2006年10月アーカイブ


都会に長いこといると、空の広さを忘れてしまう。
いやそれどころか、前にゆっくりと空を見たのがいつのことだったかすら覚えていない、ということはないか。

地面に映し出された狭い都会の空。

( 『Chicago紀行』と題して8月に訪れた Chicago の写真と文を紹介しています )

東京に代々木公園や皇居が、New York に Central Park があるように、Chicago のダウンタウンにも大きな公園がある。
ほとんど何も起きなかった 「 2000年問題 」 と一緒に死語になってしまった感のある Millennium という言葉を冠した Millennium Park がそれである。

Central Park がその地形を利用して、林や森、それに丘まであるような自然一体型の公園だとすると、こちらは整備された計画型公園といえるかもしれない。
場所は Downtown とミシガン湖のちょうど間にあり、大都市から湖までの変化を公園が吸収しているかのようにも見える。

上の写真は公園はいってすぐのところだが、こんな風にアスファルトがしきつめられた広大な広場が広がり、都会から公園に入ってきたときにすんなりとその変化が受け付けられる。

その一角になにやら怪しい物体を発見した。


都会の真ん中に不釣り合いな大きさで、まるで突如空から降り立ったかの様に見える。
「 都会に似合わない妙なもの 」 というギャップが却ってこの風景にとけ込んでいるようにも見える。


この正体が何かというと、実は全てが曲面体ミラーで出来た立派なパブリックアートなのである。



こういうところでカメラを持っていると一日中、時間がつぶせそうだ。
ここでパフォーマンスする人の姿が皆それぞれユニークなので、思わず写真を撮らせて貰いたくなるのである。

このミラーに集まった人たちを見ていると、最初は自分の顔や姿がゆがんで見えることで遊び、次にそのゆがみを利用して変わった写真の撮り方をするのである。これが見ていて面白い。どことなくアマチュアのストリートパフォーマンスを見ているようでもある。

ここに写っている男性は、息子二人を地面に寝かして持っていた携帯で写真を撮っている。
その後ろで 「 まだなの? 」 というような顔をしたお母さんが待っていた。



僕もこのミラーを利用してセルフポートレイトの写真を撮ってみた。



でこのミラーの胴体部分はトンネル状になっていて中に人が入れるようになっている。天井もごらんの通りくぼんでいるためにここに映し出される自分たちの姿は奇妙そのものである。
まず第一に自分を見つけるのが非常に難しい。ぼくもこの中の一人のはずなのだが、一体どこにいるのだろう。


パブリックアートとはこのようにまさに人々が参加することで完成する作品だと思うのだが、これは大いに成功といっていいだろう。Chicago を訪れる人たちの多くがここで不思議な時間を過ごすことが出来るのだから。

余談だが、最近 Rockefeller Center 前のイベント広場に大きなミラーのオブジェが出現した。
形状は異なるが、コンセプトはかなり似ていると思う。New York にいる人は是非、足を伸ばしてみよう。
( 近いうちに写真を紹介する予定 )


( 『Chicago紀行』と題して8月に訪れた Chicago の写真と文を紹介しています )


日本と欧米の都市の違いの一つに、「 都市の中の緑地 」 がある。
特に近代建築物が多いアメリカではコンクリートに対するアレルギーなのか、緑が多く配置されている。


Chicago も New York と似ている都市ではあるが、こと緑地に関してはアプローチが異なるようだ。
市内に大きな公園があるという共通点はあるものの、Chicago の場合は都市から公園にかけてその境界が無いか、または意識させずに移行できるような作りになっている。


市内の歩道に花壇があるのはさして珍しいことではないが、ここの場合は花壇というよりミニ公園と言った方がふさわしいようだ。



ここに紹介している写真のように、歩道の多くには様々な形の花壇があり、しかも僕が訪れたのが夏というせいもあってどこも花や樹木が茂っていた。
それらはほんのおざなり程度の花が並んでいるとかいうレベルではなく、まさに百花繚乱というぐらいに茂っているのである。



面白いことにサイドウォークごとにいろいろな種類の花壇が用意され、それを見比べるためだけにちょっと遠回りして、別のアヴェニューを歩いてしまうほどだった。



中には↑の写真のように、石がひきつめられちょっとした石像から水が噴き出しているものもあり、僕にはどこか 「 和 」 の雰囲気が感じられた。
夏はこんな演出一つで、見た目にもそして耳にも涼しく、街を行き交う人たちの心も和むことだろう。

ついつい他人のことを思いやる余裕を無くしてしまう都市生活だが、Chicago の人たちはどうやったら心にゆとりを持って暮らせるか、よく知っているようだ。
それは Chicago の人たちがもともと優しいからなのか、それともこんな環境があるから、都市計画をする人たちも優しい街作りができるのか、いずれにせよ New York から見るととてもうらやましい。

( 『Chicago紀行』と題して8月に訪れた Chicago の写真と文を紹介しています )


観光で訪れている人とそうでない無い人との見分け方、というのはいくつかあるがその一つはやはり 「 上を向いて歩いているかどうか 」 ではないだろうか ( 見分け方など特に必要なワケではないが、人物観察が好きなのでつい気になるのだ )。
住んでいる人は、目的地に向かって一心不乱で歩いていてどうも回りが見えてないか、行き交う人を視線で追う余裕派のどちらかではないかと思う。


僕も Chicago で間違いなく上ばかり見上げて歩いていたんだと思うが、あるときから目線が下に行くようになった。
それは Chicago の街が、建築美とか造形美だけではなくより住みやすく設計されていることに気がついたからである。


上の写真はいわば地下鉄の出入り口であり、これは特に上りエスカレーター口である。New York の Subway で地上に出るためのエスカレータなどほとんどなく ( Grand Central や Flushing などごくわずか )、いささか新鮮である。しかもこんな風にガラスを多用しているので中は明るく、そして外部では視界を遮らず息苦しさを感じさせない。これがコンクリートで出来ていたら、印象はだいぶ変わるだろう。



でこちらは地下鉄の地下に降りる階段口の写真である。
よく見ると入り口には、車いすの人が係員にヘルプを連絡するボタンが備わっているのが見える。


こんな気遣いは他所も見られる。
目線が下にも向くようになったのは歩道で何か違和感を感じたからなのだが、それが何か、下の写真からわかるだろうか。


そう、それは車道を舗装し直して、ちゃんと角の歩道と高さを合わせている、ことである。
車いすの人が通りを横断するための配慮であるが、ほとんどバリアフリーと言って良いだろう。

こんなところに Chicago という街の魅力を一つ見つけた。

( 『Chicago紀行』と題して8月に訪れた Chicago の写真と文を紹介しています )


たった三回しか来ていない Chicago だが、毎回 O'Hare 空港から downtown に来て思うこと、それはこの街が持つ美観である。

もちろん美という概念は人によって異なるだろうが、いわゆる都市美と言ったときの美観がアメリカにある他の都市とは一線を画す。
New York と Chicago はある部分とても似ている。夏は蒸し暑く、冬の寒さはことさら厳しい。また歴史の古さや都市の発展の仕方など、New York 市とは共通点が多い。事実高層ビルを遠くから見ると、もちろんビルのシェイプが違うから区別はできるが、New York と Chicago はかなり似ている。
これが、たとえば LA だと街中に椰子の木があったり、青空が広がっているので見た目の第一印象や空気感というものが異なる。
その New York から行った僕が最初に気がつくのが、汚れの少なさである。まあ New York の街の汚れが際だっているのかもしれないが、なにせそれに慣れてしまうと気にならなくなってしまうようだ。
それで Chicago に行くものだから、余計に清潔に感じてしまうのだろう。

ということでこれから何回かに分けて Chicago で見つけた都市美を紹介しようと思う。

Chicago も近代的な超高層ビルが建ち並び、まとまった様相は他の大都市とそれほど変わらない。
けれどもビルを個々に見ていくと、昔の Chicago を彷彿するような 「 剛 」 のイメージが似合う鉄のビルや、ユニークなデザインのものなど多少他の都市と趣を異としている。

上の写真は街中で撮ったもので中心は河 ( 運河 ) が横たわっている。現在手前には New York で成功した Donald Trump が Chicago でトランプタワーを建築中といういわば一等地である。けれどもそんなファンシーなビルが建ち並ぶ仲、どうしても右側のトウモロコシ状のビルに目がいってしまう。

実はこのビルの写真は以前 ( ここここ
) にも紹介しているのだが、今回もやはりまじまじと見入ってしまった。

明らかにデザインとしては古いものであるのがわかるが、それでも古さよりはユニークさが勝っており僕にとっては Chicago 高層ビルの顔となっている。

もう少し近くに寄って撮ったのが下の写真である。


このトウモロコシビルは正式には Marina City と異ってツインタワーの構成なのだが、向かって右側のビルは現在メンテナンスのためか、工事用の垂れ幕がかかっている。
面白いのはこのビルの低層階が駐車場になっており、そこに泊まっている車がこのビルのエクステリアの一部になっているのだ。


そういえば日本からのニュースで 「 ギアを入れ間違ってバックしてしまい、パーキングビルから落ちた 」 という話を耳にしたことがあるが、この高層ビルでそんなアクシデントは起きて欲しくないものである。
そんな心配をしてしまうのは僕が小心者であるからなのだが、街を歩いていて妙な心配をしてしまうのもこの街の魅力なのかもしれない。

Red apple

| コメント(2) | トラックバック(0)

Red apple と聞けば 「 何をいまさら、当たり前ではないか 」 と言われそうだが、この林檎の場合、赤林檎は大変めずらしい。Apple のロゴの話である。


5番街に今年オープンした Apple Store について以前ここでも取りあげた。そこには Apple のロゴとして真っ白で巨大な林檎が飾られている。
この林檎マークが一夜にして色がかわった。現在の白色ロゴの前、かつては虹色の林檎がロゴとして使われていたが、今回はまるで熟れ時の林檎のように真っ赤になった。


アフリカでエイズと闘う人たちを救済する基金への協力活動として、つい最近 Apple が真っ赤な iPod nano を発売したのだが、そのプロモーションが目的のようだ。

この特別な nano は一台売れるごとに $10 が基金に提供されることとなっている。

確かにこういう活動が企業イメージの向上につながるとはいえ、企業ロゴの色まで ( 一時的に ) に変えてしまうというその行動力には素直に脱帽である。

( 『Chicago紀行』と題して8月に訪れた Chicago の写真と文を紹介しています )


実に2ヶ月以上も前の写真なので、いまさら紹介することにためらいを感じてしまうのだが、ここで紹介しておかないと、未来永劫日の目を見ないかもしれないので、無理矢理かつ多少駆け足で Chicago に行ったときの写真を紹介しておこう。


Atlanta、Detroit と出かけた都市巡りの最後はこの Chicago になった。
僕自身、過去に2度 Chicago を訪れているので、Atlanta や Detroit のときに感じた、行ったことのない場所に行くという不安と期待はぐっと下がり、その一方で今回の旅行が一番安心感があった。
それは限られた時間内であちこちまわらなければならなかった先の2都市に比べ、Chicago ではおよその地理感覚があるので、効率よく廻ることが出来るというところから来ているのだろう。


初めて行く街の場合、旅行の予定がしばし狂ってしまうのはやはり移動のせいである。
A 地点から B 地点まで移動するのに、地図上では近そうに見えてもアメリカの地図にありがちなラフな記述のために実は歩いていけるような距離でなかったり、たとえ距離が近くても交通機関がなく移動ができない、ということがままあるのだ。
その点、全米三大都市に入る Chicago は New York 同様市内地下鉄がとても発達しており、それでいて New York ほど複雑でないためにとてもアクセスが楽なのである。


Chicago 市内を走る鉄道システムは Loop と呼ばれる。Chicago の人たちはこれを略して " L " と呼ぶこともあるようだ。何度か行き先を確認しようとして、ホームで待っている人や乗客に尋ねると、Loop とは言わず 「 エル 」 と口にする人に遭遇した。
ちなみに New York の地下鉄は、そのまま NYC subway であり、特にニックネームなど無いので、ちょっとうらやましい。市民にどれだけ愛されているかの差だろうか。
確かに New York では 「 週末の運行ルートが勝手に変わっている 」 「 週末運休している 」 「 停車駅を勝手に変える 」 など市民でも混乱するし、乗り間違いを冒す人は多い。
その点、僕が利用した週末の間 Loop では 「 運休 」 だとか 「 ルート変更 」 などというのは見たこともなく、とても規則正しく運行していた。
短い車両編成でやってくるのだが、その分運行間隔も短いので待たされるというシチュエーションも New York より少なく感じ、ストレス無しなのである。大都市で地下鉄を24時間運行するというのはむずかしく、そのせいで New York でも週末になるとよくメンテナンスをしているのだ、と思っていたが Chicago のような大都市で、かつ New York と比べてもそれほど新しいとは思えない地下鉄を24時間運行しているので、New York の地下鉄システム自体、どこかに問題があるのではないだろうか、と疑ってしまう。


ちなみに Loop はその名の通り Chicago の Downtown で環状線になっている。環状線といって都内を走る山手線を想像するかもしれないが、Loop のそれはとても小さい。その環状内部分は歩いて行くことが出来る距離なのである。
地下鉄の一部は地上を走るのだが、これだけ小さな径で廻るために、高架を走る地下鉄は窮屈そうにしてビルの谷間を通り抜ける。


写真で遊ぶ

| コメント(6) | トラックバック(0)

以前 「 深夜4時の subway 」 と題して、写真を紹介した ( カテゴリー : photo stories ) 。

その写真を見ていたら、なぜか 「 そんなことも ok さ 」 などという妙な気持ちが沸いてきた。

なんでだろう?
深夜、NY の地下鉄に乗っても ok なのか?
それとも疲れ切った人たちに対して ok と言っているのか?

よく見ると答えは写真にあった。

ということで写真で遊んでみた。
( 最近ばたばたとしていてあまりブログを書く時間が取れないから、というのがホントの理由らしい )

3年ぶりに訪れた日本であったが、単に3年という時間以上の大きな隔たりを感じることがしばしあった。



かつて都内に住み勤務地も都心だったので、たとえばA駅からB駅までどうやっていったら一番早いか、と言われればさっと頭の中で路線図が浮かび、乗り換えすべき駅などすぐに答えが出たものだった。
ところが久々に東京を訪れてみるとすっかり都内の電車の乗り換え方を忘れていることに気がついた。
幸い、滞在中に親から借り受けた携帯電話の乗り換え案内サービスを使うことで、同行する友人に尋ねてばかりという事態は避けられたものの、「 I was born and raised in Tokyo 」 と言ってきた自分に取って、これはかなりショックであった。東京の地下鉄・私鉄・JR は複雑だから、とはいいわけにならない。きっと使うことの無かった知識はすっかり頭の中から抜け落ちてしまったのだろう。
それは道を歩いていても同じだった。かつては見知らぬ場所でも都内で方向感覚があって、それなりに目的地に行くことが出来たのだが、今回は地下鉄から降りて地上に降りると、東西南北右左がわからず途方に暮れることがよくあった。
自分が健忘症になってしまったのではないかと、一瞬恐怖を感じたといっても大げさではなかった。


このことは他人からすれば小さなことだろうが、こんな些細なことを他にもいろいろ遭遇すると、なんとなく自分が余所者であるという気持ちが強くなってくる。
まして今回滞在した両親の住む家は、僕にとっても初めての訪問で、泊まっていた部屋にもちろん愛着はないし、私物もほとんどないから、なんとなく 「 客人 」 なのである。都内で友人と会い、そこから両親の家に 「 帰る 」 のだが僕からすると友達と食事に出るのも、両親の家に行くのも僕にとってはどちらも 「 訪問 」 で家にいてもどこか落ち着かない。
東京に住んでいるわけでもなく働いているわけでもない上、ちょっと見ないうちに東京という街も変貌し、そして僕の記憶も薄れていく。これら三つのことが相まってどうかすると、どうしても故国のつながりが希薄になってしまうのだろうか。


さてその両親の家だが、僕が学生だったころバイトでゲームソフトを作っていた時の友人が近くに住んでいることがわかり、平日の夜に近所で会うことになった。
友人の帰宅に合わせてターミナル内にある書店でぶらぶらしていると、須賀敦子氏の名前を文庫本コーナーで見つけた。須賀敦子氏の著書についてはここでも紹介しているように、僕の好きな作家の一人なのだ。

彼女の名前の札が刺さった本棚には文庫本がたまたま2冊並んでいた。「 ヴェネツィアの宿 」 と 「 コルシア書店の仲間たち 」 である。
確かこの本はまだ読んでないはず。帰りの飛行機の中で読むには最適かもしれない、とそのままレジに持って行った。
けれどもこのときに買った文庫本は結局というか、当初の予想通り滞在中にひもとく間もなく、スーツケースの横のポケットに入れっぱなしになっていた。

そうこうしているうちに2週間の滞在を終え、いよいよ New York に戻ってくる日がやってきた。成田空港で荷物を預ける段になり、ポケットに入っている文庫本のことを思い出し、機内持ち込みの荷物に滑り込ませたのだった。
チェックインのあと、搭乗までほとんど時間がなかったのでそのまま出発ゲートまで歩き続けることになり、搭乗もほどなくして始まった。
僕が載った JFK 空港行きのフライトは夕方6時発のため、成田を飛び立って割と早い時間に夕食が配られた。
夕食の後、僕は連日出歩いていた疲れからかすっかり眠り込んでしまい、5~6時間後に配られた夜食も逃してしまったらしい。らしい、というのは目が覚めたのがたまたまその夜食を片付けにきたフライトアテンダントの気配を感じたからだったのである。
よほど深く眠っていたのだろう、ついさっき夕食を食べたような錯覚を覚えたので夜食を食べたいという食欲は全くなかったが、その一方で、もうこのあと再び眠りにつくことも出来なくなってしまっていた。
手許のリモートコントロールを使って機内放送の映画を適当にブラウズするのだが、どれも始まってしばらく経つようで途中から見てもあまり面白くない。
そうこうしているうちにあたりを見渡すと、起きているのは僕ぐらいで機内はすっかり真っ暗になってしまった。フライトアテンダントも仮眠に入ったようで機内はしんと静まりかえっている。本当はジェットエンジンの音が聞こえてくるのだが、話し声が聞こえないと不思議と静寂に包まれているかのようだ。

すっかり手持ち無沙汰になってしまったので持ってきた文庫本でも読もうと、隣の人を起こしやしないかとおそるおそる頭上の室内灯を点けた。
二冊購入したうちのたまたま手に取ったのが 「 ヴェネツィアの宿 」 だったのだが、冒頭の章を読み始めたばかりのところで、すぐにその手を休め、本をトレイの上に置くこととなる。

それは著者が夕食の後、宿泊する予定のヴェネツィアのホテルに向かって迷うようにして路地を歩いているくだりである。
なんとか見つけたホテルの前の広場にはたまたまオペラ劇場があり、その劇場が場内に入れない人のためにスピーカーで舞台の音を野外に中継している場面に出くわしたのだった。


「 ヴェネツィアの宿 」 ~須賀敦子著 より一部抜粋
あ、中世とつながっている。そう思ったとたん、自分を、いきなり大波に舵を攫われた小舟のように感じたのだった。ここにある西洋の過去にもつながらず、故国の現在にも受け入れられていない自分は、いったい、どこを目指していけばよいのか。二つの国、二つの言葉の谷間にはさまってもがいていたあのころは、どこを向いても厚い壁ばかりのようで、ただ、からだをちぢこませて、時の過ぎるのを待つことしかできないでいた。


インターネットやテレビで日本の情報も New York にいながらにして手に入れることが出来る。そうやって自分はいつも日本とつながっていた様な気がしたが、こうやって実際に日本の地を踏んでみると、自分と日本をつないでいたものが細くなってきていることに気づく。
そして自分は New York に行くのか、それとも帰っていくのか・・・。
そんなことを滞在中ずっと感じていたものだから、彼女のエッセイを読んでこの箇所にぶつかったところで、つい自分の置かれた状況を考えてしまったのである。


奇しくも2006年の10月で僕のアメリカ生活も10年目を迎えることになった。
1997年の10月、僕は今日と同じようにこうやって成田空港から一人で飛行機に乗り、New York にやってきたのだ。

そのときに感じた移住に対する不安はもう無くなったけれど、そのかわり故国にもアメリカにも属することができない自分がいるような不安がつとまとう。
不思議なことに、その不安を須賀敦子氏もかつて感じていたのかと思うとなぜかほっとするのだった。




すっかり寝静まった機内。
夕食のあと、「 シェードを下ろしてください 」 とフライトアテンダントに言われて閉めたシェードをちょっとつまんで上に上げると、そこには見たこともないくらいたくさんの星が天空に広がっていた。
周りの人は静かに寝息をたてて寝ている。自分だけが起きているこの状況がまるで須賀敦子氏が書いた、「 どこにも受け入れられていない自分 」 を象徴しているのではないかと、さっきまでは感じていた。

けれども一人で起きていたからこそ、この満天の星を見ることが出来たのかもしれない、と思うとこれがどことなく象徴的な気がしてくるのだった。ちょっとばかり周りの人と異なる時間と空間を過ごしいても、それは決して悪いことではない、と。




これまでの10年がそうだったように、この次の10年もまんざら悪いものではないのかもしれない。
きっとそのときも故国と異国を彷徨いながら。


今回、約二週間という短い日程で日本を訪れた。
この時期日本に帰った一番の理由は、以前からこのブログでお知らせしていた麻布十番での写真展開催に合わせるためであったが、前回の帰国から3年近くが経ち、こんな風になにか理由付けしないとますます帰国しない癖が付いてしまいそうで、それではいかん、と重い腰をあげて帰国したのだった。


成田空港に着いたその足で麻布十番に向かい、ギャラリーカフェのスタッフにまずはお礼の挨拶。
続いて壁に張り出されている写真をまじまじと見る。実際僕がプリントされた写真を見たのはこのときが初めてだったのである。今回は企画・準備、そして展示まで全て日本サイドで行われ、たくさんの友人たちが智恵を絞って実現にこぎ着けてくれた。
その中でこのギャラリーカフェの雰囲気を生かせるような写真を、という企画が持ち上がりそこであの横4メートル、高さ1メートルを超える一枚の大きな写真を飾ることになったのである。
「 残念ながら会場に足を運べなかったので、写真をウェブ上で公開していただけませんか? 」 というメールをいくつか貰ったが、残念ながらこれは会場で見ていただくしか無いと思っている。何にもこのギャラリーカフェに特別にあつらえたかのように収まっていたた ( マウントされていた ) ため、この写真はここで見るのが一番似合っていた、といえるかもしれない。そう考えるとこれを準備してくれたスタッフの苦労のほどが窺えるというものである。


ここでは昨年劇場パンフレットの作成でお世話になったライターのアキエダさん ( アキエダさんの本はアマゾンでもお買い求めできます ) と初めて顔合わせとなり、それを聞きつけた友人たちも同席したいと、あっという間に10人近い人たちが集まってくれた。この中には名古屋から駆けつけてくれた C-kun も含まれる。


続けてさらに大人数での集まりが赤坂見附で準備されていて、New York から着いた疲れも一緒に引きずるようにして地下鉄に乗る。ここでも New York であった友人、そして写真の仲間が駆けつけてあっというまに20人になった ( 超えていた? )。

結局実家にたどり着いたのは深夜になっており、両親にも呆れられたが呆れられてばかりもいられない。翌朝一番で新幹線に乗って京都に行くのである。

実は3年前と同じコースなのだが、京都・大阪・広島と近畿圏をまわることになっていた。僕一人の帰国だとこんな風に全く同じコースをまわることなどしなかっただろうが、今回も New York から友達を連れて行ったため短期間で行けるこのコースになってしまうのだった。
けれども結果的には、京都や大阪でも友人たちと会うことができ、東京で過ごした最初の夜同様、各地で手厚くもてなして貰った。。

東京に戻ると今度は新幹線からそのまま写真展に直行して、クロージングパーティ。こちらにもたくさんの人が駆けつけてくれ、新幹線の長旅による疲れなど、すっかり吹き飛んでしまった。

その後はずっと東京で過ごしたのだが、その間も写真仲間の osampo_hana さんには半日ストリートスナップを案内していただいたり、またアメリカに戻る前日にも写真仲間のできあでひさん、honeyさん、muroさん、yayoiさん、YENさん、いいじまちゃん、さすけさん、i-takashiさん、ZEROさんというそうそうたるメンバーが集い、全員で東京写真美術館で展示されている 「 HASHI 展 」 を見に行くことができた。これだけの人数で行動するとかなり目立つメンバーであったが、その後ビアホールで乾杯、楽しい会話はいつまでも続いた。
( デジカメウォッチで期せずして同時期にこの写真展の記事がアップされていたので、それも紹介しておこう。→ http://dc.watch.impress.co.jp/cda/exib/2006/10/02/4755.html )


この日はこれだけに止まらず、僕は帰国前日だというのに恵比寿のビアホールから続いて月島もんじゃに向かった。
こちらではフォトグラファの岡嶋さんが友人でフォトグラファの土屋さんに引き合わせたいと、その席を設けてくれたのだ。こちらにもインプレスの水島さん、それにカメラメーカーの田中さん ( トンボの田中さん、と紹介した方が通りがよいかもしれない )、それに旧友のさおりさんという楽しいメンバーが集まり、気がつけば時刻は深夜におよび、あわてて帰宅する羽目になったのだが、帰宅は日付が変わって帰国当日へと突入していた ( 笑 )。


・・・ととにかく各地を風の様に駆け抜け、たくさんの人たちが僕の無茶なスケジュールに合わせて時間を作ってくれた。今回日本で会った友人の数は、のべにして100人近くになっていたと思う。

ちょっと不思議な感覚を覚えたのは、僕がこれまで会った New York ではたいてい個別で友人と会っていたのに対し、今回は複数の集まりにそれぞれ20人とか30人といった大きな人数が集まり、一堂に会していることである。
「ああ、この人とはこんなところに行ったな 」 とか 「 こんなことを話したっけ 」 という思い出が一度に集まった人たちの顔から一気によみがえるのはさすがにインパクトが大きい。

これはまるで紅白歌合戦のようで、僕には豪華キャストの友達が集まってくれた、そんな感覚を覚えたのだった。

本来ならば一人ずつお礼を言わねばならぬところ、それもなかなかかなわないので非礼を承知でこの場を借りてお礼を申し上げます。みなさん、お忙しいところどうもありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願いします。

ところでこの時期に日本に帰ったのはなんと10年ぶりなのである。9月中旬とはいえ、まだまだ残暑の厳しい頃、僕の中ではまだ日本は夏の終わり、という印象があった。
New York の夏も気温があがるときはあがるし、湿度が高い日もある。それでも東京にいたときよりは過ごしやすい、と思いこんで、日本の夏を敬遠してこれまでしばらく夏に帰国することを意図的に避けてきた。
今回も覚悟しての帰国だったのだが、成田空港に着いて拍子抜けしてしまった。気温は New York よりわずかに高いものの、湿度はそれほど高くはなく、不快と感ずるほどではなかったのである。
結局2週間の滞在中、ムシムシするような高湿度の日は一度もなく、朝夕は却って冷え込むような日々が続いた。
周りのに人に 「 New York の気候と比べてどうですか? 」 と何度か尋ねられたのだが、「 湿度が低くて過ごしやすいですね。日本の残暑ってこんな感じでしたっけ? 」 と答えるとどうやら僕が日本に帰ったあたりからこんな気候になった、という話を聞いた。
どうやら僕が持っていた日本の夏に対する印象は間違っていなかったようだ。がたまたまこの時期過ごしやすい気候だったのだろう。


2006年の僕の夏の終わりは New York では無く、こうして東京で迎えることとなった。

カレンダー

<  2006年10月  >
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

このアーカイブについて

このページには、2006年10月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2006年9月です。

次のアーカイブは2006年11月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

月別 アーカイブ

OpenID対応しています OpenIDについて
Powered by Movable Type 4.21-ja