
Berry は Berry でも食べられる方じゃなくて、BlackBerry だが。Fire Island での一こま。
去りゆく2009年の夏へ。

Berry は Berry でも食べられる方じゃなくて、BlackBerry だが。Fire Island での一こま。
去りゆく2009年の夏へ。

ふと立ち止まり、あたりを見渡してみる。
そしてまた再び歩き出す。
僕らはいつも Direction を選んでいる。それが小さな一歩でも。

8月もいよいよ後半に入り、日を追うごとに過ごしやすい気温になっていることを肌で感じている。
思えば今夏は雨ばかりで、かんかん照りといえるような日は数えるほどだった。
ここ数日はまた雨が降り続いたこともあり、最近はまっているバイク ( 自転車のことね ) にも乗れず、ここでブログに載せている写真について書いてみることにした。
米国のごく一般的な家庭でも写真や絵がインテリアの一部として積極的に用いられている。
例えばリビングルームでは、写真はアクセントとして重要なポジションにあるのだが、それゆえ写真に求められているものがその作品のテーマのみならず、他の家具やアートワークとどう関わるかということもポイントの一つになっている。
ときにインテリアの一部として飾られるもののなかには、写真それ単体で見るとテーマが不明瞭なものでも、インテリアの一部としてそのテーマの一環を担っており、その上で全体のテーマが見えてくるということもあるわけだ。
だからテーマが写真一枚の中で完結している作品性の高いものは、却ってインテリアとして使用するのが難しいということもあるのだろう。
それだけメッセージ性の高い写真作品だったら、それこそそれに合わせて家具をそろえねばならないかもしれないし、さらには広さや建物の造形まで要求されるかもしれない。
そんなことを考えて撮った写真などあまりなかったのにもかかわらず、インテリアとして僕の写真を選んでもらうこともあり、最近とみに写真とインテリアの関わりなど興味がでできて、いろいろと勉強しているところなのだ ( それでもなかなか手が出せないでいるのがファインアートの分野であるが )。
かつては同じ色や同じ形の家具を揃えるインテリアデザインが流行ったこともあったが、さすがにそういった matchy matchy なものは昨今人気がないようだ。その代わり部屋の配置とそのフローを考える中で、色やオブジェクトの形、それに素材の一部だけを少しずつ流用することで全体がばらばらになってしまわないような微妙な一体感を感じさせるデザインが多く見られる。
そこでちょっとした遊び心で過去数回のブログの写真にそのエッセンスを混ぜてみた。
写真そのものはテーマとしてはなんの関連性も無い。まさにランダムショットである。そこに写っているものだけで写真がつながっている。
『夏が来た』から、プロローグ・雨
『一雨降って』から、雨・二つのゴミ箱
『白い自転車、佇む』から、自転車・二つの車輪
『しばし休息』から、自転車・二つの顔・壁画
『その角を曲がったら』から、双子・壁画・自転車・眼鏡
『壁の一部になっても』から、二人・グラフィティ
単純にエレメントの一部を流用することで少しだけフローを表してみたのだが、感じてもらえた人がいなかったとすれば狙いは失敗したか、僕の写真に力が欠けていたかのどちらかであろう。
いずれにせよ、考えは簡単でもそれに合わせて写真を撮ってくるのは難しい。
こんなんじゃファインアートなんてまだまだ(笑)

沖縄から New York にしばらく滞在していた写真家の友人と街のスナップを撮りながら Lower East Side を北上していたときのこと。
Houston Street でこんな風景に出くわした。
壁一面を使って描かれた Graffiti、いや Mural である。
New York では決してグラフィティや Mural は珍しくない。むしろかつての地下鉄の全面がグラフィティで蔽われていた時代があったほど、New York はグラフィティに馴染みが深いと言っても良いだろう。
幸か不幸か、行政の努力でそういったグラフィティは一掃され、見事というような「作品」はそうあちこちには見られない。
そんなところにこの Mural に出くわしたのだから、おおっと驚いた次第である。
一目で時間をかけて描いていることがわかるように、ゲリラ的にただ描いている訳ではない。
Mural を描いている場面に出くわしたことがあるが、それにしてもこの絵はずば抜けて完成度が高い。
Ladder に乗ってちょうどそれまで描いていたアーチストとおぼしき人が降りてきた。
それ彼に写真を撮っても良いかと尋ねると二つ返事で快諾。
するともう一人少し離れたところにあったもう一本のはしごの上にいたもう一人の男の人に声をかけて、降りてこいと言っている。
どうやら一緒に写真を撮ろうと言っているようなのだが、この時点で英語ではない言葉で話していた。
二人で共同製作なのかな、と思ってもう一人の人の顔を見てびっくり、そっくりなのだ。どうやら双子でアーチストのようだ。
写真を撮らせてもらったお礼をいいながら、先ほどの言葉が気になって、あれはどこの言葉ですか? と尋ねると、僕らはブラジルから来たんだ、と言う。
なるほどポルトガル語であったか、とひとりごちるが、それより気になったのはこの作品である。
この時点でもう一週間かかったんだと話していたが、あまり製作の邪魔をしてはまずいと話を切り上げることにした。これだけの作品を作っている二人組だからきっと何か活動しているに違いないと思い、最後にホームページか何か案内のようなものはありますか、と尋ねると一枚のコピーをくれた。
挨拶代わりに 「 どこかで ( お二人の ) 作品を見た記憶があるのだけれど・・・もしかして有名な方では? 」 と言うと、「 Maybe 」 と言ってニヤリとした。
家に帰ってインターネットで検索してみると、果たして二人の名前が出てきた。
しかも Wikipedia にまで二人のことを記述したページが存在するのである。
ふむふむと先ほどの双子の顔を思い浮かべながら、過去の経歴や作品を見るのだが、僕の記憶にあるデザインは実はまだ見つかっていない。
そう思うと初めて見たのに初めてと感じないような不思議な作品なのかもしれない。
奇しくも彼らの制作は、New York でもっとも有名なアーチスト、キース・ヘリングの生誕50周年イベントの一環としてここで二作目として選ばれた選ばれた故のものであった。
ちなみに一年前に別の場所でプロジェクト一作目が公開されている。これがキース・ヘリングがここで1982年に描いたものを再現したものであった。
そういえば、すぐに完成するからまたそのときに見て来てくれ、と言われたことを思い出した。New York Times だったかどこかのメディアで彼らの作品が完成したと聞いた。
近いうちにまた、突然出会うようにこの作品を見に行けたらなぁと思っている。もう一度あの驚きを完成品で感じてみたい、というのは少々欲張りだろうか。

※ OS GEMEOS の二人組

( ・・・いや、このブログがと言うわけではないのでご心配なく。
こちらはマイペースでやって行きますから。)
残暑見舞い申し上げます。
New York では夏と言えるのは泣いても笑ってもあと一ヶ月。
久しぶりに蒸し暑い日がやってきた。
不快なんだけど、夏はやっぱりこれじゃなきゃと思う。
写真を撮り歩いては日陰で一休み。
水を口にふくんで、汗を拭いたらまた歩き出す。