May Day

4月月末から5月の頭といったこの時期は決まって忙しくなる。
日本に住んでもいないのに、なぜかワクワクしてしまうのは、ゴールデンウィークのせいなのである。
こんな大型連休、アメリカはもちろん無くて、New York で一番気持ちの良いこの季節に普段と変わら時間が流れている。
なのに身辺が騒がしいのは、日本から沢山の知人が New York に上陸されるからである。
僕が日本に行ってもなかなか会えない知人と一年ぶりに New York で会う、なんてことが珍しくないのだ。
友達も貴重な時間とお金をかけて来ているので、食事の誘いを受けたときはできるだけお会いするようにしている。
そのため先週から今週にかけて、食生活だけ見るとリッチである。中国料理、ギリシア料理、メキシコ料理、イタリア料理、フランス料理・・と普段ならこんなに一度にしない外食ばかりである (笑)。
僕にとっては5月というと、『 各国料理外食週間 』 なのだが、世間ではそんな甘い気持ちでいられない人もいる。
大学を卒業して、初めての就職。この頃はバブルが始まったころで就職も売り手市場と言われた時期でもある。会社に組合はあったものの、すでに労働と会社という対立など無い世の中で、記録映像なんかで見たヘルメットにマスクして闘う労働者という姿は、どこか遠い国の出来事のように思えて仕方なかった。
その後バブル景気は弾けたが、僕はすでにアメリカで働いていたので暗い世相というのをあまり見てこなかった。
なので強い印象を持っているわけではないはずのメーデーなのに、テレビのニュースなどで 「 May Day 」 と言う単語を耳にするとのぼりにハンドスピーカーで演説をしているシーンを思い出す。
話はそれるが、カタカナで表記する外来語と、本来のアルファベットの綴りが持つイメージのギャップに、アメリカに来て肌で感じたものがいくつかある。
たとえばフィルムとFilmはあまり違和感がなく、テレビとTVもどちらも自然に受け止められる。ニューヨークと New York も割とそうだが、この「メーデー」と「 May Day 」 はどうもしっくり来ない。日本で新聞の見出しにでかでかとメーデーと印刷されているのを読んでも、May Day の綴りは頭に浮かんでこない。
その May Day だが、New York では移民の問題を考える日でもある。
それは不法滞在、不法労働がダブルスタンダードとして当たり前に受け入れられているほど、多いからである。
僕はできることならあくせく働かずに、楽して暮らしたいなどと思っていた。それも日本でもアメリカでも好きな方で働けるのに、恩恵を享受しているどころか怠けることを考えている。
でもここには一生懸命働きたい、合法的に働きたいと努力している人たちがゴマンといるところなんだ。
国の祝日でも何でもない May Day ( 5/1 )、デモ行進は仕事をしたその足で参加する人達も多かったようだ。