いつものように地下鉄に乗り、いつもの駅でどっと人が降り、そして僕はいつものように空いている椅子に腰掛ける。
せっかくのスペアタイム、本でも読んで有効に使おうと思いつつも、最近はもっぱら iPhone でビデオポッドキャストを視聴するのが習慣になっている。それではいかんなぁと思うのは、どうもインターネットやテレビだと、自分が受け身に徹してしまいすっかり考えることを忘れているのではないかと感ずるからである。
とはいえ、この日もいそいそとポケットからこの小生意気な携帯電話を取り出して、ニュースなんぞを見ていた。
番組 ( コンテンツ )と番組 ( コンテンツ ) の間でふと顔をあげると、すでに TImes Square を過ぎ、車内の座席はあちこち歯が抜けたかのように空席ができていた。
こんなとき、僕はよく人物観察を始めてしまう。ちょっとした暇をもてあましたときの遊びみたいなもので、もう癖になっているのかもしれない。特に電車の中やレストランなど、不特定多数の人がたまたま居合わせたようなところでの人物観察が多い。混雑した電車では立っている人に遮られて人の顔が見えないのと、立っている人はそもそも手足の動きが固定されていて癖などが出にくく、人物観察がしにくいというのもあるかもしれない(笑)。
僕はそのとき二人がけの座席の通路側に座っており、壁に接した隣は空席だった。僕の前もちょうど同じ二人がけの座席があり、僕と向かう会うようにして目の前には一人の白人女性が座っていた。
そしてその女性の隣に座っていたのは中肉中背の Latino で、身なりも特にこれといって特徴が無く、カジュアルなといった出で立ちであった。つまり僕のそのときの服と大して変わらない。ただ明らかに女性は隣の Latino より体の線が太く、それでもやせ形の Latino のおかげでゆったりと座っていられたように見えた。ところが突然その女性が立ち上がってこちらにやってきて僕の隣にどっかりと座り込んだのだ。僕はアメリカ人の平均よりは体が小さいほうだが、それでも前に座っている Latino より体格が大きい。自然と二人は少々窮屈な思いをしながら座ることになる。僕はそれまで空席だったのだからもちろんのことである。
余談だが、なんであんなに地下鉄の座席の幅は実態に基づいていないんだろうとよく悩んでしまう。New York の地下鉄はアメリカの地下鉄にありがちなプラスチックの座席なのだが、一人あたりの座る面積にくぼみが作られている。最近導入が進んでいる最新車両は日本の様にベンチシートとなっていて ( ただしこれもプラスチック ) 区切りのないフラットな作りになっているが、それでも旧型 ( でかつ現役 ) の車両は写真のように作られている。いったいアメリカ人の平均体型を計ってこの横幅で作られたのかはなはだ疑問である。
この女性はゆったり座っていたその席から窮屈になることがわかっていながら、席を移った。しかもたいていの人は端を好むのに、この人は反対の行動を取っている。
つまりあえて席を替わった理由が見つからないのだ。そこでつい何の理由なのか推理を始めてしまう。
考えられるのは、
・僕を風よけにしたかった
・(似たような理由で)隙間があると寒いので多少窮屈なぐらいの方がちょうど良い
・僕を正面から見たくなかった(笑)
・(似たような理由で) Latino の顔を正面から見たかった(笑)
答えはありきたりなところで落ち着いて、最後の二つかもしれない。
いずれにせよ他人にとってはどうでも良いことなのに、僕は朝からこんなことを考えたりして、頭の中を「???」でいっぱいにしているのだった。
そんな僕は端からどんな風に見えたことだろう。







