( 『Detroit紀行』と題して先月訪れた Detroit の写真と文を紹介しています )
さてまたもや Detroit Downtown の話である。
金曜日の夕方、カメラをバッグから出しては写真を撮り、終わったら速やかにバッグに戻して歩く、ということをしていたところ、遠くからパトカーのサイレンが聞こえてきた。
その音は次第に近くなり、こちらに向かっているのがよくわかる。しかもそのうち複数のサイレンがあちこちから聞こえてくるのだが、それがどの方向からも近づいてくるのだ。
ちょうど僕がいたのは治安が良いとは言えず、とてもアヤシイところであった。
昼間だというのに商店街の扉は木が打ち付けられ、あたりは都会のゴーストタウンといわんばかりの雰囲気が漂っているところだった。そこでは用事を持ってトコトコと歩く人などおらず、いるのは何かを待っているかのようなホームレスぐらいで、そのうちの半分くらいはアルコール中毒か麻薬中毒かといわんばかりの生気の無い表情をしている。
そんなところで写真を撮ったものだから、何かトラブルに巻き込まれたんじゃないかと、動揺してあり得ないことを考えてしまうほど、たくさんのパトカーが僕のいる方向に向かっている。
僕じゃないとすれば発砲事件か、と思って早足でその路地を抜け、人が歩いている大通りに出た。
するとサイレンを流しながら急行したパトカーは、( もちろんのことだが ) 僕が原因ということなんかではなく、何かこのあたりで騒ぎが起きることを警戒しているかのようだった。
あたりにいた数人の通行にも一体何事か、と足を止めてたくさんのパトカーの集結を見守っている。
そして曲がり角から突然のようにして現れたのは↓の人たちだった。

▲ 角を曲がって突然大きな声とともに飛び込んできたのはデモのグループだった。
僕が Detroit を訪れていたのはちょうどイスラエルがレバノンに対して連日空爆を繰り返していたときのことだったのだが、この人たちはイスラエルのその攻撃に反対するレバノン系アメリカ人のデモだったのだ。
僕の住んでいる New York でも中東系の人は多く、近くに水パイプで煙をくゆらす男性たちのカフェがいくつかあるぐらいだが、レバノン出身の知り合いは僕の周りにはいなかった。
多様な人種が集まっている New York でそういえばレバノン系住民のデモなんか見かけなかったなぁと思っていたら謎が解けた。
たまたま通りかかった大学生と立ち話になったのだが、なんでも Detroit の郊外に大きな Lebanese のコミュニティがあるのだとか。
なるほどそれでこれだけ大きな集まりになるのだろう。

▲ 女性も全身を覆い隠す装いでデモに参加していた

▲ Detroit 市警がデモの後ろを警備している。
デモの列はとても短く、ゆっくり歩いているとはいえ数分で目の前から消えてしまった。
New York でのデモと違って周りにメディアらしい人は数人しかおらず、また通行人も数えるほどの Downtown でアピールのほどは ??? である。
けれどもアメリカがイスラエルの肩を持つばかりで和平へのフェアな交渉を提案しないことに関して、在米レバノン人はやるせなかったのだろう。そうやって考えてみると、キューバのカストロ議長が体調を崩したことに対して、在米キューバ人が歓喜の声を上げたのとは明らかに反応が正反対である。
僕はそこで女性たちが掲げていたプラカードの写真を見て立ちすくんでしまった。柔和な顔をしたうら若き女の子が掲げたカードには爆弾で焼死してしまった子供が写っていた。
他にもたくさんの子供たちの無惨な姿が色々な人のプラカードに貼り付けられていた。
アメリカのメディアでは一枚も取りあげたことのない、市民の撮った 「 事実の写真 」 だった。
↑のエントリーを書いているのは旅行から帰ってきてほぼ一ヶ月後の9月9日である。ブログを書いているところに近所に住む友人が立ち寄ったので、作業を中断して食事に出かけた。
夕食を食べに行った帰り、歩いてうちに向かっているとすっかり暗くなった夜空に、青白い二本のライトが天に向かってまっすぐ照射されているのが目に入った。
5年前の September 11th に起きた惨事に対する追悼として、毎年この時期になると点灯する、光のツインタワーである。
果たして5年の間、世の中は平和に向けてどれだけ前進したというのだろうか。

コメントする