回は Detroit への旅行ということで、久々に Northwest Airline を利用したというわけである。
記憶はおぼろげながら、飛行機客室の内部は昔と変わらない印象である ( これは他の航空会社も同じでなんとなく10年ぐらい変わっていない様な気がする )。
そのかわり変貌に驚かされたのは、飛行機ではなく Detroit 空港だった。
20年ほど前、初めてこの空港で Transit をしたときも 「 やたら広い空港だな 」 と思ったものだが、今回再び Detroit に行って初めて Northwest Airline のターミナルの規模に驚かされた。

これはターミナルの中を走るモノレールである。
通常大空港ともなると、たくさんのゲートを束ねるターミナルというものが複数ある。そのターミナルとターミナルの間を鉄道でつないでいる空港もあるのだが、ここ Detroit 国際空港の Northwest Airline はターミナルとターミナルを結ぶ交通システムではなく、自社のターミナルの中のゲート間を結ぶためのモノレールを造ってしまったのだった。
巨大空港のターミナルでゲートからゲートへの移動はさすがにかなりの距離があり、動く歩道があればいい方だが設置されていないところも多い。ところがこの空港をハブとして使用しているだけのことはあり、ここにモノレールを設置するのは当然の措置だったのかもしれない。
そのモノレールのカラーも航空機に合わせているところがニクイ演出ではないか。
さて僕も少しばかり楽をさせてもらい、このモノレールに乗って New York に戻るフライトの搭乗口まで連れて行って貰うことにしよう。
次回からはいよいよシカゴ編に移る予定。
僕のブログは New York での生活がベースになっているはずなのだが、読み返すと最近はあまり New York に関する話題が少ない。
ここしばらくは旅行の話が続いているし、たまに違う話題となると Photography に関するものでちょっと期待はずれという人もいるかもしれない。
僕の人生、平安・・ということもなく常に波乱に満ちているが ( と自分では思うのだが ) 最近は特にせわしくなく身の回りが動いていて落ち着いて書くのが難しいのである。
10月になれば少し落ち着くと思うので、New York の写真とストーリーは今しばらくお待ち願いたく。
さて僕の場合、一般にガジェット好きなのだがそれが Photography にもあてはまるようで、つい妙なグッズが出ると気になってしまうのだ。
特に最近ストロボを使用したり特定のライティングのもとで写真を撮ることが増えたので、なにかいいものは無いかと探していたいたところこんな面白いものを見つけた。

こうみえてもこれで立派な完成品で、もちろんのこと売り物なのである。
「 そんな馬鹿な、単にタッパーウェアじゃないの? 」 という人、僕もその意見には大いに同意する。
アメリカに旅行したことのある人ならわかると思うが、チャイニーズのデリバリーでヌードルを頼むと、まさにこんな容器に入って届けられるのだ。( いや、きっと元々のアイデアはそこからこの商品がスタートしたに違いないと踏んでいるのだが )
これ、何をするためのものかというと外部ストロボにつけて使うディフューザーなのである。つまり、光を直接被写体にあてるのではなく、間に何かをおくことで光を分散させ、和らげる効果をもたらしてくれる。
これに似たものとしてオムニバウンスというものを持っていたが、期待したほどその効果が表れず箪笥の肥やしとなっていた。
ところがタッパーウェアのような形をしたコイツは単なるディフューザーとしてだけではなく、光を天井にバウンスさせて降りてくる効果も、もたらしてくれるのである。
バウンスライトとは直接光を被写体に向けるかわりに、光を天井に照射することでそこで反射が起き、被写体にふりそぞくようなライトである。これによって陰も光も和らいだ効果が得られる。がこれはこれで弊害もある。
下の写真を見て貰うとわかるように一般的には頭とかおでこに光りがあたり、下に大きな陰が出来てしまう。
またこれが使える状況というのも限られている。天井の高さや形状、それに色によってはバウンスを使わない方が良いということもある。
ところがコイツの場合は、タッパーウェアの蓋のようになっている部分がドームの天井をひっくり返したようになっていて、ここでバウンスを起こすのである。なので基本的にはどこでもバウンスライトになり、また天井が金色だとか黒のような色であっても、色が変化するということもほとんど無い。
また被写体の真上から光りが当たるわけではないので、陰の趣がだいぶ変わる。下に載せたサンプルのうち、上が一般的なバウンスライトで、もちろんこんな効果を狙って撮りたいときもあるのだが、表情がよく出た写真を撮りたいときなどは苦労することがある。そういうときはコイツをストロボに装着して撮るとうまく光が回り込んでくれる。

▲ 近所の友達にモデルになってもらう ( NY に遊びに来た写真仲間にはよく紹介しているのでおなじみ )
さてこのあたりにこっそり書いておけば写真好きな人の目にしか留まらないだろう・・・実は近いうちに日本に一時帰国の予定である。
もしこれに関心のある人がいたら、いくつかは買って持って行けると思うので、このエントリーにコメントを残して行って欲しい。
ちなみに外部ストロボの機種によって製品がことなるので、メーカーと型番名が必要となる。値段は日本円にして確か6000円くらいである。
( 『Detroit紀行』と題して先月訪れた Detroit の写真と文を紹介しています )
Detroit 市がルネッサンス計画と名付けて都市再生を図っている、という話を紹介したがそのプランの一環なのか、僕が訪れたときにいくつかのイベントに出くわした。
滞在していたのはこの Renaissance Center にあるホテルだったが、チェックインするときにもレセプションの人が 「 夏の間はホテルのすぐ横で野外音楽祭が毎週末行われるんですよ。割と評判がいいので良かったらどうぞ 」 と勧められた。
高層階の客室から外を見てみると、実際ホテルの人が教えてくれた通り大きな川沿いに大きなステージが設営されており、スタッフたちがスピーカーやマイクのテストをしている様子がうかがえた。
どうやらここで夕方から夜にかけて音楽祭が開かれるようだ。先週はジャズだったとかで、今週末はロック・・・と毎週テーマが異なるらしい。
荷物を片付けたあと、飛行機の旅の疲れを癒すこともなく早速カメラを持って外に飛び出したのだが、夕方に一度部屋に戻る機会があった。
するとすでに音楽祭は始まっていると見え、音響のテストではなく頭から終わりまで通しで演奏が階下から聞こえてくる。
もちろん僕の部屋は40何階かの高層フロアだったので、窓など開くはずもなく、しかもそのガラスはとても分厚い。それにも関わらずステージから割と大きなボリュームで聞こえてくるのだから、チェックインした後、夕方にちょっと昼寝ようなんてことは無理だったに違いない。
しばらく客室で PC と向かい合った後、またカメラを持って外に出た。そして数時間後に再び客室に戻ってくると、なんと室内に入ってくるボリュームがさらに大きくなっているではないか。
どうやらすぐ横にもう一つの野外音楽堂があるらしく、そこからの演奏と歌声も聞こえてきているのだった。
おそらくどちらかの会場にいれば、最寄りのスピーカーから聞こえてくる音声で隣のコンサートの音など聞こえないのだろうが、運が良いというか悪いというか僕が滞在していた客室は頭上にあたり、ちょうど三角形の頂点にいるようなものでその両方から二種類の音楽が聞こえてくるのだった。
さすがにこうなると音楽も騒音である。部屋でテレビを見ていてもインターネットブラウズしていても落ち着かない。
そこでカメラを持って下に降りてみることにした。

高速エレベータで1Fに着き、さてどちらの音楽祭に行こうかと考え、ロックのミュージックフェスティバルは僕の客室からでも見えたこともあって、部屋からは見ることの出来なかった、もう一つ別のコンサートの方に耳を便りに向かうことにした。
ホテルの目の前のロックミュージックフェスティバルは主に白人観客層だったのに対し、僕が歩くのと同じ方向に向かっているのは気がつけば黒人だけになってしまった。
着いてみると実際こちらの方が規模も大きくステージも常設タイプのものである。当然集まっている人数もこちらの方が何倍も多いのだが、周りを見渡してもアジア人は僕だけ、白人も数人。この分だと黒人が95%、ラテン系が4%、そして残りの1%未満がその他という人種構成になっていた。
とはいえ決して居心地が悪いわけではなく、それは演奏と歌はソウルミュージックだったから、というのもあるかもしれない。
とにかく僕はこちらに腰を落ち着けて聞くことにした。
やっぱりと言うべきか、ここに来るともう一つ隣の音楽祭の音はほとんど聞こえてこない。こちらで演奏と演奏の間が空いたときにだけ、音が聞こえてくるといった具合だ。
近くには食べ物や飲み物の屋台がたくさん並び、さしずめ日本の夏祭りといった感じで、昼間食べたらさしておいしくないものも、こんなところではごちそうになる。結局僕もここでスナックを買って演奏の終わりまで長居してしまった。
不思議だったのは日中ほとんど人が歩いていないこの街に、週末の夜とはいえこれだけたくさんの人が集まって音楽を楽しんでいるという状況だった。
フェスティバル終了後のホテルに戻る道すがら、あたりの駐車場も路上駐車もとにかく車で溢れている様子があちこちで見られ、それだけ車に乗って見に来ている人が多いということなのだろう。
近くにはカフェもレストランも無いので、ほとんどの人はこれだけのために集まり、終わればすぐに帰ってしまう。
ルネッサンス計画のおかげで人は集まるのだが、街を歩く人はすぐに居なくなってしまうので寂しい街にすぐ舞い戻ってしまう。再生というにはまだ道が遠いようだ。

そんな Detroit が持つ空虚な街並みはは、川沿いの街の明るいネオンとは対照的である。
僕の部屋は河に面していたのだが、それほど幅の広くないこの河の向こうに広がるのはカナダである。
ホテルの隣には河の底を走るトンネルの入り口があり、ここにカナダに渡るためのパスポートコントロールがある。ホテルの人によれば、$5だかそれぐらいの金でカナダに渡ることが出来るのだとか。
その河の向こうにはカジノホテルが誘蛾灯のように Detroit 市民を誘っているのだった。
( Detroit にも実はカジノがあるのだが、夜、ギャンブルのためにカナダに行く人も少なくないのだとか )
これまで Detroit は自動車産業の発展とともに繁栄してきた街、というイメージがあったのだが、この風景を見るまで国境の街、という印象は僕には無かった。
なぜだかわからないが辺境というイメージからどうも廃れた印象を受ける。Detroit は僕が少年時代を過ごした東京のはずれに見られた風景とどこか重なるのである。
アメリカとカナダは往来が盛んで、個人でも気軽に行き来が出来るとはいえ、ここもどこかもの寂しい印象を受ける。こちら側が空虚なのに対して、向こう側がきらびやかなネオンで彩られてるせいであろうか。
おそらく気軽に行き来できる分だけ、Detroit の自動車産業の衰退とともに街から活気が消え、そのためにこちらに渡ってくる人が減り、逆にカナダに遊びに行く人が増えたのかもしれない。
それとも対岸のネオンは単なる幻なのだろうか。

賑やかなフェスティバルから一夜明け、重たいカーテンを横に引くととまぶしい光が飛び込んでくる。
鮮やかな緑色をした河の向こう側のカナダの街が大きなガラス一面に広がった。

あの日から5年が経った。
僕の中ではそれが 「 もう5年 」 なのかそれとも 「 まだ 5年 」 なのか、実感がわかない。それはもしかするとその両方なのかもしれない。
それがなぜかと問うてみると、あの日から決して何も事情が変わっていないのではないのではないかと思えてくる。
いやそれどころか平和からより遠のいてはいないか。
少なくとも僕らはそれを戒めとして覚えていかねばならないのだろう。
あの日から5年が経ち、Hudson River には灯籠が流された。
( 『Detroit紀行』と題して先月訪れた Detroit の写真と文を紹介しています )
さてまたもや Detroit Downtown の話である。
金曜日の夕方、カメラをバッグから出しては写真を撮り、終わったら速やかにバッグに戻して歩く、ということをしていたところ、遠くからパトカーのサイレンが聞こえてきた。
その音は次第に近くなり、こちらに向かっているのがよくわかる。しかもそのうち複数のサイレンがあちこちから聞こえてくるのだが、それがどの方向からも近づいてくるのだ。
ちょうど僕がいたのは治安が良いとは言えず、とてもアヤシイところであった。
昼間だというのに商店街の扉は木が打ち付けられ、あたりは都会のゴーストタウンといわんばかりの雰囲気が漂っているところだった。そこでは用事を持ってトコトコと歩く人などおらず、いるのは何かを待っているかのようなホームレスぐらいで、そのうちの半分くらいはアルコール中毒か麻薬中毒かといわんばかりの生気の無い表情をしている。
そんなところで写真を撮ったものだから、何かトラブルに巻き込まれたんじゃないかと、動揺してあり得ないことを考えてしまうほど、たくさんのパトカーが僕のいる方向に向かっている。
僕じゃないとすれば発砲事件か、と思って早足でその路地を抜け、人が歩いている大通りに出た。
するとサイレンを流しながら急行したパトカーは、( もちろんのことだが ) 僕が原因ということなんかではなく、何かこのあたりで騒ぎが起きることを警戒しているかのようだった。
あたりにいた数人の通行にも一体何事か、と足を止めてたくさんのパトカーの集結を見守っている。
そして曲がり角から突然のようにして現れたのは↓の人たちだった。

▲ 角を曲がって突然大きな声とともに飛び込んできたのはデモのグループだった。
僕が Detroit を訪れていたのはちょうどイスラエルがレバノンに対して連日空爆を繰り返していたときのことだったのだが、この人たちはイスラエルのその攻撃に反対するレバノン系アメリカ人のデモだったのだ。
僕の住んでいる New York でも中東系の人は多く、近くに水パイプで煙をくゆらす男性たちのカフェがいくつかあるぐらいだが、レバノン出身の知り合いは僕の周りにはいなかった。
多様な人種が集まっている New York でそういえばレバノン系住民のデモなんか見かけなかったなぁと思っていたら謎が解けた。
たまたま通りかかった大学生と立ち話になったのだが、なんでも Detroit の郊外に大きな Lebanese のコミュニティがあるのだとか。
なるほどそれでこれだけ大きな集まりになるのだろう。

▲ 女性も全身を覆い隠す装いでデモに参加していた

▲ Detroit 市警がデモの後ろを警備している。
デモの列はとても短く、ゆっくり歩いているとはいえ数分で目の前から消えてしまった。
New York でのデモと違って周りにメディアらしい人は数人しかおらず、また通行人も数えるほどの Downtown でアピールのほどは ??? である。
けれどもアメリカがイスラエルの肩を持つばかりで和平へのフェアな交渉を提案しないことに関して、在米レバノン人はやるせなかったのだろう。そうやって考えてみると、キューバのカストロ議長が体調を崩したことに対して、在米キューバ人が歓喜の声を上げたのとは明らかに反応が正反対である。
僕はそこで女性たちが掲げていたプラカードの写真を見て立ちすくんでしまった。柔和な顔をしたうら若き女の子が掲げたカードには爆弾で焼死してしまった子供が写っていた。
他にもたくさんの子供たちの無惨な姿が色々な人のプラカードに貼り付けられていた。
アメリカのメディアでは一枚も取りあげたことのない、市民の撮った 「 事実の写真 」 だった。
↑のエントリーを書いているのは旅行から帰ってきてほぼ一ヶ月後の9月9日である。ブログを書いているところに近所に住む友人が立ち寄ったので、作業を中断して食事に出かけた。
夕食を食べに行った帰り、歩いてうちに向かっているとすっかり暗くなった夜空に、青白い二本のライトが天に向かってまっすぐ照射されているのが目に入った。
5年前の September 11th に起きた惨事に対する追悼として、毎年この時期になると点灯する、光のツインタワーである。
果たして5年の間、世の中は平和に向けてどれだけ前進したというのだろうか。
( 『Detroit紀行』と題して先月訪れた Detroit の写真と文を紹介しています )

▲ Renaissance center
Detroit の Downtown が自動車産業の衰退に伴って空洞化している、という話を紹介したが、行政もただ手をこまねいているわけではなさそうだ。
皮肉なことにどこかの自動車会社の再生計画と同じ 「 ルネッサンス 」 という名のプロジェクトがそれである。
ホテルや多目的ホール、コンペンションセンターを兼ね備えた大きなビジネスセンターこそが、Detroit、Renaissance Center で、その中心に入っているのが GM である。
けれども Downtown で再開発されたのはこのビジネスセンターと通称 DPM と呼ばれるモノレール ( Detroit People Mover ) ぐらいのものである。
この高層ビル群から歩いて、小さな通りを曲がるとそこは下のような風景が広がっている。

▲ 先のRenaissance Center から10分も歩けばこんな感じ。
大都会のはずなのに空が広く、そして視界が何とも広い。
Detroit はもともとたくさんのビルがあったはずなのだが、中に入るテナントもなくなったのだろう、誰も住まないビルは老朽化が早い。そのため窓ガラスにベニア板が貼り付けてあるくらいならまだましで、ほとんどが取り壊されている。
そのビルの跡地が何になっているかというと、これがほとんど駐車場なのである。
そういうわけで Detroit は駐車スペースにほとんど困らない。なんでこんなに駐車場が多いのかと言えば、結局鉄道が無いために都市の再開発を進めても通勤手段は 100% 自家用車ということになる。だから自然と駐車場は多いのだろう、と思っていた。
きっとその側面もあると思うのだが、日曜日に街を歩いていてちょっと認識が甘かったようだ。
この日は市内の球場で地元チームがプレイするらしく、いつもはがらんとしている街が途端に賑やかになってきた。加えて近くにはカジノ ( Detroit がギャンブルの出来る都市とは知らなかった ) があるので、午後から週末のちょっとしたギャンブルをするために、車に乗ってやってきたのだろう。
平日はどんよりした空気が流れるこの街が休日になると空車を知らせるバスボーイが旗を振っており、この街の本当の姿はどちらなのだろうと考えるとおかしかった。

▲ ここは都市に住むのがもっとも安上がりというドーナツ現象になっているのである。

▲ 新旧が重なるこんな風景が Detroit にはよく似合う。
( 『Detroit紀行』と題して先月訪れた Detroit の写真と文を紹介しています )

かつて自動車業界のトップ3を占めていた、いわゆる 「 ビッグスリー 」 とは GM、クライスラー、フォードをさすが、そのその三つが本社を構える Detroit は Motown とか Motor City などと呼ばれる。その Motown の名を冠した Detroit 発祥のレコードレーベルについても以前紹介した。
Detroit の音楽といえば Motown レーベルだけでなく、有名なところではマドンナの出身地としても知られる。
そして上の写真を見て勘のいい人ならわかったと思うが、エミネムも Detroit 出身である。エミネムの自叙伝的映画、「 8 Mile 」 のタイトルにもなっている 8 Mile Rd とはここ、Detroit にある大通りを指している。
ここより1マイル北には 9 Mile Rd があり、1マイル南に下るとそこには 7 Mile Rd と言う通りがある。さらにその南に向かうとそこに位置するのは Detroit のダウンタウンである。つまりここ、8 Mile Rd はダウンタウンからちょうど 8 Mile の距離にあるのだろう。
その 8 Mile が象徴的なのは理由があって、Downtown からこの 8 Mile Rd までの区域が一般に貧困層の居住区、そしてここより北は裕福層が住むエリア、とここを境界に見事なほど分かれていることである。
そういう意味で、この 「 8 Mile Rd 」 は地理的な境界線としてだけではなく、アイデンティティを意味する一つの指標となっているのだろう。
通りを越えるのは簡単でも、その向こうにある暮らしには属することができない、厳しい貧困の差が歴然とそこにはある。
こういう感覚は日本に無いので、それを体で理解するのは難しいかもしれない。
この日、僕はこれよりさらに北にある瀟洒な住宅地が立ち並ぶ街まで運転を続けた。
近くには日本人が多く住むと見られるエリアもあった。

( 『Detroit紀行』と題して先月訪れた Detroit の写真と文を紹介しています )

Detroit に行く前から 「 あの街には鉄道システムが無い 」 と人から聞き教わっていたものの、Detroit に到着して Downtown をちょっと歩いてみるとやはり違和感を感じる。
いまや昔ほどの勢いは無いにしても Detroit といえば都会である。これほどの都会なのに、地下鉄も電車も列車も走っておらず、もちろん市内を歩いても駅など見あたらない。
あるのは無人運転のモノレールシステムだけで、これを公共交通機関と呼ぶには心もとない。そもそも歩いて行ける範囲しか巡回していないのだ。
一説ではアメリカの鉄道システムは意図的にモータリゼーションカンパニーによって崩壊させられた、とあるからモータリゼーションの中のさらにビッグスリー GM、クライスラー、フォードの膝元である Detroit に鉄道が残っているわけもないのだろう。
上で紹介している写真は、Detroit 郊外のものではなく Downtown の鉄道のなれのはてである。先日のブログで僕が元裁判所判事と出会ったエピソードを紹介したが、ここはその Easterm Market のはずれにある駐車場から1ブロック歩いて見つけたところである。
すぐ隣にはたくさんの家族連れでにぎわう市が立っているというのに、ここは車から降りるのがはばかれるほど雰囲気が悪いところであった。ましてカメラを持って歩くのはなんとも落ち着かない。数分に一度車が通りすぎるので、車の列が見えなくなるのを待って飛び出して撮ったものである。
( 遠くからやってくる車の姿が見渡せるほど、あたりには何も無いのである )
案の定どこからともなく一人のホームレスがめざとく僕を見つけ、とぼとぼと向かってくるところだった。こんなところで面倒なことはごめんとすぐに車に乗り込んでその場を後にしたのだが、市場のすぐ裏にこんな風景が広がっていることがちょっと信じられなかった。
僕自身はこの街も気に入ったのだが、きっと住むことになるとちょっと話は別かもしれない。Detroit は全米一凶悪犯罪発生率が高い都市としていまでもなお悪名高く ( それは自治体が努力しているにもかかわらず )、平和な生活のすぐ裏には、貧富の差から生まれる犯罪と背中合わせであるという緊張を伴って生活しなくてはならないからであろう。
そんなことを荒れ果てたレールを見ながら空想したのだった。

ここしばらく写真と向き合う時間がだいぶ増えた。写真のプロジェクトがいくつか進行中、と書いたことがあったがそのことである。
ここで告知をさせてもらい、現在準備を進めている『100枚のNY写真』集プロジェクトもその一つである。
そういえば、最近面白いことがあった。
8月に3都市を回った際、直接都市間を移動せずに、その都度 New York に戻っては次の都市に飛んでいた。
確か Atlanta から New York に戻って、次の Chicago の旅行に向けて調べ物をしていたときのことだ。ある日予想もしないところからメールが届いていた。
よほどのことで無い限りインターネット上の出来事に驚かなくなったが、久々にまたその力を認識することになった。
メールは南アフリカはケープタウンから発信されたもので、差出人は雑誌社の編集をしているという女性。
最初に、唐突なメールについて丁寧にお詫びが書いてあった。続いて書かれていたのは、僕の写真をインターネット上で見たとかで、仕事の依頼話であった。
写真そのものは 「 これなら誰でも頼めるのに僕になんか頼まなくとも 」 などと思ったが、考えてみればなんてことはない内容だから僕に頼めた、と言うことになるのだろう。つまり一流の腕を持つ人を使うまでもない、というものだ。しかもあまり時間が無い、ということも書かれていたから、つまり New York に住んでいる利便性だけで頼んできたということにもなる。
それでも見知らぬ僕を頼ってきてくれた事と、公開している小さな写真を見て頼んできた、と言うことが嬉しくて、手伝わせてもらうことにした。
なんといっても南アフリカからそんな話が飛び込んでくるとは夢にも思わなかったし、かの地の雑誌に僕の名前と、サイト名もクレジットしてくれるというのは、実際に店頭で販売されるのを見ることはできなくても、なんだか夢がふくらむ話ではないか。
もしかしたらいずれ南アフリカから違う話が飛び込んできたりして・・・などとすでに捕らぬ狸の皮算用を始めている自分に気づき、苦笑してしまう。
こんな風にしてインターネットを通じて人と出会うように、写真を通して人と出会うことが今一番僕にとっては充実しているときかもしれない。
さて飛び込みの話から、準備中のプロジェクトに話を戻そう。
いささか唐突に聞こえるかもしれないが、今月東京都内にて写真の展示を開催する運びとなった。もちろん前々から準備をしていたのだが、やっとその目処がたったので、ここにきて初めて告知と相成った次第である。
昨年のグループ展、今年、New York、SOHO での展示に続き、僕にとっては今回で三度目の展示会となる。
僕自身は New York におり、写真展示は東京・麻布であるから、到底僕一人の力では準備出来ない。これもまたコネクションとかネットワークといった出会いのたまものである。たくさんの人が少しずつ力を持ち寄ると大きなことができる - ありふれて、とても陳腐な台詞だが、今それを実感している。今回も幸いなことにこの展示会をサポートしてくれるボランティアの人たちが東京制作チームを編成して、がんばってくれている。その人たちがいなければ、今回の写真展開催も不可能だった。きっと今ごろ大型プリンタと奮闘しているであろう制作チームの人たちにまずはお礼を言いたい。
ということで近くにお越しの際は、是非お立ち寄りください。
写真を通じて、写真と audience、audience と audience などますますたくさんの出会いがあることを楽しみにしています。
