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カテゴリー [ LIFE in NY ]

2007年02月28日

地下鉄はコンサートホール

僕が大学生だったころ、CD と言う代物が一気に広まったのを覚えている。
出たてのころは 「 アナログレコード派 」 か 「 CD 派 」 で議論を二分したものだった。
コストもさることながら、利便性もあって、議論も吹き飛ぶ早さで CD は普及した。アナログレコードに比べて傷がつきにくいということもあるし、アナログレコードは針を落とすときのあの緊張がイヤだった、と言う人もいてそういう人たちには CD は容易に受け入れられた ( もちろんアナログは針を落とすときのあの感覚がいいのだろうけれど )。

その CD の売り上げがここ何年も下がっているという。次世代の音楽メディアと呼ばれた CD がもう衰退を始めているのである。
その原因はもちろん携帯音楽プレーヤーであり、インターネットであるがすでにメディアという形を持たないことが当たり前になってしまった。
話は書きたい本題から外れてしまうが、ついでだからもうちょっと書いておこう。
音楽に比べて容量の問題があるから技術の進化やコストが下がるまで時間はかかるが動画も一緒である。
かつてビデオテープのあとにいったんレーザーディスクなるものがあった。昨今は Blu-ray か HD-DVD でどちらが次世代メディアの雄となるかで熾烈な争いが行われており、メディアはそれを見て VHS と β のときになぞらえているが、本当ならばレーザーディスクかビデオディスク、というように比較するのが正しいのではないだろうか。どちらもビデオテープの後に出てきた次世代メディアのはずだったが、DVD が普及したあとではあっというまに市場から姿を消してしまった。
それくらいフォーマットの争いは無意味だし、フォーマットどころかメディアそのものに対する固執も意味がないのでなかろうか。
そして音楽が形を持たないメデイアに保存され、複写され、そしてインターネットを超えて飛んでいくように、動画もゲームも同じ道を歩んでいくのではないだろうか。
( 実際、PS3 でゲームや映画のトレーラーをダウンロードしてみたが、この機能があれば Blu-ray でゲームや映画を手元に保存しておく意味はあまりないと思う )

先日もテレビで gadget 関連の debate をやっているのを見ていて、「 Blu-ray と HD-DVD のどちらが普及するかという議論は短期的にはあっても、近い将来どちらも使われなくなるだろう 」 という発言をしている人がいたが、僕もそう思う。

話を音楽に戻すと、なるほど New York でも皆音楽を聴きながら何かしているように思える。さすがに対人サービスを提供する人たちは iPod のイヤホンをつけながら仕事をする・・ということはないが、それでも携帯電話の Bluetooth ヘッドセットをつけている人は多い。
近く Apple が iPhone を販売開始するので、そうなると iPhone が持つ iPod の機能を使って音楽を聴きながら仕事をしていたとしても、「 あ、電話を受けるためにつけているだけです 」 みたいな顔をしてヘッドセットを装着する輩が出てくることだろう (笑)。

カセットテープ時代のウォークマンに比べ格段に音が良くなった携帯音楽プレーヤーのおかげでどこでも本格的な音楽を聴くことはできるようになったが、それでも生の人間がのどを鳴らす歌や、楽器のつややかなリアルさにはかなわない。
たとえ地下鉄の轟音にかき消されるような劣悪なリスニング環境でも、地下鉄での演奏は未だに健在なのだ。

中には受け取る人にとってただの騒音ということもある。けれども次の電車が来る間までの、または次の駅に着くまでの一駅区間であっても、生の演奏はほっと心が和む。

技術の進化とライフスタイルの変化に伴ってこれからも音楽の聴き方はどんどん変わっていくだろう。今は携帯音楽プレーヤーとインターネットダウンロードだが、こちらはとことん技術が追求され続けることだろう。
その一方できっとこんな風に生の音楽というのは常に基本であり続けるだろう。


さて現代の忙しい社会の潤滑油、一服の清涼剤とも言える音楽だが、余裕がない都会だからこそこれだけ携帯音楽プレーヤーが復活してしまったとはいえまいか。
音楽を聴いていると自然と口ずさんだり、体を揺らしたり、しまいには踊り出したり・・・。さすがに混雑した電車の中ではそれは不可能である。それができない現代は音楽を昔ほど楽しめなくなってきているのではないだろうか。

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2006年12月19日

"F" word

午後、Midtown で用事を済ませ、地下鉄を待っていた時の事である。
僕が階段を下りると、利用しようとしていた地下鉄がちょうどホームを離れるところだった。夕方で本数が多いとは言え、ここは異なる地下鉄ラインが乗り入れるので交互にホームに入ってくるので、次の地下鉄がやってくるまでしばらくかかるだろう。
そう思って近くにあったベンチに腰掛けた。


( ところでこんな時、日本人だと 『 よっこらしょ 』 とか 『 どっこらしょ 』 などと口にするが、アメリカではなんて言うんだろう??? Whew かな )


座ってまもなく、左側に若い黒人の女性がやってきて僕に話しかけてきた。

僕の座った5人掛けのベンチの隣にもう一つの5人掛けベンチがあり、どうやらそこに座っていたらしいのだが、頭の中は別のことを考えていたらしく、その人がいたことに全然気がつかなかった。よく見るとその横には5歳くらいの女の子も座っている。二人の関係を想像するに、きっと親子なんだと思う。

「 あの・・・quarter を持っていませんか? あればこれと交換して欲しいんですけど 」 と言って、彼女は手の平にある5セント硬貨5枚を見せた。


彼女の言葉を聞いたとき、一瞬身構えてしまった。それは・・・・

道で出会うホームレスの人はよく、手に何枚かの小銭を持っていて、その小銭を見せながら 「 地下鉄に乗って○○までに帰るのにお金が足りないので小銭を恵んでくれないか 」 と言ってくる。
ちなみにたばこを吸っていると、今度は 「 たばこを一本分けてくれないか 」 というホームレスも多いし、意外なことにちゃんとした身なりの人でもたばこを分けてくれ、と話しかけてくるから不思議である。


話をこの女性に戻すと、僕自身が彼女の存在に気づいていなかったほどなので、一瞬、ホームレスかとこちらも身構えてしまったのだ。
けれども身なりはこぎれいだし、最初から5セントをちゃんと持っているので、ホームレスにはどう見ても見えない。

そんなことを一瞬の間に考えながらポケットにある財布を取り出して、小銭を確認し始めた。
「 なんで25セント持っているのに、なぜ quarter コインが必要なんだろう 」 と考えていたのを彼女も僕の表情から読み取ったらしい。すぐに 「 そこの公衆電話から電話をかけたくて 」 と言う。
東京の地下鉄と違って New York の地下鉄ではまだ携帯電話が使えるところが無いのである。

ああ、なるほどといいながら探してみると、一枚だけ quarter が見つかった。それを手渡すと、彼女が5セントを僕に渡そうとしたので、それぐらいならいいですよ、と断った。

彼女は済まなそうにありがとうと言って、その quarter を持って公衆電話に向かった。


公衆電話はちょうど二つのベンチの間にあって、否応なく会話の内容が聞こえてくる距離だが、僕はまた自分の考え事に没頭して、彼女がどんな人とどんな会話をしているのか、全く関知しなくなった。


ところがその彼女の会話にいやおうなく引きずり込まれることになったのは、先ほどのおとなしそうな物腰が一変して激昂しており、、電話口で curse しているのが耳に入ってきたからである。

それはもう、放送禁止用語ばかりでテレビならさながら 「 ピー 」 が入りそうな、Mother f*cker とか F*ck! とか A*shole など、ここでも書けない言葉が彼女の口から次から次へとぽんぽん出てくる。
どうやら相手は boyfriend か連れている子供の男親にあたる人の様で、とにかく子供の面倒のことでもめている。
それを横で見て ( 聞いて ) いる子供の方は、できたもので ( ? )、電話で興奮気味に話しているお母さんのことを普通のことのように見ている。

彼女が電話で使っている言葉はいわゆる"F" word なのだが、子供の前で使うなとかそういう問題の前に、先ほどの彼女のおどおどした態度からの変化を知っているだけに僕は度肝を抜かれた。


その後、どうやらかけている相手が電話を切ったらしく、「 He hung up on me! 」 と誰ともなく大きな声で、怒っている。きっとやり場のない怒りなのだろう。

愚痴を聞かされても困るので、とりあえず僕は聞こえてないふりをしていたけれど、そういうときに限ってやはり身近にいる人間に話しかけてくるものである。彼女もすぐに僕に話しかけてきたが、すぐに落ち着いてまた先ほどの大人しい声に戻った。

そして先ほどの5セントを見せて、「 悪いんだけどまた電話したいので quarter と交換してくれない? 」 と尋ねてきた。
これは偽りでもなく、本当にさっきのが最後の一枚だったので、それを伝えると今度は、ちょうどそのときに僕の横に座った白人の中年女性に同じ事を頼んでいた。
この中年女性も最初は首を横に振っていたが、彼女がお金を持っているのを見て、一枚の quarter を手渡していた。不思議な事に僕と同じでその5セントを中年女性も受け取らなかったのを見て、ただで恵むとなると抵抗があるけれど、25セントを逆にもらう立場になると、それくらいならいいや、という妙な心理が作用することに気がついて1人で苦笑してしまった。

そこまで見ていたところでちょうど待っていた地下鉄がホームに滑り込んできた。この後のドラマにもちょっと興味があったけれど、あくまでこれは他人の世界。そそくさと地下鉄に乗り込んだ。

いやぁ彼女の変貌ぶりにはびっくりした。


■リンク
"F" word
http://www.compfused.com/directlink/1028/

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2006年07月17日

Yellow Cab Story

このところ毎週の様に B&H ( Manhattan 内の大型カメラストア。 9th Ave / 34th Street ) に行って買い物をしているのだが、その話はさておきこの写真は店を出た直後に撮ったものである。

大きな買い物をした人が、自宅にその荷物を持ち帰るためにタクシーに乗り込もうとしている。一見したところ、なんてことはない、New York ではよく見かける風景なのだが・・・。


このとき僕は両手に大きな買い物袋を下げ、「 さてどうやって持ったら、歩きやすいだろうか 」 とジャグラーよろしく買い物袋を右に左にまわしていたところだった。
結局どうやってもうまく持ち歩けないことがわかり、仕方なく不格好な歩き方でいくしかないだろうと決めかけたころ、目の前に男性が1人タクシーを待っているのが見えた。
タクシーを待っているように見えた、と書いたが実はそれは正確ではない。後からタクシーに乗り込むのを見たので、「 ああこの人はタクシーを待っていたんだな 」 とわかったものの、このときはまだ道路に出て突っ立っている通行人ぐらいにしか見えなかった。
それは、ちょうどタクシーが来ない空白の時間だったからかもしれない。普段は黄色いタクシーがイヤというほど目の前を通り抜けるものだが、不思議なことに来ないときは全く来ないものなのだ。

するとそこにあとから3人のグループが現れた。この人達もちょうど B&H から出てきたばかりで、3人のうちの1人の男性は B&H で買ったと見られる液晶テレビの入った大きな箱を抱えていた。
このときの位置関係は、最初の男性が右に、そして3人組がその左側、僕は歩道にいて背後から彼らを見ていた。車の流れは右から左に流れているので、運転手はどちらが先に来ていたのか見えなくても、最初のタクシーが止まったのは右側にいた男性の前だったのは至極当然のことだった。


そのときちょっと面白いことが起きた。
それまでただ突っ立っていると思っていた人が、タクシーが見えたので手を挙げたのがこの3人組には、タクシーを横取りされた様に見えたのだろう。一抱えもあるような大きな箱を持っていた男性はもちろん前が見えず、そのことには気がついていなかったようだが、3人の中の1人の女性が僕にも聞こえるほど大きな金切り声を発し、乗り込もうとしていた男性の動きを制した。

「 私たちの方が先に待っているのよ。そのタクシーは私たちのものだわ! 」

この女性、その人が先に来ていたかどうかなんて知りもしないのにこうはっきりと断言したことに、僕は耳を疑ったが男性が仕方なさそうにして、「 わかったよ 」 みたいなジェスチャーをして車から降りるのを見て、口を挟むことはやめにした。
この男性はそのまま走り去ることもできたし、自分の方が先に待っていた、といえば僕もそれを見ていた、と加勢するのにはやぶさかてはなかったが、どうやらそれは不要になりそうだった。
こうしてわがままな3人組は数メートル離れた場所からタクシーに近づき、乗り込むこととなった。

ここまではよくある話で、僕もそのまま忘れてしまうような風景だった。ところがこのあと話はまだ続く。
僕はこのとき男性が単に気弱な人なんだろうぐらいにしか、思っていなかったがどうやら僕の考え方は間違っていたようだ。

最初に来たタクシーはセダンタイプでもっとも New York で見かけられる一般的なタイプである。
この種のタクシーは後ろのトランクが広く、大きなスーツケースが二つは楽に入るように改造されている。けれどもその大きさを持ってしても3人組が購入した大型液晶テレビはトランクにうまく入りきらず、左右前後斜めに入れてなんとか納めようと四苦八苦していた。

一方、先の男性は最初のタクシーを降りるとさらに右側に向かって数メートル歩き、別のタクシーを探し始めていた。
すると幸運なことに待つことなく次のタクシーがやってきた。
ところが彼の目の前に停まったのは、ホンダのオデッセイベースのミニバンタクシー ( これもイエローキャブ ) だった。
横取りされたタクシーにまだ乗れない3人組を横目に、この男性はミニバンに乗り込み、この場からさっさとおさらばしよう、と言うときになって、先の金切り声女性がまたもや数メートル越しに叫ぶのが聞こえた。

オデッセイは3列シートの車だが、タクシーはその3列目をたたんで通常は広大な荷物置き場として使用している。そのミニバンを彼が拾ったのがこの女性の目にとまったようだった。


「 悪いんだけど、私たちそちらのタクシーが必要なの。変わってよ 」

これには部外者の僕も開いた口がふさがらなかった。
さすがにこれには男性も怒りだすだろう、自分だったら譲らないかも、と思って興味深く見ていると、驚いたことにこの男性、「 仕方ないな 」 と言わんばかりに肩をすくめながら乗っていたタクシーから降りたのである。

こうして金切り声女性はお礼もそこそこに、無事液晶テレビをタクシーに乗せることができ、男性は最初のタクシーに乗り込み ( このとき最初のタクシーの運転手も道路に降り立って箱を入れるのを手伝っていたのだが、最初の男性が乗り込むことになるのを見て、男性と顔を見合わせて苦笑いをしていた )、一件落着となった。


このとき僕は部外者であるのに、全くわがままな女性だな、と何だかむかむかした気分だったが、この男性の取った行動のあとでこの気持ちの行き場に困っていることに気がついた。
それはきっと僕が間違いなく、タクシーを譲らないタイプの人間であることを証明すると共に、むかむかした気分からすがすがしい気持ちに変わらんとしている矛盾があったからである。

金切り声女性は大きな液晶テレビを自宅に持ち帰れて Happy だし、この男性も 「 このくらいで目くじらを立てても仕方ない 」 と大きな態度で構えていたのだろう。そしてその場にいた僕まで清清とした気分にさせられたのだが、この男性はそのことまでは気がついてないだろう。
New York には金切り声女性のように自分のことしか見えない人もいる一方で、そういう人たちをカバーする善意も生きていて、うまくバランスが取れているのかもしれない。

自分が怒りの感情を覚えたときに、相手に合わせてこちらも我を忘れるのは簡単なことである。けれでもちょっとだけそれを抑えて見方を変えることができれぱ、こうしてみんなが Happy になることもできるのだ、とこの日は新鮮な気持ちになって帰宅の徒に着くことができた。

気がつけばさっきまで感じていた蒸し暑さまでどこかに行ってしまい、気持ちの良い風が吹き始めていた。

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2006年07月13日

旬な食べ物と言えば


▲ EOS 20D + EF17-40mm F4L USM

またもや食べ物の話で恐縮だが、食い意地が他人より張っている証拠なのだろう。でも好きなモノは好きなので仕方ない ( 苦笑 )。

アメリカ、特に New York でウマイものはなんだろう、と考えると意外とうーんと唸ってしまう。もちろん高い金を払えば世界中の美味・珍味が運ばれてくる New York のことだから、なんでもアリの街である。日本食だっていまをときめく Masa で一人前$300とか$500 ( と言われている ) を払えばそりゃあウマイ日本食にありつけるはずである。 ( 医者の友達はここで接待を受けて、食の質にいたく感銘を受けていた。でも一人$1000だったそうだ )


結局 New York のウマイものとして思いつくのは、その店や会社がたまたま New York にあるからここで食べられるというものばかりで、たとえばそれはおいしいベーグルだったりチーズケーキだったり、小龍包だったりするのだが、New York である必然性は全くない。

同じように旬なもの、というのがあまりアメリカには無くて、スイカもメロンもイチゴも年がら年中スーパーの軒先に並んでいる。そのせいかどうも旬のものを旬のときに食べるという習慣を忘れてしまったようだ。
季節の食べ物を思い出すのは極たまに、「あ、日本はいまごろ土用の丑の日だな 」 などと思い出したりして、友達と連れだってウナギの蒲焼きを食べに行く程度なのである。

そんな中、数少ない例外がある。その数少ない旬の食べ物の一つがチェリーである。
ちょうどこの時期、およそ2週間くらいだろうか、とても甘いアメリカンチェリーが店頭に並ぶ。
もちろんそのちょっと前から早摘みのチェリーが高級食材店にならぶことはあるが、それでも年中通して見られる果物ではない。

ということでこの季節、スーパーや道ばたの屋台でチェリーを売っているのをよく見かける。スーパーで買うのも良いが、僕の手応えとしてはチャイナタウンやコリアンスーパーで買うチェリーの方が概して甘い。
しかも決して高くなく、1 lbs あたり$2以下で売るところもある。これで450g分ぐらいだから1kg買ってもたかが知れている。
これをざっと水洗いしてそのまま食べるのだが、インターネットし 「 ながら 」 とかテレビを見 「 ながら 」 とか 「ながら 」 をしているとあっという間に食べきってしまうので注意。ほどよい甘さと口の中ではじけるみずみずしい食感に、つい口に運ぶのが停まらなくなってしまうのである。

ということでついでに買ったブルーベリーも写真に撮ってみた。ブルーベリーの方はこの一箱で$2。

「 そういえばブルーベリーなんて僕が子供の時は無かったなぁ。いつごろ出現したんだっけかな 」 などと思い 「 ながら 」 これまた口に運んでしまうのである。

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2006年06月17日

あるところにはある。その2

今 New York に住んでいる人も、旅行で何度も訪れている人も必ず 「 初めての New York 」 がある。
はたしてそれまで見た映画の中の New York のイメージから来たのだろうか、僕の中ではNew York といえば Times Square のイメージがあった。

だから着いてすぐに Times Square を歩いてみようと思ったのは不思議では無かった。
そこで見たこと、感じたことは今となってはもう忘却の彼方に消えてしまったが、そのとき初めてリムジンカーを見て、なぜか New York の持つパワーを感じたのだけは覚えている。

僕の育った東京下町には無縁な存在だったし、まして映画の中やドラマで見たことはあったけれどそれは所詮遠い世界の話としてか感じてなかったから、Times Square を歩いていて目の前にスーッと大きなリムジンカーが止まり、運転手が降りてきてうやうやしくドアを開ける仕草を見て、「 どこかの国の国王が来ているのか? 」 などとびっくりしたものだ。


ちなみにリムジンカーのことを、アメリカ人は一般に省略して Limo 「 リモゥ 」 と呼ぶが、そこには単に黒塗り大型タクシー ( 日本で言うところのハイヤーみたいなサイズ ) も含まれる。
こんな風に大きなリモは、Stretch 「 ストレッチ 」 と呼んだほうが通りがいい。

今では一般の人も利用できるのを知っているから、街で見かけてもそれほどびっくりしなくなったが ( 笑 )、それでも苦笑することはよくある。
こういうストレッチでよくあるのはキャデラックなんかのいわゆるアメ車を真ん中で切断して、間に座席スペースを挟んでつなぎなおしたものが多いのだが、昨今の 「 豪華 」 に対する欲求はバラエティに富んでいて、いろんな車がベースになっている。
ここ数年前からのブームとして、ペースとなる車がセダンに加えて大型 SUV を利用したものが初めて登場した。そもそもは Fort Explorer あたりから始まったのだが、それはどんどん大型化し、とうとう Hammer のストレッチが現れたときは驚いた。

一方、セダンでもさらに高級車が使われるようになり、ベントレーやロールスロイスというもともと高級車の顔を持つくものから、メルセデス・BMW までユニークなものが増えた。特に BMW 750i をベースにしたものはかなり迫力のある顔を持ったストレッチになっていた。( が心の中では 「 もったいない 」 と思って見ていたのだが )

そんなある日、下のストレッチを見かけた。

真っ白なフェラーリを真ん中で切断して、作ったストレッチである。

やはりお金はあるところにはあるのである。
BMW 750i のときも思ったけれど、これだけ長くしてしまうとその車の持つ魅力の一つ、動力性能、は放棄してしまい、なんだかもったいない、と思うのは僕だけだろうか。

それにしても、これだけ車高が低いと乗り降りしにくく、ドレスを着ていようものならなおさら大変だろう。個人的には結構 tacky だと思うのだが、今一番目立つストレッチであるのには間違いないだろう。


この写真を撮ったすぐ後ろにはホテルがあり、その入り口の横にはホームレスの人が何の興味もなさそうに寝そべっていた。

初めて New York に来た頃は足が地面に着いていなかった。華やかな姿ばかり目を取られていた。
でも今はこんな対照的な様子がこの街らしいと感じている。

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2006年06月15日

あるところにはある。

New York で以前もフェラーリやランボルギーニを間近にみたことがあるのだが、このランボルギーニは初めて見た。
インターネットで調べてみると、Gallard というモデルらしい。

こんな車高の低い車、New York みたいに道がガタガタなところで走る人いるのか、と思いながら、公式サイトで Gallard を選び、movie のところをクリックすると・・・おそれりました。New York の街でこの車を乗りこなしていた。


ちなみに僕はちょうどスーパーカーブームに育った世代で、晴海のモーターショウに見に行ったのを覚えている。
このとき、つややかなイタリアからやってきた彼らは、まさに僕の目にはドリームカーと映り、実際に動くのを見たことがなかったのでどこか非現実な世界であった。
ところが金持ちはとことん金持ちである、という国に来るとそれまで見たことがない車が現実の世界で走っているのである。
僕が働いている会社の駐車場にも真っ赤なフェラーリが数台停まっている ( 1人は若い女性役員が乗りこなしている )


話を Gallard に戻すと、この車を見つけたところからプロジェクトビルディング並ぶ Ghetto まですぐ目と鼻の先である。
New York という街がいかにアンバランスな秩序でなりたっているのかを目の当たりにした思いである。


・・・それにしてもこの止め方。
道の真ん中である。 それでも許せてしまうな、こりゃあ。


Lamborghini

http://www.lamborghini.com/

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2005年11月24日

a thanksgiving day

Here is "a" thanksgiving day.

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▲Macy's Parade。今年はピカチューだけでなく、パフィも参加。


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▲I found a christmas right after Thanksgiving Day.


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▲Thanksgiving Day の当日帰京する人たちでごった返す Grand Central Station.


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▲Grand Central Station


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▲イマドキの子供達はThanksgiving Day Paradeのバルーンより、路上パフォーマンスに釘付け。


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▲長距離列車の混雑とは反対に無人の地下鉄ホーム。人の乗らないエスカレータが滝のように流れていく。


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▲七面鳥とクルミ入りスイートポテト。


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▲笑い声とコルクを開ける軽やかな音が遅くまで続く夜。


パーティーからの帰り道、電光掲示板の温度計が26F(-3℃)を示している。どおりで寒いわけだ。そしてこの夜、NYC に初雪が舞った。

Happy Thanksgiving from New York Watch.

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2005年02月21日

友達ントコの猫~Nikita

僕は猫を飼っていないけれど、いま猫の世話をしている。
というのも仲の良い悪友が帰省で Florida に帰っているためで、今回だけでなくこれまでもこうして何度か世話をしてきた。
両親が留守の間、学生がアルバイトで赤ちゃんや子供の世話をすることを「Baby Sitting 」と言うが、ペットの場合も同じく「Pet Sitting 」と英語で言う。

猫の場合、世話と言っても通常は全く手がかからない。餌と水をやり、トイレを掃除するだけ。トイレだって今は水色と白のカラフルな金平糖みたいな化学用品を、従来の砂がわりにまくだけで気になる匂いもしないし、猫のうんちもすぐに乾くのでそれをショベルですくってトイレに流すだけ。

猫は手間がかからないのはもう一つ、犬と違って勝手気まま、こちらが呼んでも知らんぷりで、そんな様子は「我が道を行く」とでもいわんばかり。かまいたくても向こうにはその気がないことがほとんどで、常にコミュニケーションを取ってやる必要はない。唯一餌をやるときだけ甘えた声で鳴く輩が多いのだが、友人の猫、Nikita はちょっと違う。
特に今はあるじがいないので、僕が預かった鍵を開けて友人の部屋に行くのだが、扉を開けるとすでにドアの前にちょこんと前足を揃えて待っている。どうやら2つあるドアの鍵をがちゃがちゃやっているのを聞きつけて、それまで1人で遊んでいたのをひとまず止めて、ドアの前にやってくるらしい。
前足をあわせて腰を据えて待つ様はなんだか旅館の女将さんが「いらっしゃいませ」と待っているのと似ていて、こちらも「ただいま」と言いたくなってしまう。

Nikita はその後も僕が行くところ、全て後を着いてくる。
友人は熱帯魚や爬虫類も飼っているので順番に餌をやらないといけないのだが、そのたびに僕が部屋を行ったり来たりするたびに、僕の足下でじゃれついている。
ときどき気が着かなくて、しっぽを踏んでしまうと「ギャッ」と鳴いて飛び跳ねるのだが、懲りることなくすぐにすり寄ってくる。

餌の時間はもっと行動が面白い。
普段からトレイには水とドライなキャットフードが満たされているのだが、ドライフードはよっぱどおなかが空いたときしか口にしないようで、なんといっても缶詰に入っているキャットフードが好物。
この缶詰はキッチンの戸棚に入っているので、僕らがキッチンに行って自分の飲み物などを取ろうとすると、Nikita もすぐに僕らの後を追ってきて、キッチンの入り口でごろんと横になり、思いっきり背伸びを始める。自分はまるで背伸びをするために来ただけで、「餌が欲しいなんて一言も言ってないよ」みたい仕草なのだが、僕らがキッチンから出られないように思いっきりそこで背伸びをし続ける。手ぶらだ出ようとすると「何か忘れてない」みたいな顔をしてしたから見上げ、一言「ニャーオ」と鳴く。全く(笑)

まるで犬みたいに振る舞う Nikita だが、きっと彼女は自分のことを人間と同じかそれ以上だと思っているに違いない。

明日はあるじが帰ってくるよ! > Nikita

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2005年01月31日

友達ントコの猫

siamese.jpg

名前は Child。

この写真はひょうきんな表情を見せているところを撮ったのだが、見てのとおり鼻筋が通った顔が特徴のシャム猫 ( Siamese Cat ) だ。
その昔、日本のテレビドラマでお金持ち夫人というとかならず腕にシャム猫を抱えて嫌みなことを言う人という描写からシャム猫まで嫌みな顔のヤツ、という印象を持っていなかったのだが、実際のシャム猫に出会ってその印象ががらっと変わった。

なんと言ってもよくしゃべる。
Child も餌が欲しいといってにゃー。
餌をやると嬉しそうに器に顔を埋めるのだが、食事が終わって満腹のはずなのにまた戻ってきてにゃー。

飼い主は「シャム猫は寂しがり屋で、だからよくしゃべりかけてくるんだよ」というが、たぶん飼い主も寂しがり屋だからシャム猫を飼うんだと思う。

名前は Child だけど、齢(よわい)10歳になる気品漂うご年輩の猫だったのだ。




ということで New York Watch としては新しいカテゴリの話題を紹介してみた。
これまでは、僕がアメリカに移住してきたときに受けたカルチャーショックから、生活習慣の違いに観点をおいて自分の体験に基づいたトピックやローカルなイベント情報などをピックアップしてきたが、ちょっとマンネリしてきたので ( つまりネタがなくなってきた )、世界中どこでも見られるような日常風景なんかも取り上げていこうと思っている。中でも知人・友人の New York Life なんか最も身近でありながら、十人十色、千差万別で面白いのではないだろうか。
なので「猫なんて New York だけでなくどこにでもいるよ」なんて言わずに、おつきあいください。