街灯

New York の冬空はいつも雲が低く垂れ込めている。街を歩く人の背中は丸くなっていて、それがまるで低い空のせいでもあるかのようだ。
久々に青空が広がった日。Central Park の夕空は際限がないように思われた。
このところブログの更新をさぼり気味であるが、確定申告の方もめどがついたのでそろそろ元のペースに戻せそうだ。
それより自宅のネットワークをいろいろ変更したりして遊んでいたため、ブログどころでなかったという話もあるが、それはまた次回にでも。

New York の冬空はいつも雲が低く垂れ込めている。街を歩く人の背中は丸くなっていて、それがまるで低い空のせいでもあるかのようだ。
久々に青空が広がった日。Central Park の夕空は際限がないように思われた。
このところブログの更新をさぼり気味であるが、確定申告の方もめどがついたのでそろそろ元のペースに戻せそうだ。
それより自宅のネットワークをいろいろ変更したりして遊んでいたため、ブログどころでなかったという話もあるが、それはまた次回にでも。

かねてより予告どおり、今日から日本に一時帰国。
これから空港に向かうところだが、今から空港の待ち時間、長時間のフライトで気が重い。
これさえなければ、もう少し気軽に行き来できるのだが。
短い滞在ながら、今回もたくさんの方々とお会いする予定。皆さん、お手柔らかに願います。


Subway Stationで見かけた"deal"
ここ一週間ほどばたばたと書類を用意したりして、なにかとせわしなかったのだが、2006年度の税金申告がやっと終わった。
締め切りは4月15日とまだだいぶ先だが、締め切りぎりぎりまになって慌てるのは性分に合わないので、できるだけ早めに申告を済ませている。本来ならば2月の頭にもできるのだが、各金融機関から申告に必要な書類が届くのを待ってから行くとたいたい3月にはいってしまう。
けれども世の中にはぎりぎりまで申告をしない人も多く、未だに4/15ともなると深夜の郵便局からニュースの生中継が行われ、当日の消印を求める長蛇の列を紹介している。
税の申告は還付金が戻ってくる人もいれば、追徴金を払わなくてはならない人もいる。ぎりぎりまで手続きを済ませない人の話を聞くと、その人はそんなに多額の税金を納めなくてはならないのだろうかと思ってしまう ( つまり所得が多い? でもホントの金持ちはもちろん優秀な会計士を雇って税金対策を済ませているんだろうけど )。
さてアメリカの場合、申告に必要な手続きは会計士に頼まなくても個人でできる。指定されたフォームがあるので自分で記入してもいいのだが、楽なのは PC 用のソフトを使う方法だ。
この時期になると Staples でも Office Depot でも入り口にうずたかく積み上げられて売っている Tax Return 用のソフトを買ってインストールし、あとは質問に答えていくだけで手続きが完了する。しかもインターネットを通じてオンライン登録まで済ませてくれる優れもののようだが、僕は使ったことがない。移住してきてからこの方、いつも同じ会計士に依頼している。
なので実際に必要な手続きなどはほとんど会計士任せなのだが、それでもこの時期がくると 「 あ~あ面倒くさいな 」 と思ってしまう。なにが面倒くさいかというと、それは支出入の書類の準備なのである。
収入が会社からだけ、という場合は会社から送られてくるW-2フォームだけだが、ほかにも副収入があったりフリーランスの仕事もしているとなると経費を含めてたくさんの領収書が必要になる。もちろん投資をしている人も多く、そういう人は銀行利子や株売買などの収入もこの時期にあわせて申告する。
かかる経費の証明だが、アメリカでは店で買い物をしても日本と違ってきちんとした領収書( bill / invoice ) が出ないことも多く、数センチ四方のレシートに頼らなければならないこともあるので、僕はもっぱら支払いはクレジットカードにしている。実はクレジットカードで支払いをしていると僕のようなものぐさにはかなり利点があるのだ。
税金の申告シーズンにあわせ、たいていのクレジットカード会社はこの時期に Year End Summary の作成というサービスを提供してくれる。
これはどういうことかというと、昨年1月1日から12月31日までのクレジットカード利用実績をいろいろなフォーマットで提供してくれるのである。Amex を例にとると会員専用ウェブサイトにログインすると、Year End Summary というリンクがこの時期だけ現れ、クリックするとウェブでそのリストを表示させたり、PDF の形でダウンロードできたり、または郵送を指示することもできる。
リストは月ごとの詳細のほか、費用項目によってカテゴリ分けされたリストもあるので、これを使って簡単に計算することができるのだ。
今年もなんとか PC の電卓をたたきながら、概算をまとめて会計事務所に持って行き、無事申告を済ませた。
今年も追徴金を払うことなく、税の還付を受けられた。あとは国と NY 州からそれぞれ銀行口座に振り込まれるのを待つだけだ。
すでに払ってあった自分のお金とはいえ、やはりある程度まとまったお金が手にはいるのはうれしいものである。
普段から何気なく使用しているクレジットカードだが、こんな風に一年に一度利用実績を見直すのはよい機会かもしれない。一枚のカードで個人的なものと仕事に関するものの両方の支払いに使用しているとはいえ、昨年の支払いは Amex だけで3万ドル強にもなっていた。 同社は二枚目のカードとして Small Business 向けのものを発行するサービスをしているので、額がこれ以上増えるならば分けるのも手かもしれない。そうなればもっと計算が楽になるのだが、果たして新たな年会費を払う価値まであるかどうか。

ここしばらく更新の間隔が空いてしまったので、近況報告でもしておこう。
私事ながらここしばらくは Soho で仕事をすることになった。いうまでもなく、Small Office Home Office の SOHO ではなくて、Soho 地区のことである。
どちらかというと SOHO の方に憧れるのだが世の中そうはうまくは行かない。東京サラリーマン時代よろしく、地下鉄で仕事場に通っている。
New York に移り住んだ、といっても職場は Manhattan ではなくて郊外にあったからずっと車で移動していたのだが、それもすっかり変わってしまった。一昨年買った BMW の odometer はまだ6000マイルで足踏みしている。
ずっと地下鉄で通勤しているときは車での通勤に憧れたもんだが、毎日車に乗っていると今度は電車での通勤もいいかな、と思えてしまうから不思議だ。
がしばらくするときっとまた車での通勤を懐かしむに違いない。
さて仕事場周辺というのはなんとなく煙たがって、休みの日などにはあまり近寄りたくなってしまいがちである。
僕にとって Soho もそうなるのだろうか ( 苦笑 )。
写真は、最近とみに訪れる回数が増えた、街角にあるお気に入りのカフェで。
この土曜日は久しぶりに授業というものを受けてきた。
・・・と最初の一文を書いたところで疑問が頭をもたげた。
果たして授業を 「 受ける 」 というのは正しい日本語の使い方なんだろうか、と不安になったのである。
「 授業 」 なんて単語、アメリカで暮らしていると普段からそう使う言葉ではない。「 授業 」 という言葉に限らず、こんな風に言葉と言葉のかかりなど特に曖昧になりがちなのである。たとえば日本では 「 保険 」 は 「 入る 」「 加入 」 するものだが、英語では insurance は 「 買う 」 ものとなっている。
なのでこんな単純な言葉遣いでも 「 自分の日本語用法が間違っていないだろうか 」 とブログに書くときには緊張してしまうのである。
「 授業って教えを授かるものだからそれを受ける、というのはおかしいような。それとも授かるではなくて授ける、のかな? 」 などと考え始めると、とたんに自信喪失して手元の辞書やインターネットで調べなくては気が済まなくなる。
さて授業の話に戻るが、話の発端はこんなところである。
僕の自動車保険は半年に一度更新となっていて、今月に新しい契約書と請求書が送られてきた。
契約を重ねるうちに保険料が安くなってきていたのだが、ここ数年はディスカウントが受けられる最大のプレミアムになり、ここ数年はほとんど保険料が変わらなくなっていた。
ところが今回の請求書を見て驚いた。あがっているのである。
アメリカでの自動車保健代っていくらくらいだろう、と思う人のために書いておくと、僕の場合は6ヶ月契約でおよそ$600~$650ぐらいである。
これが安いか高いかは同じ車でもどこに住んでいるかとか、年齢とか、もちろん契約する保険の種類によっても変わるのでなんとも言えないが、フルカバレッジでこの値段は安い方だったろう。
それが今回は$900を超えていた。
実は値上げの理由に対して心当たりもあったのだが、契約書にはその理由が特に書かれていない。
そこで念のため保険会社にその理由を尋ねてみることにした ( セコイ )。あわよくば間違いであって欲しいという、あわない期待からである。
案の定、それは去年のスピード違反に捕まったことに由来していた。
そのとき電話で対応してくれたカスタマーサポートの人が 「 それじゃあなにかディスカウントの方法がほかに無いか調べてみることしましょう 」 と言って、車のセーフティ機能の確認や、安全運転講習受講の有無とか、平均運転距離などいろいろ尋ねてきた。
その中で 「 住所の確認をさせてください。データによるとあなたは Long Island にまだ住んでいることになっているけど・・・ 」 と言うので、そんはずはない、現に契約更新の書類は今住んでいるところに毎回送られてきているのだから、というと、「 住所と送り先は別になっていてもかまわない。あなたの場合は送り先が今の住所になっているけど、実際の住所の変更は行われなかったみたいですね。それでは新住所で計算してみましょうか・・・」と言ってしばらく無言になった。
ところがしばらくすると「あらっ・・・」みたいな驚きの声があがって 「 I'm sorry but it's making worse.. ( 却って悪い結果になってしまったんだけど・・) 」 といって半年分の保険が1400ドル近くまで上がってしまうとのことだった。
やはり NYC の方が盗難事故や破損の事故が多く、保険の請求額も高いのだろう。そのために郊外に比べるとこのくらいの値段になってしまうのだそうだ。
そうは言っても 「 はいそうですか 」 とはそう簡単に言えないほどの値上げなので、もう少し他社の保険を検討してまた後で連絡します、と言って電話を切った。
その後、友達の薦めの他大手保険会社に電話して、見積もりを頼んでみると、今まで受けられるはずの保険より手厚い保護を受けても、半年の保健代が$500以下になりそうだ、との回答だった。
さすがに$1400から$500に保健代が下がるとあっては乗り換えない手は無い。早速お願いします、といって New York 州の運転免許番号を伝えると、半年の価格が先ほど提示された見積金額より$100ほど高くなった。それでも今まで払っていた保健代より安いので、大喜びで契約をしようとすると、相手の人はとても申し訳なさそうにしている。
どうやら$100も上がることに、罪悪感を感じているようである。僕からすればスピード違反分が加算されたのだから仕方ない、それでも今まで安いのだから・・と思っていたのだが、カスタマーサポートの人は 「 是非 New York 州の安全講習を受けるのを進めます。受講料は$50ぐらいだけど、違反したポイントを差し引くと同時に保険も10%ディスカウントになりますから 」 という。
そういえば$1400になりそうだ、と言った今の保険会社もディスカウントの方法が無いか探しているときに安全講習の事をあげていた。
これはいろいろな呼び名があって、「 Safety Driving 」 とか 「 Defensive Driving 」 とか 「 Accident Prevention 」 コースと書かれているが実際どれも同じである。
$49 の参加費を払い、公認のドライビングコースで行われる授業に一日出席することで、交通違反のポイントを4ポイント減らし、どの自動車保険会社も一律の割引を受けられるプログラムである。一度講習を受けると保険会社の割引は3年間継続して受けられるらしい ( ということは割引を受けるためには3年に一度講習を受けろというだ )。
これまで保険代金がそんなに高くない、と思っていたこともあってこのコースの存在自体は知っていても、一度も参加したことがなかった。
けれども今回は交通違反とそれに伴う保険料金の値上げということもあって、参加してみることにした。
それがこの土曜日だったのである。

土曜日の朝、この日は久しぶりに New York の冬らしい切れるような冷たい空気が広がっている。
うちから車で行くこともできたが、土曜日なので講習会場近辺の駐車はパーキングメーター使用で、時間単位になる。講習の途中でコインを入れに行くのはさすがにまずいだろうと地下鉄で行ったのだが、それは僕の考えが間違っていたようだ。
この後授業が開始すると、車で来た参加者はビデオの途中でも講義の途中でもコインを入れに行ったのだから。
第一、講習の始まる時間通りに来た人は僕のほか二人だけで、あとの全員は5分から最長一時間遅れて入ってきているのだが、スクール側はあまり気にしていないようだ。
参加者は僕を入れて全部で11人。そもそも教室と言うには狭いウナギの寝床のようなところだったから、これでもこの部屋には大人数じゃないかと思ったが、多いときは20人を超えるらしい。
場所柄、スパニッシュの参加者も多く、講師もアルゼンチン出身の人だったが、この日の講習はあらかじめ使用言語の案内を受けたとおり英語で行われた。それでも参加者の人他は気にせず質問はスペイン語であがるし、講師もまずは個人的にスペイン語で説明してから、クラスの人たちに英語で説明するので二度手間になることも。
とはいっても最初のスペイン語で話しているときにわかっている人がクラスの半数はいるのだが ( 笑 )。
さて講習の中身だが、ほとんどの時間をビデオを見て過ごすもので、テストとは名ばかりの簡単なクイズに答えるだけのものだった。
そのビデオは悪天候時や飲酒をした時の運転など、いくつか章が分かれているのだが、中には単純なドラマ時立てのものもあった。
こういう映画で感情移入もあったものじゃないと思うのだが、映画館での映画さながらに野次を入れる人が多いのには笑ってしまった。
「 普通はそこで運転するかよ 」 とか 「 オッオー 」 などの掛け声が何人かの口から上る。
休みの日の朝、わざわざ早起きしてこの講習に出る人たちは、それなりにワケがあって、それは違反点数を下げたいとか、免停になった人だとか、事故で保険代があがってしまった人たちなのだ。ちょっとばかり映画よりはまじめに見るべきだと思うのだが ( 笑 )、アメリカではこんな時間まで楽しんでしまうものなのかもしれない。
おかげで行く前は気が進まなかった安全運転講習も、愛すべき彼らのおかげであっというまの5時間だった。
帰りに近くのベンダーから Cafe con leche ( スパニッシュコーヒー ) を買って手と胃の暖を取りながら地下鉄に乗り込んだのだった。

3年ぶりに訪れた日本であったが、単に3年という時間以上の大きな隔たりを感じることがしばしあった。
かつて都内に住み勤務地も都心だったので、たとえばA駅からB駅までどうやっていったら一番早いか、と言われればさっと頭の中で路線図が浮かび、乗り換えすべき駅などすぐに答えが出たものだった。
ところが久々に東京を訪れてみるとすっかり都内の電車の乗り換え方を忘れていることに気がついた。
幸い、滞在中に親から借り受けた携帯電話の乗り換え案内サービスを使うことで、同行する友人に尋ねてばかりという事態は避けられたものの、「 I was born and raised in Tokyo 」 と言ってきた自分に取って、これはかなりショックであった。東京の地下鉄・私鉄・JR は複雑だから、とはいいわけにならない。きっと使うことの無かった知識はすっかり頭の中から抜け落ちてしまったのだろう。
それは道を歩いていても同じだった。かつては見知らぬ場所でも都内で方向感覚があって、それなりに目的地に行くことが出来たのだが、今回は地下鉄から降りて地上に降りると、東西南北右左がわからず途方に暮れることがよくあった。
自分が健忘症になってしまったのではないかと、一瞬恐怖を感じたといっても大げさではなかった。
このことは他人からすれば小さなことだろうが、こんな些細なことを他にもいろいろ遭遇すると、なんとなく自分が余所者であるという気持ちが強くなってくる。
まして今回滞在した両親の住む家は、僕にとっても初めての訪問で、泊まっていた部屋にもちろん愛着はないし、私物もほとんどないから、なんとなく 「 客人 」 なのである。都内で友人と会い、そこから両親の家に 「 帰る 」 のだが僕からすると友達と食事に出るのも、両親の家に行くのも僕にとってはどちらも 「 訪問 」 で家にいてもどこか落ち着かない。
東京に住んでいるわけでもなく働いているわけでもない上、ちょっと見ないうちに東京という街も変貌し、そして僕の記憶も薄れていく。これら三つのことが相まってどうかすると、どうしても故国のつながりが希薄になってしまうのだろうか。
さてその両親の家だが、僕が学生だったころバイトでゲームソフトを作っていた時の友人が近くに住んでいることがわかり、平日の夜に近所で会うことになった。
友人の帰宅に合わせてターミナル内にある書店でぶらぶらしていると、須賀敦子氏の名前を文庫本コーナーで見つけた。須賀敦子氏の著書についてはここでも紹介しているように、僕の好きな作家の一人なのだ。
彼女の名前の札が刺さった本棚には文庫本がたまたま2冊並んでいた。「 ヴェネツィアの宿 」 と 「 コルシア書店の仲間たち 」 である。
確かこの本はまだ読んでないはず。帰りの飛行機の中で読むには最適かもしれない、とそのままレジに持って行った。
けれどもこのときに買った文庫本は結局というか、当初の予想通り滞在中にひもとく間もなく、スーツケースの横のポケットに入れっぱなしになっていた。
そうこうしているうちに2週間の滞在を終え、いよいよ New York に戻ってくる日がやってきた。成田空港で荷物を預ける段になり、ポケットに入っている文庫本のことを思い出し、機内持ち込みの荷物に滑り込ませたのだった。
チェックインのあと、搭乗までほとんど時間がなかったのでそのまま出発ゲートまで歩き続けることになり、搭乗もほどなくして始まった。
僕が載った JFK 空港行きのフライトは夕方6時発のため、成田を飛び立って割と早い時間に夕食が配られた。
夕食の後、僕は連日出歩いていた疲れからかすっかり眠り込んでしまい、5~6時間後に配られた夜食も逃してしまったらしい。らしい、というのは目が覚めたのがたまたまその夜食を片付けにきたフライトアテンダントの気配を感じたからだったのである。
よほど深く眠っていたのだろう、ついさっき夕食を食べたような錯覚を覚えたので夜食を食べたいという食欲は全くなかったが、その一方で、もうこのあと再び眠りにつくことも出来なくなってしまっていた。
手許のリモートコントロールを使って機内放送の映画を適当にブラウズするのだが、どれも始まってしばらく経つようで途中から見てもあまり面白くない。
そうこうしているうちにあたりを見渡すと、起きているのは僕ぐらいで機内はすっかり真っ暗になってしまった。フライトアテンダントも仮眠に入ったようで機内はしんと静まりかえっている。本当はジェットエンジンの音が聞こえてくるのだが、話し声が聞こえないと不思議と静寂に包まれているかのようだ。
すっかり手持ち無沙汰になってしまったので持ってきた文庫本でも読もうと、隣の人を起こしやしないかとおそるおそる頭上の室内灯を点けた。
二冊購入したうちのたまたま手に取ったのが 「 ヴェネツィアの宿 」 だったのだが、冒頭の章を読み始めたばかりのところで、すぐにその手を休め、本をトレイの上に置くこととなる。
それは著者が夕食の後、宿泊する予定のヴェネツィアのホテルに向かって迷うようにして路地を歩いているくだりである。
なんとか見つけたホテルの前の広場にはたまたまオペラ劇場があり、その劇場が場内に入れない人のためにスピーカーで舞台の音を野外に中継している場面に出くわしたのだった。
インターネットやテレビで日本の情報も New York にいながらにして手に入れることが出来る。そうやって自分はいつも日本とつながっていた様な気がしたが、こうやって実際に日本の地を踏んでみると、自分と日本をつないでいたものが細くなってきていることに気づく。
そして自分は New York に行くのか、それとも帰っていくのか・・・。
そんなことを滞在中ずっと感じていたものだから、彼女のエッセイを読んでこの箇所にぶつかったところで、つい自分の置かれた状況を考えてしまったのである。
奇しくも2006年の10月で僕のアメリカ生活も10年目を迎えることになった。
1997年の10月、僕は今日と同じようにこうやって成田空港から一人で飛行機に乗り、New York にやってきたのだ。
そのときに感じた移住に対する不安はもう無くなったけれど、そのかわり故国にもアメリカにも属することができない自分がいるような不安がつとまとう。
不思議なことに、その不安を須賀敦子氏もかつて感じていたのかと思うとなぜかほっとするのだった。
すっかり寝静まった機内。
夕食のあと、「 シェードを下ろしてください 」 とフライトアテンダントに言われて閉めたシェードをちょっとつまんで上に上げると、そこには見たこともないくらいたくさんの星が天空に広がっていた。
周りの人は静かに寝息をたてて寝ている。自分だけが起きているこの状況がまるで須賀敦子氏が書いた、「 どこにも受け入れられていない自分 」 を象徴しているのではないかと、さっきまでは感じていた。
けれども一人で起きていたからこそ、この満天の星を見ることが出来たのかもしれない、と思うとこれがどことなく象徴的な気がしてくるのだった。ちょっとばかり周りの人と異なる時間と空間を過ごしいても、それは決して悪いことではない、と。
これまでの10年がそうだったように、この次の10年もまんざら悪いものではないのかもしれない。
きっとそのときも故国と異国を彷徨いながら。

▲ Flushing の様子。
さて先週 Flushing にある会計事務所に行って税申告に必要な書類を提出してきた、と紹介した。
その日はまさに提出だけだったので5分ほどでその場を去ったが、その1週間後の昨夜、手続きを完了させるために会計事務所に立ち寄った。
僕が毎年依頼しているのは香港系女性会計士でこの時期は目が回るほど忙しくしている。税申告シーズンが始まる1月から、締め切りの4月15日まで、週7日間、朝から夜中の12時過ぎまで働きずくめの毎日が続くのだから体を壊さないかこちらが心配してしまうほどである。
とはいえ僕自身も彼女を忙しくしている側の1人なので、矛盾した心配ではあるのだが。
ここが混んでいるのはそれだけこの会計事務所に訪れる客は多いということなのだが、これが毎年頭痛の種になっている。
オフィスがある Flushing という場所柄、そして会計士自身も中国系とあって客の多くは中国系移民が多い。もちろん僕の様に日本人でここを利用している人もぽつぽつ見かけるのだが ( この場合たいてい知り合いだったりするのだ。日本人でここを知っているのはたいてい口コミによる紹介だからである )、この人達の中には並んで待つということをしないという人がいるのだ。もちろんマナーを守って忍耐強く待つ人も中にはいるので、自ずと客同士で諍いになることも ( ただし僕は中国語が理解できないので、口論しているのは分かっても内容までは理解出来ない )。
会計事務所の方でも、受け付けを済ませた順に番号札を渡すなどして、公正にコントロールすればいいのに、どうも 「 我先精神 」 が旺盛なせいか、先に来て待っている人のことなんかお構いなしに割り込もうとするのだから、座って待っているだけでも気疲れしてしまう。
さて僕も昨夜は仕事帰りに Flushing に寄って車を停め ( これがまた買い物時にぶつかると悲惨だ。駐車スペースを探すのが大変なだけでなく、二重駐車などどこもかしも渋滞だらけなのである )、それから会計事務所に顔を出す。
今日来ることにはなっていたけれど予約は出来ないので、こうやって事務所に行ってから順番を待つことになる。この日は8時のアポイントとなった。それまで近所で食事でもしてきたら? と言われる。
ちなみに食事をしている間に自分の番が飛ばされてしまうこともあるのだが、何時に終わるか分からない夜に空腹のまま待つと余計にイライラしそうである。特にこの日は時間が無かったので会社でもカップ焼きそばしか食べておらず、余計におなかがぎゅ~。
ということで昨年この会計事務所を紹介した友人が今年も利用したいというので、彼女が来るのを待って一緒に近くのマレーシアレストランに行くことにした。
短時間の間に食事を済ませ、会計事務所に戻らないといけないのでできあがっていそうなマレーシアンカレーを頼んだのだが、これがなかなかどうして、かなりイケる。名前は Rendang Curry といってインドネシアでも食されるドライカレータイプである。これでたったの$5というから、China Town 恐るべし。
ABC テレビ局に勤めている友達の仕事ぶり、内輪話に耳を傾けながら素早く食事を終え、会計事務所に戻ると約束の8時になってもまだ僕の前に来ていた人が待っている様子が目に入った。
実は僕も同じ事をしたわけだが、待ち時間が長いからと途中外出をして帰ってくる客がいるので、自然と順番があやふやになってしまうのだ。
自分より後から来たと思ってもその人は実は早くに来ていて、コーヒーを飲みに行ったとか買い物を済ませてきただけ、というケースがよくある。
結局僕が会計事務所を出たのが夜の11時過ぎ。彼女はまだ数人の顧客を待たせていたから、このオフィスから出られるのはきっと翌日になることだろう。
こんなに長時間、しかも中国人に混ざってというのも自分だけがのけ者になったようで居心地は良くない。それでも毎年ここを利用してしまうのは、彼女の節税指導による還付金の大きさだろうか。
妙に明るい蛍光灯のもと、長時間座って待つ人の表情は疲れ切っている。僕もさっきまでその1人だったのが還付金の額が計算されると途端に笑みがこぼれてしまうのである。なんと我々は現金なことよ。
さて今年は e-file といってオンラインで申告を完了し、還付金は直接僕の口座に振り込まれる方法にした。毎年連邦政府と州政府から送られてくる小切手を楽しみにしていたので、少しばかりさみしさが感じられる。

▲ 今回は当日撮った写真が無かったので、Flushing で撮った新年の写真を2枚紹介している。

今年の1月にドキュメントスキャナを買ってありとあらゆる書類を端から端まで PDF ファイル化するというプロジェクトについて紹介したが、ようやく税申告書類の提出も終わったので一気に整理することにした。
まずは過去10年近い請求書の山をどうにかしよう、とスキャナを買ってから一週間ほど一生懸命スキャンしたのだが、そのときの書類を撮ったのが上の写真だ。
早速これで部屋が多少すっきりした・・・といいたいところだが、友だちから譲り受けたシュレッダーが壊れたため捨ててしまったのを忘れていた。スキャンしおわって不要になった書類だが、クレジットカードの請求書にはアカウント番号などが記載されているのでそのままでは捨てられない。ゴミに捨てる前に念のためシュレッダーにかけた方が良いだろう。
かわなきゃな、と思いつつそのまま友だちが日本から来ていたり、税申告の準備をしていたりで忙しくなってしまいそのときにスキャンした書類の山がリビングルームの片隅でゴミの山と化してしまった。
ようやく余裕ができた今週末、重い腰を上げて近くの STAPLES に行き、安いシュレッダーを買ってきた。$39.99のものが、セール価格で$29.99で、さらにクーポン ( レシートと一緒に郵送すると後日小切手が送られてくる。Mail in Rebate ) を使うと$19.99 になるという、割安感に誘われて選んだのだ。
これでこの書類の山ともおさらばだ。そう思うと 「 捨てること 」 ことに対する快感すら感じる。
確かに自分で買ったものではなくて向こうから勝手に ( 笑 ) 送りつけてきたものなのだから捨てることに罪悪感は無いのだが、最近では自分がかつて買ったものに対してもそう感じるのだから、いかに今まで無駄な買い物をしてきたか、ということなのだろう。
さてこのシュレッダー、STAPLE 印のものなので安いのかもしれないが、箱から出したときに一抹の不安がよぎった。電源ランプの横に 「 OVERHEAT 」 の LED が見えたのだ。
買ったばかりのこの機械、一度に6枚の用紙を粉砕できるのだが、それを続けて数分使い続けたところ、OVERHEAT の LED が赤く点灯し、休止モードに入ってしまった。休止するのはいいのだが、なんと次に使えるのは25分後とマニュアルに書かれている。それでは1時間の間4分だけ使えるということになるではないか。
試しに・・・と思って試してみると、続けざまに紙を処理させていくと OVERHEAT が着いて使えなくなり、その後20分ほどうんともすんとも言わなくなる。それでは仕方ないので、仕方なくちょっと処理するごとにモーター部分をさわってみて熱くなっていたらしばらく放置することにした。
そうしたら長く使い続けてもオーバーヒートするともなく、使い続けることが出来るようだが非常にゆっくりとしか紙が減っていかない。
一晩かけて請求書を処理しながらやっぱり安いだけのことはある、と思った次第である。たぶん数年したら、いやひょっとしたら来年にも新しいシュレッダーを買う羽目になるのかもしれない(笑)。
さてこれでやっと書類の山を捨てることができるのだが、書類の山があったそこには、今日買ったばかりの野暮ったいアメリカの事務機器 ( シュレッダー ) が鎮座するとになる。
はて? 僕の部屋を改革しようとしたこのプロジェクトは成功といえるのだろうか ( 苦笑 )
C さん夫妻が空港から日本へ帰国の途に着いたその翌日、入れ違いにしてもう一人の写真仲間が New York の空港に降り立った。
写真を通じてインターネットで知り合ってかれこれ数年に経つ、K さんである。
実際にお会いしたのは昨年の New York が初めてで、今回が2度目となる。
ほとんどアメリカから出たことがない僕なんかと違って、仕事で世界中を旅している K さんはいつものように危なげなく JFK 空港からホテルにチェックイン、そして待ち合わせの場所に時差ぼけなんてそっちのけでやってきた。
先にも書いたが前回からそれほど時間をおいておらず、5番街の反対側で信号がかわるのを待っていた K さんの表情を見て 「 あ、前と全然変わらないな 」 と見つめていた。ただ違うのは季節なのだが、そのせいでアウトフィットがすっかり変わっている。
先の C さんが来 NY したのにあわせるかのようにしてやってきた冬将軍は、本人達が日本に帰った後もここに居座り続け、K さんと街を散策したこの日も一日中冷え冷えとしていた。
とはいえ日中の気温はプラスに転じ、それまでの体感温度マイナス15℃・・のような気温に慣れきっていた僕にとっては 「 今日は割と暖かいですね 」 となるのだが、温暖な静岡から来ている K さんに取ってはこの気候も身にしみたようだ。
この日の K さんの出で立ちもそれを反映してか、上は Patagonia のジャケットを羽織るなど防寒装備ばっちりだった。
前回 New York を訪れたときは街中を散策したので、今回は寒いとはいえ天気がよいので Central Park が良いだろうと普段歩かない公園北部までバスで移動し、そこから東西横断することとした。
普段なら地下鉄で移動するところ、この日バスを選んだのは、外気温が低いのであまり歩かずに利用できることと写真を撮るので車窓を見ながらいつでも飛び降りることができるバスのほうが機動性が高いからである。地下鉄一日乗り放題のメトロカードは、もちろんバスでも利用できる。時にはこんな風にバスを乗り継いで見知らぬ街を散策するのも一興ではないか。
Central Park では僕が下ばかり見ているのに対し、K さんはなぜか上空を見つめている。
そうか・・・冬だから野鳥撮影が狙いやすいのだな、と気がついたときにはすでに息を潜めながら、獲物にじりじりとよっていく K さんの後ろ姿が見えた。
ただでさえだだっ広い公園で、来る度にいつも何か新しい発見をする Central Park だが、こんな風にしてちょっと自分と違う写真を撮る人とくるだけでさらにこの公園が広く感じられる。
その日は野鳥を撮るにはちょっと厳しい装備だったが、それでも K さんの話に耳を傾けながらふむふむと頷くのだった。
その後トルコ料理レストランで遅い昼食を取りながら、カメラや写真の話、それに日本にいる他の仲間の近況などを話などですっかり時間が過ぎてしまい、あわてて B&H カメラストアに行かなくてはならない時間になってしまった。
ここはほんの数日前に C さんとも来たばかりだが、K さんも一度行ってみてみたいという。実は僕自身 C さんと来たときに 「 買いたいな 」 というものがあったのでこれ幸いとほいほいくっついていった。
K さんはちょうど日本を発つ前にコンパクトフラッシュメモリーもカメラバッグも買ったばかりということで、B&H では何も買わなかったのだけれど、僕の方は結局いくつか小さなアクセサリなどを買い込んでしまった。ガイドのはずが、僕の買い物につきあわせてしまったことになる(笑)。
そのあといくつかの場所を歩き回っているうちにそれが良い運動になったのか、それともランチが物足りなかったのか小腹がすく時間になった。K さんの New York 滞在の目的はビジネスなので残念ながら自由な時間が取れるのは今夜だけということで、一杯飲みながら食事をすることに。
もちろん会話は写真談義が中心で、アルコールが入って眠くなってこなければきっと止まることなく写真の話題がつきることなく続いた夜になったことだろう。
たった一日ではあるけれど、今回も一日が凝縮されていた。K さんとはすぐにまた会えそうな予感がする。いやそれはきっと期待なのかもしれない。
家に戻ってこの日撮った写真を整理したのだが、ほとんど写真を撮っていなかったことにそのときになって初めて気がついた。
時間が経つのは妙に早いと思ったら、ずっと写真の話ばかりしていたんだなぁと一人で思わず笑ってしまった。
今回はそんな数少ないショットの中から、前回に続いて夜景を紹介することにしよう。

▲ 暖かいホテルの室内から見るクライスラービル

▲ 氷点下の摩天楼
こんな風に寒暖の差を表現してみるのも結構おもしろい。普通はガラスへの写り込みは散漫な絵になるのだが、逆に利用して室内のぬくもりを感じる写真というのもいいかな、と思う(写真上)。
さて次々とやってきた友達が去った後は、まるで客人が帰ってがらんとした宴の後のようである。
それまでのにぎやかな雰囲気と盛り上がった会話がまだ耳に残っているようなそんな錯覚が、しーんとした日常にこだまする。それがなおさらわびしさを増すのである。
そんなことをつらつらと考えながら、「 早く春が来ないかなぁ 」 などときたるべき季節に思いを寄せるのだ。明日はいよいよ3月である。
さて途中オリンピックの話題なんかがあって間が空いてしまったが、話を元に戻して日本から NY に遊びに来ていた友人の話に戻ることにしよう。
A さん一家と C さん夫妻と一緒にブランチを取ったあと、A さんは Philadelphia へ戻る前に友人に会いに行くと言うことで NJ へ。
ここで僕と A さんご一家とはしばしのお別れである。とはいえ同じ東海岸、何かのおりにまた会おうと約束をして見送りとなった。
残った C さん夫妻とは滞在最後の一日を一緒に過ごすこととした。帰国は翌日ということで、僕もその日は休みだったが朝のフライトなので一緒に過ごす時間も今日が最後となる。
そこでこの日はできるだけたくさんのところを効率よく見て回ろうと、なかなかの強行軍である。立ち寄った先々での話をすべて書こうかとも思ったが、羅列してみて改めてたくさんの場所に立ち寄ったことがわかり、早々とあきらめた。
この日、夜にかけて歩き回ったのは以下の場所である。
この日、Rockefeller Center に二度も訪れたのには訳がある。
もともとの予定では、K さん ( C さん夫人 ) は皆と一緒に5番街の買い物を終えた後、1人でひとまずホテルに戻り、部屋に荷物を置いてくる、ということになっていた。K さんがホテルに戻っている間 C さんと僕はホテルにほど近い B&H に立ち寄り、Photographer 組はこちらでショッピング、という算段だったのである。
ところが C さんたってのリクエストで 「 昼間の摩天楼のイメージで写真を撮りたい 」 ということで、予定を変更して Rockefeller Center に短時間だけ寄ることになったのだ。
もともとは 「 エンパイアステートビルがいいかな? 」 というリクエストだったのだが、Manhattan の全景を見るなら僕が今一番勧めているのは Rockefeller である。写真を撮るならなおさらこっちが絶対いい、という強い主張に折れて、昼間の Rockefeller Center に登ることになったのだ。
とはいえ入場料は$15ほどする。数時間の間に二度登るのはちょっと不経済である。そこで昼間の写真を撮りたいという C さんだけが先に登り、僕と K さんは近くのカフェで暖を取りながら待つことにした。日中とはいえ気温が氷点下なので外で待つのはかなりしんどいのだ。実際、歩いているだけで冷気にエネルギーを吸い取られるような、そんな感覚すら感じる。
小一時間ほど経った頃だろうか、カフェで飲んでいたカフェラテのカップの底が見えそうな頃合いに、C さんは戻ってきた。どうやらうれしそうなをしているので良い写真が撮れたようだ。感想を尋ねるまもなく今度はタクシーで B&H へ移動。
ここは行くとつい何か買ってしまうのだが、閉店まで時間が限られていたので C さんの買い物に相伴することで、自分の物欲にうち勝つ ( 笑 )。B&H の感想と C さんが買ったものなどについてはもしかしたら本人のブログで紹介されるかもしれない。
その後でまた大忙しでタクシーを拾って戻ったのが、Rockefeller Center である。
このとき時刻は、夕方の5時半ごろ。夕方から夜にかけての刻々と空の色が変化する一番ドラマティックな瞬間だ。
今回は写真を撮らない K さんも、そして僕もカメラを持って三人で登ることにした。
僕がここに来たのはこれで2度目。以前来たのは12月の終わりのものすごく寒い夜で、土曜日のだというのにガラガラだったのを覚えている。今回も同じくチケットを購入し、エレベータに載って数階分あがり、そこでセキュリティチェックを通る。三脚を手にしていたので 「 持ち込めるけれど、上でたてて使うのは駄目だよ 」 と告げられる。夕方なので使えないと厳しいのだが、ルールなのでこれは仕方ない。
そのあとエレベータに乗って一気に最上階まで登りあがる。
展望台フロア行きのエレベータでよくあるのは壁がガラス張りのものだが、ここのはちょっと違って天井がガラスでできている。なのでどんどん上に上がっていくのを乗っている全員が口を開けながら顔を上げて見つめているのはどことなく滑稽な風景である。
70Fほどのフロアをあがると扉は左右に開き、一気に展望フロアに出てくる。ここの良いところはスペースがたっぷり取ってあり、また室内はソファがあるのでゆったりした気分でとガラスごしに夜景を見ることができる。
そして圧巻なのは、屋外部分である。
ここには金網もフェンスもなく、目の前にはまさに360度の Manhattan の街が眼下に広がっているのである。どういうことかというと何センチもある特別強化ガラスが人間の身長をはるかに超える高さで設置されており、視界を遮るものが何もない作りになっているのだ。
またそのガラス一枚一枚は人間が両腕を広げてもまだ足りないくらいワイドなものだが、その間はちょうどレンズ一本分がせり出せるだけのスペースがある。まさに写真を撮る人のことを考慮してデザインされたような幅なのである。
三脚が使えないのでなかなか安定して撮れないのだが、ここに一枚だけ僕らがその日見たイメージに近いものを置いておこう。
実際に見たものは、はっと息を飲むほど圧倒した美しさが地平線まで続いており、それは言葉でも写真ですら表すのが難しい。きっとその日、その場にいた人だけが感じるものだろう。
自然の風景と違って街の造形はいつでも見られるものではあるが、その日の天候そしてまるで聞こえてきそうな眼下の街のざわめきは、その瞬間にしか感じられないものである。
写真を撮るとともに、この風景をこの人たちと一緒に見に来たということを一生懸命脳裏に焼き付けようと、冷たい空気で目が痛いのも忘れてずっと見続けていた。
もっといろいろなところに連れて行ってあげたい、見せてあげたいという気持ちばかり急いて、空回り気味のガイドだったけれど横で感動している二人の顔を見てつい僕も顔がほころんだ。
二人は明日帰ってしまうけれど、また会う日まで、この夜見た風景はきっと忘れないだろう。そしてこの風景を見るとこの瞬間を思い出すに違いない。
体の芯まで冷え切った高層ビルの屋上で、不思議にも心は温かかった。