※公開時に画像を貼り付けるのを忘れてました。
※ A man with popcorn
このところ映画館で映画を見ていないなぁと思っていたところにちょうど New York 在住の友達からとある映画の試写会に招待された。
確かに今は自宅でも DVD やケーブルテレビで気軽に映画を見られるようになったけれど、映画館で鑑賞する映画というのは感情移入という意味で格段の違いがある。
テレビは途中にコマーシャルが入る上、自宅だとつい散漫になり集中できないといったこともあるのだろう。一方映画館で見る場合、共感できる場面ではその感情移入も度合いが大きい。逆に共感できない場合、却ってテレビで見ている以上に白けてしまう。きっとテレビや DVD はつまらなければ途中で見るのを止めてしまうことができるのに対し、途中で退席しない限り映画は最後まで見ることになるからであろう。だから見終わった後、その映画について一緒に見に行った友達と感想を話し合ったり、一人で反復してみたりするのだろう。
今回招待されて見に行った映画というのは、日本制作の 「 トウキョウソナタ 」 である。
試写会には抽選に当たって見に来た人と、僕のように招待されて見に行った人がいるのだが、後者は New York 在住の日本人ブロガーたちと聞いた。つまりこの映画の鑑賞後、その感想がブログに書かれることで評判を口コミで広げていきたいという興業側のマーケティングなのだろう。
そういったことから、試写を見た手前この New York Watch でも取り上げないわけには行かないのだが、もともと僕は物事を斜めに見るような性格なので、提灯記事を書くことなく、今回もなるべく bias がかかった内容にはならないように書こう。
ちなみにこの映画の案内をもらうまで、ほとんど内容を知らなかった。確か小泉今日子が久しぶりに出た映画があるとは耳にしていたのだが、それがこの映画だとすら知らなかった次第。
すでに日本では公開されているというので、あらすじや評判を見ることもできたのだが、せっかくなので何の先入観も持たずに見ることにした。
ただ意外だったのは、今回日本に帰ってきてこの映画のことを尋ねると僕の周りではほとんどの人が 「 見たことが無い 」 と口にすることだった。日本ではひっそり公開されたのだろうか。
試写会が行われたのは East Village にある由緒ある映画館。座席指定ではないから、開演の30分前には来てね、と言われていたのだが、仕事でその近くにいたこともあってだいぶ早く着いてしまった。それでも入場を待つ行列ができており、僕も素直にそれに並んだ。
途中ブロガーは特別招待ということでこの行列から抜け出し、先行入場することができたのだがそのときに撮った写真が上のものである。
上映に先立って英語と日本語で今回の鑑賞会に関する簡単な案内があり、映画は粛々と始まった。
ストーリーについてはあらためてここで書くことも無いが、仕事を失った一家の主の話から物語はスタートする。
この映画が日本で公開されたのが昨年の5月というから、その撮影期間を考慮すると今の社会状況をまるで的確に占っているようだ。ボランティアのグループがホームレスとなった人たちに食事の配給を世話しているシーンなどがあるが、これは日本だけではなくアメリカでももはや同じ状況である故、妙な親近感すら覚える。
僕自身、ちょうどこの映画を見ていたときに転職活動をしていたこともあり、長いことアメリカに住んだ結果多少物事のとらえ方に違いがあるにせよ、日本で生まれ育った僕には日本人的な性格描写も理解でき、加えてアメリカだったらどうするだろうと何度か反駁しながら見ることができた。
それはたとえば香川照之演じる一家の主がレイオフになるとき、彼は半ば自分から辞めたこと。そして会社を辞めて失業となったことを家族はおろか、妻 ( 小泉今日子 ) にも伝えないこと。おそらくアメリカであれば、会社や自分のことを首にした上司に対する不満を妻にはぶちまけるのではないだろうか。
話は進むうちに非日常的な世界になっていくので、自分自身を重ねるというよりは淡々と進む物語を第三者的に眺めていくこととなったが、それでもこの映画を日本人として見るのと、アメリカの社会ではどう市民の目に映るだろうかという観点で見ることができたのは、ある意味僕らだからこそできたのかもしれない。
ただこの映画をアメリカで公開する以上、いくつか気になった点はあった。
父が子供の胸ぐらをつかんだり、頭を殴打するシーンが出てくるのだが、アメリカではまずこれは家庭内暴力と取り扱われるだろう。それ故、この件に触れずに物語りが進むことに多少違和感を感じるのではないだろうか。階段から落ちて病院に行くシーンもあるが、病院はその件について調査もしない。見に来る人はこれが日本映画だから、ということはわかっているだろうが、この点は少々引っかかった。
この映画を作品として見た場合、理解しがたい部分がところどころにあり、感情移入は難しかった。が今この社会事情を照らしてみると、興味深いテーマ故この映画のあちこちのシーンに何か感ずるところがあるのも事実だ。同じ立場に立った人が見た場合、そしてこれから社会を支えていく世代が見た場合、それぞれ受け止め方は異なるだろう。だがこの家族がお互いをまた意識して一つになれそうになったのはいくつもの不幸が重なったからではあり、虚構の上に成り立った社会や家庭を壊すことの意味を誰しもが感ずるのでは無かろうか。
はたして世界経済はかつてのように華々しく復興し、人々に再びバブルの夢を見せるのだろうか。それともこの映画が 「 今 」 を占ったように、もしかするともっとひどい将来を語っているのだろうか。伏線として取り上げられた戦争も昨今のきな臭い状況を見るとまんざら泡沫とは思えない。
そのことは僕にもわからないし、この映画は解を与えてくれるわけではない。むしろ見終わってもやもやっとした気持ちになるかもしれない。希望でもなく悲嘆でもなくただ淡々と。それがこの映画の伝えたかったメッセージなのかもしれない。

ひろゆきさんの感想を読んで久しぶりに日本人が作った映画も観たくなりました。しかし日本の映画館で観ることの苦痛というか耐えられないのは日本の俳優は声のトーンが高すぎる故にキンキンした音声に耐えられないのです。ホームシアターの楽しみの一つには好きなシーンを繰り返しみたり止めたりできる他にも、画質や音質を自分好みに調整できる点があります。2時間以上の映画を耐えられない音声で聞くのは我慢できないので、やはり自分はDVDを借りて観ます。
Eddieさん、
僕も邦画は久しぶりです・・・といっても先日日本に帰ったときに行き帰りのフライトで結構見てしまいました。
JALだったので邦画が多かったんでしょうね。「怪人二十面相」とか「262生存者あり」、なぜか今頃「たそがれ清兵衛」までやっていて今回は邦画三昧だったかも。
飛行中の機内だったので音声については聞き取れるかどうかってとこで、今回はトーンまで文句を言えない状況でした。確かに自宅では好みの音質に替えることができますよね。
そうそう、最近はEddieさんのブログもよく拝見しています。