
2008年末、前日にチケットを手配して行ったキューバ。
現在、このブログではこのときの様子を紹介中。前半にちょっとした近況、続いてキューバに関する記事というスタイルで当面続けていく予定。
国際関連のニュースはここしばらくにぎやかだ。
明日はオバマ新大統領の就任式 ( inauguration ) が行われる予定で米国のメディアはその話題一色だし、ガザで紛争も、NYCの Hudson River に不時着した旅客機など世間の耳目を驚かす話題で溢れている。一方 New York は久しぶりの寒波と雪で凍えている。
そんな中キューバに関するニュースがひっそりと流れた。
http://www.asahi.com/international/update/0115/TKY200901150255.html
( いつまで以下のリンクが活きているかわからない )
このニュースのなかで、「 カストロ前議長を師と仰ぐベネズエラのチャベス大統領が11日、同国のテレビで「軍服をまとい、人々を抱擁しつつ通りを歩き回ったあのフィデルはもう戻らない。肉体的な生を超えて、永遠に生き続けるだろう」と意味深長な発言をしたことも、憶測に拍車をかけた。 ハバナからの情報では、市民の間に「容体が悪化したのではないか」とのうわさが広がっているという。 」 という部分があるが、僕がキューバに行きたいと強く思った事情はここにあった。
キューバ革命を率いた前議長のカリスマがあるからこそ、ある意味独裁政治を引くことができ、皮肉なことにそのおかげでキューバという国はとても安全で安定した状態を保っている。仕事は政府があてがうから、犯罪人になるわけにはいかないし、警察はいたるところで人々の言動をチェックしている。
また米国・キューバ双方ともお互いの国交断絶・経済封鎖とエスカレートするに従って、キューバという国はすっかり時代が止まってしまった。社会主義国だから広告もないし、もちろんネオンやLEDの看板なんてものもない。スペイン植民地時代から近代までの街並みで時代は止まっている。
写真に撮りたかったのはキューバがこれから迎えるだろう変革の前に、記録としてとどめておきたかったからだ。この話についてはまた別の機会に写真をまじえて紹介しようと思う。
ハバナ近郊にある、ホセ・マルティ国際空港の到着ロビーに着いて最初にやらなくてはいけないのが、両替である。
他の国と違ってキューバの通貨は現地でないと入手しにくく、また空港から首都ハバナの市街地まではタクシーに頼ることになるため、どうしても空港で現地の通貨が必要となるのだ。ハバナに来る前に立ち寄ったメキシコ・カンクン国際空港の両替所でもキューバペソの取り扱いをしていたのかもしれないが、出発前に聞いた話ではキューバに着いてからというのが一般的で、また空港の両替所は遅くまでやっていることだったので、僕自身はユーロと日本円を中心に持って行った。
他の国と違ってキューバでは空港であろうが市内であろうが両替のレートが一定である、ということも聞き知っていたので、よくありがちな観光地や空港での領外は交換レートが極端に悪いということもなかろうと、ここ空港で持って行ったユーロをすべて現地通貨に換金した。
ちなみに事前に準備をほとんどしてこなかった僕がこのことを知り得たのは、かつて NY に住み現在は東京に移り住んだ知人の S さんのおかげである。僕の周りでキューバに行ったことがある友人というのは限られており、彼女もその一人だったので少しでも情報が欲しくて助けを仰いだのだった。
それとカンクンからハバナに向かう1時間という短いフライトのおり、たまたま隣に座ったキューバ人男性も親切に教えてくれた。キューバで生まれたこの男性は、現在メキシコに住んでおり、一年に一度ほど帰郷するのだとか。もちろん僕はスペイン語で十分な会話なぞできないのだが、彼が英語が話せるということが幸いした。
ぱっと見渡したところ到着ロビーには二カ所の両替所があり、深夜にも関わらず旅行客が長い列をなしていた。それでもその行列をさばく人 ( dispatcher ) がいたのには感心したし、取り扱っている外貨の数も多く、冷たく愛想のないサービスを覚悟していただけに少し拍子抜けした。
ちなみに取り扱い外貨の中には日本円のシンボルもあったが、僕が到着した日はレートが書かれるはずのプレートが取り外されていたので、円は売り切れていたのか、一時的に取り扱いをやめていたのかもしれない。カンクンにある旅行会社のエージェントによれば、「 ドルもユーロも下がっているので、一番レートがよいのは Japanese Yen ですよ。」 と聞いて持ってきた円だが、
両替を済ませ、あたりを見渡す余裕も十分にできた。どこの国際空港でも見られるように、到着したばかりの客、出迎えの家族、それにタクシー客を勧誘する人たちでロビーはごったがえしている。インフォメーションカウンターが中央にあり、驚くことに深夜にもかかわらず女性が外国人旅行客の対応をしていたことである。アメリカの空港だったらとっくに店員が帰宅しているような時間である。僕はここでキューバ地図を一部 5 CUC で買った。 CUC という通貨についてはまた後に説明するとして、今にして思えば地図一部 5 CUC というのはかなり高額である。まあドルにすれば6ドルちょっとであるから、そのときはさして高価とは思わなかったのだが。
空港建物から出ると、最初に気づいたのが、「暗い」ということ。今までの僕の海外旅行ではまず最初にローカルを感じるのが気温や湿度、そしてその国の匂いといった順なのだが、キューバではまず最初に街が暗いというのが第一印象だった。
そもそもカンクンとハバナは時差が1時間しか違わず、直前まで同じ気候のところにいたわけだから体は抵抗を感じなかったのかもしれない。常夏の島とはいえ、12月のその日は特に涼しく、僕なんぞは家を出たときからきていたジャケットを一度も脱がずにキューバまで着いたのに、さして暑いとは思わなかったほどである。
その後わかったのだが、12月ともなると夜間は気温が落ち込むので、キューバといえども長袖の服を羽織る必要があるのだった。
タクシー乗り場の話に戻すと、ほの暗いライトのもと dispatcher に行き先を示した紙を手渡すと、「 ここで待っていろ 」 というような手振りを見せて、近くのタクシーを呼ぶ。両手の人差し指と中指を口に入れて、見事な指口笛を吹く。僕はこれがうまくできないので、いつも妙技だと思っているが、ここでは当たり前のように人々が使っている。
ところが実際にはこの dispatcher が何人かいるのか、それとも客引きか、とにかく車の横付けするこの長い乗り場でタクシーがあちこち止まっては客を拾っていく。ここまでくる前に乗客を拾ってしまうのだ。もしかするとしまいには僕の目の前にいた dispatcher が起こりだし大声で道に乗りだしてまで呼んでいる。なんだかここまでしてもらって悪い気がしてしまう。
外国人旅行客向けのこれらのタクシーにはきちんとメーターも着いているのだが、空港からの客にはメーターを使わないらしい。これは外国から帰ってくるキューバ人であってもタクシーを利用するときは同じ待遇なのだと後から聞いた。
当初僕の行き先に対し、「 25 CUC 」 と言われていたのだが、急遽 Dispatcher が 「 20 CUC でいいや 」 と言う。あれ、と思っているとどうやらもう一組の乗客と相乗りになるようで、白人の若いカップルも同じ車に乗るよう指示されていた。ハッチバック型の車の後部にスーツケースを載せ、必然的に僕は助手席に乗り込むことになる。
空港だからであろう、ここに来るタクシーはどれも新しく、数十年前の車が現役で走っているというキューバのイメージからだいぶずれている。僕ら一行が乗ったのはプジョー車だったが、このタイプは特に多いようだ。
僕らを乗せたタクシーが空港を出ていよいよキューバらしい風景が見えてくると、なんとも落ち着かない自分がいた。
年間を通して涼しい季節であるこの時期でも、特に涼しい日に着いたという話は上に紹介したが、もちろんタクシーもエアコンなど点けなくもと十分快適である。とはいえ締め切った車内に4人の大人というのもすぐに息がつまるようだ。案の定運転手自身、窓を全開にしたので僕も続けて窓を開ける。すると途端に車の窓から流れていく風景がより具体的なものとして目に入ってくるようになった。
途中運転手や後部座席に座っているカップルが話しかけてくるのだが、会話に答えながらも僕の目はずっと外の景色に奪われっぱなしだった。
スイスから来たというこのカップルは数週間ハバナに滞在するという。
( ヨーロッパからはどこを経由してキューバにやってくるのだろう ) と思いつつ ( ということは違う便で来たんだろう ) と考えていると、「 空港のバゲージクレームでは長く待ちましたか? 」 と聞かれた。そういえば時間のかかった入国審査のあと、さらにバゲージクレームで40分以上待ったことを思い出し、「 そうだ 」 と答えると、彼らはなんと2時間待って荷物が出てきたのだという。しかも最初の一つは20分ほど出てきたにもかかわらず、もう一つが出てくるまで2時間かかったのだという。ロストバゲージの扱いになって探していたんだろうか?、と聞くととどうもそうではなく他にもたくさんの人が周りで待っていたとのこと。荷物検査にそれだけ時間がかかったということなのだろうか。いずれにせよ、彼らの話を聞いた後では、僕の40分というのはラッキーだったんだと思えるようになってきたから不思議だ。
途中、「 ごめんごめん、給油しないといけないので寄り道します 」 とひたすら誤りながら運転手が高速を降りる。僕なんぞ旅行客がなかなか利用しないガソリンスタンドまで見せてもらえてラッキーと内心思いながら、あたりを観察させてもらうことにした。これまた驚くことに24時間営業と書かれたガソリンスタンドがあった。日本やアメリカで見られる、照明が敷地の隅々まで照らしている明るいガソリンスタンドとは大違いで、蛍光灯一本であたりを照らしているような、うす暗いスタンドだった。日本でいえばひなびた温泉旅館の前に蛍光灯一本の看板があったりするが、あれと似たような風景である。
ガソリンを入れ終えフリーウェアに戻る道すがら、車は小さな町の中を数ブロック通り抜けた。そこには日本にもある団地とほとんどそっくりな5階建ての集合住宅があり、道は舗装されているとは言い難いがまあ何とか徐行できるぐらいには整備されている。ところがあちこちに大きな穴があいており、運転手は器用にそれらを迂回していた。
すでに日付は変わっていたので、町の明かりがそれほど見えないのも就眠のせいかと思ったのだが、意外にも人が何人か歩いている。街灯と街灯の間隔は長く、道を明るく照らしているとは言い難い。しかも家々からの照明もほとんどないのでちょっと薄気味悪いくらいだが、でも考えてみるとそれだけここは安全だということなのだ。薄気味悪いと感じるのは自分が夜でも明るい照明のあるという環境に慣れ親しんでしまったせいであり、それでも犯罪が多いのだから先進国とはいったい何なんだろう、と後から気がついた。
そういえばホテル街がまばゆいカンクンの街を飛びだち、キューバが眼下に見えてきたともこの国は暗かった。通常夜のフライトでは、地上の光で街の形や人の営みを見ることができる。それは車のヘッドライトだったり、家の照明で、空からでも道や街の形が見えるというものである。
ところがキューバの時はハバナに近づくまでほとんどそれが見えなかった。
僕が米国から日本に行くと、照明が目に痛いほどまばゆい国だと感じるのだが、ならば日本から直接キューバに行った場合は特にこの暗さが際だつのではないか。
目が慣れれば決して不快ではないこの暗さ。思えば東京だって僕が子供のころは、似たような風景が広がっていた。深夜までやっているコンビニエンスストアなんてなかったから、夜になれば商店会はそれなりに暗くなっていたし、なんといったって蛍光灯自体が暗かった。松下が明るい蛍光灯を発売し、それがいかに明るかったのかを覚えているほどである。
そう考えるとキューバの夜の姿は不気味でもなんでもなく、むしろ懐かしい風景にすら見えてくる。
それにしてもキューバ人タクシードライバーはよく飛ばす。市街地に向けて深夜のフリーウェイを走る様はまさに疾走である。スピード違反で捕まらないのだろうかと逆にこちらが心配になった。
そしてやっとハバナ市街に入り、まずは僕の宿に着いた。スイス人カップルとはここで別れ、お互い旅の安全を祈る。
いよいよ明日からハバナの街を歩く。

写真が友人のものとそっくりでびっくり。
こういう雰囲気が多いのでしょうか?
昼間は明るいけど夜は暗いよ~っていう話もおんなじ(笑)
いやあ~行ってみたくなりました。
Pompokoさん、
> こういう雰囲気が多いのでしょうか?
夜間の街の様子はどこもこんな感じでした。とはいえ今回は首都だけだったので、他の都市だと事情が異なるかもしれません。
> 昼間は明るいけど夜は暗いよ~っていう話もおんなじ(笑)
もともとオイルなど主要なリソースを海外に頼っていたので、電力が不足していたということはあったようです。が昨今はベネズエラが支援しているおかげで電力に関しては安定供給されるようになったとか。
日本の夜が明るくなったのはこの数十年の間ですよね。僕が子供の時、田舎に住む親戚の家で一夏過ごしたときなど、外はおろか家の中ですら暗いのにとまどいましたが、子供はすぐに慣れるもんですよね。満天の星空など暗いからこそ見られるものもあるんですよね。
> いやあ~行ってみたくなりました。
再び行きたい、と思わせるところでした。次はいつ行けるかな。
ええっと・・歳が分かるけど二十数年前にソビエトに行きました。
(ロシアじゃない・・しかもペレストロイカも始まっていない(^_^;)
暗かったですね、夜。
でも、不思議な活気がありました。
深夜の公園に若者の笑い声が聞こえたりとか。
夏を謳歌している雰囲気。
キューバはどうなんだろう?
経済封鎖がされて苦しいだろうけど、人々の生活感覚みたいなのに興味があります。
mz-dさん、こんにちは。
> ええっと・・歳が分かるけど二十数年前にソビエトに行きました。
思えば大戦はともかく、戦後の20世紀も大きな変化がありましたよね。ソビエト連邦、香港返還、東西ドイツ統一など国が変わるような変化がありました。
キューバもそんな気配を感じます。
深夜の公園に若い人たちが集う・・・これは今のキューバでも全く同じシーンが見られました。主立った娯楽がなく、あってもお金がないので、一般の人にはあまり縁がないようです。その一方でお金のかからない楽しみ方を工夫したりする物ですよね。だから音楽とか踊りなど芸術の面で昇華しているのかもしれません。
ただ物が不足するような貧しさはもうなく、特に食べ物は路上のあちこちで売っていました。サトウキビのジュースなんてものすごくおいしかったです。そんな話もおいおい紹介していきますね。