on the streetの最近のブログ記事

鍵の中の少女

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Soho の道ばたの金網にロックが一つぶら下がっていた。
そこには何を想っているのか、表情からは読み取れない少女の顔があった。

鍵はロックされておらず、果たして鍵をかける相手を待っているのか。
それともデスティネーションを求めて次の旅にでるところなのだろうか。

考えてみればこれまで勝手気まま、自由気ままにやってきて、今では New York で気軽な人生を楽しんでいるのに、すっかり生活のパターンができあがってしまった。
本当はどこにでも行けるはずなのに、進化したテクノロジーとがんじがらめのセキュリティーで好きな場所に住むというのもままならない時代になってしまった。加えて景気の悪さが影響してか日本でもアメリカでも外国人排斥の空気が漂っている。

どこか宙ぶらりんな僕の人生は彼女と比べてどちらが自由なのだろうか。

Crazyはイイ

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昔からどこか危なげなものに人は惹きつけられてきた。

New York という街が魅力的なのはやはり一風変わった人たちが多いからであろう。
もちろん New York に住むほとんどの人が変人というわけではないのだが、エンターテイメントやアートの分野で活躍する人が多いこの街では、やはりユニークな人々の存在が大きく目立つ。


「成功するためには他人と変わっていないといけない」

そう思い込んで、無理に自分を繕っているいるような輩も中にはいるのだが、そう簡単にユニークな存在に成れるものではないだろう。そもそもうわべだけ取り繕っても中身はそう簡単に変わるものではないからである。

さらにいえば常識を持ち合わせた普通の人でも成功している人は多いので、変人は必須条件ではないのだが、自分の目指す道が見えている人は自分のスタイルというのも確立しているので、僕ら凡人の目には強い個性の持ち主と映るのだろう。


くたびれた商用ビルの戸口にテナント募集の案内があった。
オーナーはどうやら Crazy な人らしいがこんな風に自称しているところを見ると実際は案外まともな人かもしれない。
果たしてこのオーナーは Crazy なテナントを求めているのだろうか。


この街は常にワンダーランドなのである。

画竜点睛とはよくいったもので、やはり雄大な歴史を持っている中国ならではの故事だと感心する。

ドイツをイメージするような、鮮やかにペイントされた壁と、New York の名物 Yellow Cab、それに中華系スーパーの買い物袋を下げた女性。
字面だけみれば、一見なんの脈絡も無いように感じられるこの三者がここ New York では何の違和感もなく街を構成している。

人は自然と街に溶け込んでいくものだろう。

閑話休題。
赤いプラスチックバッグは通常中華系スーパーでよく使われるため、この袋を手にしている人を見かけたらまずはアジア系市民、特に中国系の人たちだと思って間違いない。
では黒人とかラティーノどうかというと、なぜか彼らの多くは黒いプラスチックバッグを手にしている。
もちろん例外は多く見かけられるのだけれど、人種のるつぼと言われる New York であってもこんな風にバックグラウンドがステレオタイプ的に見られるのは興味深いことではある。

Reflection

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「いやに今日は蒸し蒸しするな」と思っていると案の定通り雨が降ってきた。
傘を持っていなかった僕は他の人たちと同じく、難民さながら雨がしのげる場所を探して右往左往する。


程なくして雨がやむとそれまで人通りが途絶えていた歩道に、予定を取り戻そうとたくさんの人が出てきてちょっとした混雑になった。あちこちにできた水たまりをいまいましそうにして大きく迂回する横で、僕はというと足下に広がった虚像をのぞきこんでいた。


地面に広がった空は汚泥色に染まり、決して美しくは見えないけれど、この水たまりの向こうにはまるで別の世界が広がっているかのようで、僕は虚像を通して実像を探している。


5月のとある雨上がりに。

虫取り網

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うちの近所には昔ながらの商店街がある。
どの街に行ってもどの州に行ってもあるような national fast food chain や大手の衣料チェーンストアが我が物顔して店を並べる一方で昔ながらの家族経営の店があったりして、この街に住んで10年以上になるというのに「こんな店が昔からあったのか」と驚くことも少なくない。

先日も小さな玩具屋があることに気がついたのだがそれは店頭に虫取り網が置かれていたからだ。
子供用の玩具を買うことも無いので普段はこの店の存在に全く気がつかず通り過ぎていたらしい。それだけ虫取り網が視覚を通して僕の心の中の何かを刺激したのだろう。

僕が生まれ育った東京の下町は当時まだあちこちに空き地があったり、なんともいえない異臭を放つどぶ川などがあった。
それでも夏ともなると虫取り網と捕まえた虫を入れるための虫かごを肩からさげて、朝から冒険に飛び出したものだった。
沼地ではザリガニを捕ったり、夏は昆虫を捕まえるなんてことはあたりまえにできる環境だったのだが昨今はそうもいかないのだろう。
引っ越ししてから一度も訪れていないのでいったいどんな風に変わってしまったのか予想もつかないのだが、そこはテクノロジーのおかげで Google ストリートビューなどで最近の様子が New York にいながらにして手に取るようにわかるようになった。
それによると当時のどぶ川は暗渠になり、空き地もすべて住宅地に変わったようだ。


そういえば New York では虫取りをする子供たちの姿を見たことがないことに気がついた。
僕が初めて New York に来たン十年前ですら、市内には子供が遊べるような空き地などなく、バッタやかなへびなどついぞ見たことがない。おそらく Central Park ほどの大きさの公園にでも行けば蝶やバッタなど見つけることができるだろうが、子供にとっては徒歩や自転車でいけるところがテリトリーなのでほとんどの New York の子供たちにはなじみがないのではないだろうか。

考えてみれば、僕自身 New York に住んでからと言うもの自然に接する機会が減っている。それは東京でも同じかもしれないが、少なくとも僕らの記憶の中には昆虫を自分の手で捕まえたり、飼育するという遊び方があった。


土が露出している地面などほとんど無い New York でもこうして色とりどりの蝶がストリートを彩っていてる。
おしむらくは本物の昆虫に接する機会がもっと多く子供たちにあるといいのだが。

Distress city

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都会と呼ばれるところは常に多くの人で賑わい、それ故あちこちで軋轢を生み出す。

数珠つなぎの渋滞も、地下鉄のラッシュアワーも、ぶっきらぼうで不親切なサービスも、生活に不要な、いがみ合いを作り出す。

都市のインフラのせいにするのは簡単だが、決して街が悪いのではなく我々人間が街を abuse しているのだが、そのことすら気がつかず常に何かのせいにしてしまう。
むしろ街の方が耐えきれなくて悲鳴をあげているのかもしれない。

※当初は「駐車場の出血大サービス」とでも書くつもりだったのだが、なんとなくこちらの方がしっくり来るような気がしておちゃらけ系から変更してみた。

痛車か恐車か

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ちょっと前のブログでイースター仕様の車を紹介したのだが、もう一台ここで紹介しようと思って撮っておいた写真があるのだった。

この車を見かけたのは、郊外の Strip mall ( 何軒かの小売店が集まって小さなショッピングセンターを形成しているところ ) のパーキングである。時は宵のうち、7時頃であっただろうか。
薄暗くなりかけた、車もまばらな駐車場に一台取り残されたかのように停まっていたこの車一帯はどう見ても異次元な世界であった。アメリカ特有のオレンジ色がかった街頭がまた車の不気味さをほどよく演出している。

車と微妙な距離をおきながらぐるりと回ってみると、街頭の角度と相まってシルエットとして見える位置があったのだが、このときこのミニバンはまるで地獄の使いかなにかで、中から恐ろしい御者が出てくるのではとさえ思えた。

果たしてどんなものでできているのかというと、それが下に紹介した写真だ。


手ブレのせいか怖くて震えたのか、少々像が甘いのは了解いただくとして、車体一面に貼り付けられている装飾品の数と種類は伝わっただろうか。
特にマスクの数が異様に多い。写真を撮った後編集中に気がついたのだが、窓ガラスに何かメッセージが貼り付けられている。もしかするとアーチストのコメントだったのだろうか。そうだとすると読んでみれば良かったとは後の祭り。があの時間にこの車に近づこうとはなかなかモチベーションがあがらないものである。


この車、こんな郊外で一体何を表現しているのだろうか、とかゆっくり走らないと接着剤でつけた装飾品が落ちたりするだろうから、果たして郊外で実用的なのだろうか、とか道路交通法のようなものには違反していないのだろうか、などと様々な思考が浮かびはするが、その一方でもう見ることもないだろう、と思っていた。
ところが、ある日、Manhattan、Downtown を歩いていたらこの車が路肩に停まっていたのである。

不思議なことに、二度目に見たときは全く畏怖を感じることはなく、郊外からここまで走っても問題無いんだなと思うと工業製品という印象が強くなり、むしろおもしろ可笑しく思えてしまうものなのかも知れない。

実際に走行可能で移動手段として使っている車をそのままアートにしてしまうというのがなんともアメリカらしくはないか。こんな改造車・・・と思ってしまうようではまだまだアートの許容範囲が狭いことの証明なのかもしれない。


最後に一枚おいておくのは白黒で撮ったものだ。こうしてみると不気味さが一層際だっては見えないだろうか。



この目で実際に見たことはないのだが、なんでも日本では「痛車」なるものが存在するのだとか ( 読みは「イタシャ」? ATOKには登録されていなかったが・・・)。

こういう言葉を見るとやはり言葉は生きているということを実感するのだが ( この言葉で実感するのもすこし不思議な気分だが )、それならばこちらも痛車と呼べる物が存在する。
過去にこのブログで紹介したのだが、方向性はことなるもののアメリカ版痛車といってもいいのではないか?

http://www.nomeri.com/newyorkwatch/archives/2007/05/242313.php
http://www.nomeri.com/newyorkwatch/archives/2007/06/141415.php

上の車に比べると大人しすぎる印象を受けるが、先日 East Village でこんな車を見つけた。ウサギの耳と鼻をつけた車である。もしかするとしっぽもついていたのかもしれない。

痛車と呼ぶにはあまりにも可愛らしいこの車、おそらくイースターにちなんでウサギの仮装をさせているのだろう。
別名復活祭として知られるイースターだが、国民の祝日ではないものの市内の公立学校などは一週間ほどの休暇になる。いわゆる春休みみたいなものだが、New York の公立学校は人種の多様性を反映してか宗教にちなむ休みが多いという。
この時期、ストリートに児童たちの姿を多く見かけるのはそういう事情である。
( ちなみにユダヤ教の Passover の休みも重なるため、B&H 写真専門店のようなユダヤ教系の店も長期間の休みとなるので注意が必要だ )

イースターは僕にとって卵形をしたチョコレートが食べられるぐらいの接点しかないのだが、痛車を通じて宗教を感じた街の一コマである。


この写真は South Street Seaport 近くで撮ったものである。正直なところ正確なアドレスは忘れてしまった。このあたりは普段からあまり行くことのないエリアでもある。

壁一面に張り巡らされている数字の並び、このとき一緒にいた友人は以前からこの数字の規則性に疑問を持っていたようだが、なんだかわからないという。

僕もそういわれてふと見てみた。確かに1、2、3と続きなぜかまた1、2、3と同じ番号が並んでいる。
今でこそ IT の世界に身を置いてはいるものの、数学は昔から苦手な科目の一つで ( それだけに数学嫌いでも IT エンジニアになれるという良い見本だ ) 長いこと苦しめられてきた(笑)。

けれどもなぜか数字の並びから規則性を見つける、という思考は僕にとっては数学といよりは論理的な問題で、理系か文系かといわれれば迷うことなく文系に属する僕には意外にも解を見つけるのがさほど苦にならないのである。
話は横にそれるが、小学校などで知能テストなるものがあり、その中にもこういったテストがあるし、また就職に際して適正テストなるものを何回か受けたがここにも似たような問題が出題されている。
文系卒業の僕が IT の会社に入社できたのは今思うとこの適正テストのおかげなのかもしれない。

話を元に戻して、一連の数字だが果たしてこの並びの意味はおわかいただけただろうか。

Crooked world

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ここは New York 市内でも指折りのすごい坂道で、通行人が利用しやすいように公衆電話もななめに設置されているくらいである。

・・・というようなことはなく、もともとまっすぐに立っていた公衆電話が実は下の写真のようにように曲げられてしまっているのだった。
激しく損傷したあとが無いことと、この電話が交差点近くに止まっていることからおそらく大型車、たとえば2階建てバスなどが曲がりきれずに無理矢理曲げて角を曲がった、なんてのがことの真相ではないだろうか。

前市長の時代に Manhattan 内の主な通りは大型トラックの通行が禁止された。観光で NY を訪れた人たちは気がついたかもしれないが、だから市内ではほとんどそのような車を見ることがないのだ。

確信犯だと信ずる根拠はもう一つあって、前日までまっすぐ立っていた公衆電話が翌朝斜めになっており、これが一日で修理されたのだ。
壊れた公衆電話など市内にあちこち放置されているのだから、これだけが即日修理されたのはやはり理由があってのことだろう。

ライフプランであるインフラが使えないとか使いにくいというのは問題ではあるけれど、朝からこんな風景を見かけた僕は街が生きている様を身近に感じてなんとなくにやにやしながら写真を撮ったのだった。



※近況
なかなか FF XIII が終わらない。あまりにもさっさと先に進めすぎたせいで現在キャラクターが力不足な状態。RPG ゲームのレベルアップ作業というのがなんとも無駄な時間を過ごしているような気がして・・・・。

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